その話は、ある日突然、舞い込んだ。
 総理大臣が公邸で行う誕生日パーティーにレイナを招待したいという連絡が来たのだ。
「なんで総理大臣がレイナを?」
 笑里は目を丸くする。
「貧しい生活から歌手になって成功したという立派な功績を讃えたい、って招待状には書いてあるよ。歌も歌ってほしいって」
「立派な功績を讃えるって……パーティーに来るのはお金持ちばかりよね、きっと」
「ああ」
「そんなところでレイナが歌うなんて、好奇の目にさらされるだけじゃない。差別意識のかたまりの人ばっかでしょ?」
「まあ、そうだね。とにかく、レイナに聞いてみよう」

 笑里は難色を示していたが、レイナは話を聞いたとたんに顔を輝かせる。
「私、行く! 総理大臣に、ゴミ捨て場の人たちのことを話して、ゴミ捨て場に来てくださいってお願いするの!」
「でもね、レイナ、そういうところに行くと、嫌な思いをいっぱいするかもしれないのよ?」
 笑里が諭すと、「うん、でも、総理大臣に話したい」とレイナは意に介さない。
「まあ、僕と笑里も一緒に行けば大丈夫じゃないかな」
 裕の提案に、笑里も「それならいいけど……」とうなずくしかなかった。


 誕生日パーティーの日、裕は高級なスーツを着て、笑里は黒地に白いバラの花がプリントされたシックなドレスを身にまとっていた。
「公邸で豪華な誕生日パーティーを開くなんて、まるで独裁者よねえ」
 レイナのメイクをするために同行したアンソニーがコロコロと笑う。
 公邸では会議室を控室として使っていた。他にも出演者はいるようだが、今はレイナたちしかいない。
 レイナは白いワンピースに白い靴と、清楚にまとめている。アンソニーが控えめにメイクをして、髪に赤いバレッタをつけてくれる。
「あんまり大きな声で話したら、総理大臣のスタッフたちに聞こえるわよ」
 笑里が釘を刺す。
「だってえ、強欲なおじさんとおばさんの前で純粋無垢なレイナが歌うなんて、見物じゃない?」
「強欲って何?」
 レイナは無邪気に聞く。
「欲張りだってこと。とんでもなく欲張りで、自分がお金持ちになれればそれでいい、他の人はどうなっても構わないって思ってるような人のことを言うの」
「アンソニー、あんまり変な知識をレイナちゃんに植えつけないで」
「あら、事実じゃない」
 ワイワイおしゃべりに興じていると、ドアがノックされた。

「ハイ」
 裕が出ると、「どうも、こんにちは。首相秘書官の白石です」と長身の男がにこやかに入って来た。右足を引きずっている。
「レイナちゃん、こんにちは! 今日はよろしくね」
 裕は軽く眉をしかめる。白石と名乗る男がレイナを「ちゃん」づけでなれなれしく呼び、ため口で話しているのが気になったのだ。
「話は聞いていると思うけど、レイナちゃんには首相のあいさつが終わったら、トップバッターで歌ってもらうから。曲は3曲。楽器はピアノだけでいいんだよね?」
「ハイ、そうです」
 裕が代わりに答える。
「いやあ、今を時めくレイナちゃんの生歌声を聞けるなんて、みんなラッキーですよ。首相はちょうど70歳。レイナちゃんからも、『総理大臣、70歳のお誕生日おめでとう』って言ってもらえませんか? 歌ってくれてもいいですよ。ハッピーバースデイの歌とか」
「それはちょっと……レイナは総理大臣のことを知らないですし、あらかじめ決めた3曲の準備しかしてませんし」
 裕がやんわりと拒否すると、「それぐらい即興でできるでしょ。プロの歌手なんだから」と白石は言う。その強引さと失礼な言い方に、裕はさすがにムッとした。

「まあ、ムリにとは言いませんよ。でも、総理大臣の誕生日ですよ? それぐらいしたほうが、今後のためにいいと思いますよ」
「今後のために、とは?」
「まあ、それは言わなくても分かるでしょ」

「白石君、強引に勧めるのはやめなさい」
 その時、男を3人連れた小柄な男性が部屋に入って来た。
「部屋の外まで、やりとりが聞こえましたよ」
「それは失礼しました」
 白石は慌てて引き下がる。
「本日はようこそいらっしゃいました、レイナさん」
 テレビでも見たことのある初老の男性が、不自然なぐらいの笑みを浮かべてレイナに右手を差し出した。
「私が総理大臣の片田義則です」
 レイナも手を伸ばして握手する。