ヒカリは、ステージの上でディレクターを「どういうことよっ。とんだ恥さらしじゃないの!」と責めたてていた。
「いや、そう言われましても。こっちも急に指示されたわけだし……」
「それを何とかするのが、あんたたちの仕事でしょ? そろいもそろって、無能なわけ?」

 そのとき、レイナの歌声が聞こえて来た。
「えっ」
 ヒカリは固まる。
「あの子、どこで歌ってんの?」
 ディレクターはしばらく呆然としていたが、インカムを投げ捨ててステージを飛び降りた。
「えっ、ちょっとちょっと、どこに行くの? 話はまだ終わってないでしょ!?」
 ヒカリに呼び止められても気にしない。
「オレは、レイナの歌を聞きたかったんだよ!」
 歌が聞こえてくる方向に向かって、全速力で走る、走る。
「もうっ、何なのよっ」
 ヒカリは地団太を踏んで悔しがっていた。


 駐車場のライブは最高潮に達していた。
 トムも途中からトラックに上がって踊り、レイナの歌を盛り上げる。スティーブも飛び入り参加した。
「レイナ―!」
「最っ高―!」
「大好きー!」
 みな喜びが爆発した顔で、熱狂している。

「それじゃあ、皆さんも一緒に歌ってください。『小さな勇気の唄』」
 静かに前奏が始まり、みんなで声を合わせて歌う。

♪君に一つの花をあげよう
 それは勇気という名の花で
 君の胸の奥で
 決して枯れることなく
 咲き続けていくだろう♪ 

 見上げると、満天の星空。ゴミ捨て場で見ていたのと同じ星空だ。
 夜にゴミの山に登り、空に向かってよく歌っていた。その隣には、いつもタクマがいた。

 ――お兄ちゃんがいなくても、今はこんなに大勢の人が一緒に歌ってくれるよ。私は独りぼっちじゃないんだ。そうでしょ、お兄ちゃん。

 空に、流れ星が一筋の尾を描いて消える。
 まるで、レイナに「そうだよ」と答えるかのように。


「君の娘は、たいしたもんだ」
 スマホで動画を見ながら、高齢の男性はつぶやいた。
「こんなにもファンから愛されてるんだな」
「ええ、レイナはみんなから愛される子です。そういう子なんです」
 美晴は動画を見ながら涙を拭った。
「あの子と過ごした13年間は、本当に幸せだった……。あの子と一緒にいられたら、何もいらないって思ってました」
「いいのか? これを始めたら、君はあの子とは二度と会えなくなるかもしれないんだぞ?」
 美晴は力強くうなずく。

「本当は、レイナとこのままゴミ捨て場で一生を終えてもいいって思っている自分がいました。あの子が幸せでいられるなら、それでもいいって。でも、私はまだ、完全には自由になってない。自由を手に入れるには戦わなきゃいけないって気づいたんです。自由を勝ち取らないと、ずっとあいつらは私を追ってくるし、レイナも狙われることになる。だから、レイナのために戦うんです。レイナがこの先、自由に生きられるために」

「そうか」
 老爺は深く息を吐いた。
「パーティーが始まりましたよ」
 背の高い男性が二人を呼びに来た。男性は二人とも、瞳が茶色だ。
「さあ、それじゃ、始めようか」
「ハイ」
 美晴は老爺の車椅子を押して、ホールに向かった。

「全然効果がないじゃないかっ」
 片田は苛立った声をぶつける。
「この間のユーチューバーもうまくいかなかったし、今回の野外ライブも、結局レイナに同情票が集まって評価が高まってるじゃないか」
「はあ……こちらとしても、こういう結果になるとは思ってなくて」
 白石の答えに、片田はわざとらしく大きなため息をつく。
「君はもうちょっと役に立つかと思ってたんだけどね」
「すすすみません。でも、あのレイナって子も、周りの人も、レイナの親が誰かは分かってないんじゃ」
「だからだよ。知られる前に叩き潰しておかないと」
「はあ」
「これぐらいの問題も解決できないようなら、いつまで経っても大臣になるなんて夢のまた夢だね」
 片田はソファから立ち上がった。

「え、え、でも、次の選挙では立候補させてくれるって話でしたよね」
「立候補はしてもいいですよ、いくらでも。でも、当選してすぐに大臣になれるわけないでしょ」
「いや、だって、そういう約束でしたよね。総理の手足となって働いたら、大臣にしてくれるって」
「今すぐにするとは一言も言ってないでしょ。君は政治家になったことがないんだから、私の元で秘書として下積みを積んでから立候補するのは筋が通ってると思うけどね。私が見てる限り、まだまだ君は勉強したほうがいいね。気に入らないなら、辞めてもらっても結構」
「いえ、そんな」
 片田はそれ以上、何も言わず、白石を見ることもなく控室から出て行った。
 白石は「クソっ」とソファを蹴とばした。

 片田はホテルで資金集めパーティーを開いていた。
 片田の講演は大盛況で、会場からは何度も笑い声や拍手が漏れ聞こえてくる。白石はイライラしながらロビーにいた。

 ――大臣にしてやるって言われたから、秘書になって支えてきたのに。これじゃ、汚れ仕事を引き受ける雑用係みたいなもんじゃないか。

 ロビーではSPがあちこちで見張りに立ち、スタッフたちが忙しく走り回っている。

 ――これなら、怜人と一緒にいたほうがよかった。怜人は俺を軽んじたりしなかったし。いつも一緒に政策を考えて、戦略を練って。あのころは楽しかったなあ。

 白石は大きなため息をつく。

 ――今更だけど。オレ、なんてことをしちまったんだろう。

「すみません」
 白石は自分が声をかけられていることにしばらく気づかなかった。
「すみません」
 強く言われて、振り返る。そこには車椅子に乗った高齢の男性がいた。
「車椅子用のトイレはどちらかな」
「ああ、トイレはあの奥です」
 白石が指さすと、「申し訳ないが、トイレまで連れて行ってくれませんか。妻が今、駐車場に忘れ物を取りに行っていて」と男は頼んだ。

 ――はあ? なんで俺がそんなことをしなきゃいけないんだよ。 

 一瞬思ったが、片田の支援者なら仕方ない。親切にするしかないだろう。
「分かりました」
 白石は車椅子を押してトイレに向かった。
「こちらでいいですか」
 ドアの前で車椅子を止めると、「すみません、ボタンを押してもらえませんか」と頼まれる。
「開」と書いてあるボタンを押すと、ドアがゆっくりと右にスライドする。
「ついでに、中に入れてもらえませんか。重ね重ね、申し訳ない」
 白石はイラっとしたが、他にすることもないので、車椅子を個室に入れる。
「この向きでいいですか」
 話しかけながら顔を上げると、壁際に人が立っている。男性と女性の二人だ。

「え、あれ、すみません、使っていた……?」
 トイレに二人も入っているのは不自然だ。
 白石が戸惑っていると、女性はすばやく閉めるボタンを押した。男性はゆっくり閉まるドアの前に立ちはだかって白石の逃げ場をなくす。
「え、え、何……?」
 ドアが閉まると、「久しぶりね、白石さん」と女性が声をかけた。
 白石は女性を見る。どこかで見た覚えのある顔だ。
「あっ」
 白石は絶句する。
「もももしかして、君、美晴……さん?」