ゴミ捨て場のレイナ

 運転手はラジオをニュースに合わせた。
「ただいま、政府が緊急警報を発令しました。詳しい情報は入り次第お伝えします」
 ラジオ局も混乱しているようで、アナウンサーは何回も同じことを繰り返している。
「ただいま、速報が入りました」
 ガサガサという音声が聞こえる。メモを読んでいるのだろう。
「えー、先ほどからお伝えしてますように、今日の午前7時ごろ、本郷怜人衆議院議員が国会議事堂を占拠しようと議場を襲撃しました。警視庁に移送されていたのですが、つい先ほど、本郷議員の議員宿舎から、女性の遺体が発見されたとのことです」

 美晴は息を止めた。

 ――女性? 女性の遺体って、どういうこと?

 急いでスマホを取り出す。
 動画でニュースサイトを見ると、議員宿舎の入り口が映し出された。そこから白い布をかけられてタンカにのせられた人が運び出されてくる。一斉にカメラのフラッシュが焚かれる。
 布に覆われていて、顔も性別も分からないが、腕がダランとタンカから垂れ下がっている。その手首には、赤いミサンガ。

 ――真希さん!

 美晴は叫び声をあげそうになるのを、何とかこらえた。

「なんですかね、この本郷って議員、人を殺してたってことなんですかね。とんでもないやつですね、国会を襲撃して、人を殺したなんて」
「違うっ、そんなんじゃないから!」
 美晴は思わず否定する。
 運転手はバックミラー越しに、「お客さん、関係者ですか?」といぶかしげな視線を投げかける。
「その……支援者で」

「ああ、そうですか。じゃあ、ガッカリしたでしょ。オレもね、ひそかに応援してたんですよ、本郷怜人はこの国をよくしてくれるんじゃないかって思って。選挙法案だって、あんなのが通っちゃったら、日本はおしまいでしょ? だから何とか食い止めてくれるんじゃないかって思ってたんだけど。衆議院は通っちゃうしねえ。だからって国会を占拠するなんて、無謀すぎるし。もうちょっと考えて行動する人だと思ってたんだけど。こんな騒動起こしたって、何の得にもならないのにねえ」

 ――違う。違うの。もう占拠するしか食い止める方法はなかったんだから。怜人は本気でこの国を守ろうとしたんだから。

 美晴はそう伝えようとしたが、涙がこみあげてきて、言葉が出ない。
 声を上げて泣き出した美晴を見て、「そんなに熱心なファンだったんですか。そりゃあショックでしょ、こんな暴動起こしちゃって」と運転手は気の毒そうに言う。

 ――違う。そうじゃない。そうじゃないの。

 打ち消そうと思えば思うほど、嗚咽は止まらなくなるのだ。

 ――誰よりも正義を信じて貫こうとしてたのに。もう、こんな風にしか人には記憶されないんだ。そんなの哀しい。哀しすぎる。

 美晴の肌に怜人の体温が蘇る。
 屈託なく笑った顔。汗交じりの肌の匂い。「愛している」と、囁く声。抱きしめてくれた時の、意外とたくましい腕。美晴をいとおしそうに見つめる瞳。
 すべてすべて、なくなってしまった。怜人には二度と会えないのだ。

 ――あの手を、離さなければよかった。

 美晴はもう、堪えきれなくなっていた。

 ――ずっと一緒にいようって言ったじゃない。二人で暮らそうって、約束したじゃない。一人で先に逝っちゃうなんて。ひどい。ひどいよ、怜人。もう、夢なんて見られない。あなたと一緒じゃないと、あなたがそばにいないと、もう何もできないよ。もっと一緒に笑っていたかったのに。もっと一緒に語り合いたかったのに。もっともっと、抱きしめてほしかったのに。

「お客さん、大丈夫ですか?」
 運転手が心配そうに聞くが、美晴に答える余裕はない。
 胸を刺すような悲痛な泣き声だけが、車内に響く。


 その場所に着いたのは、夕方になっていた。
 真っ赤な夕焼けが空を焼き尽くすように広がっている。
 美晴はスマホの写真に写っている家と、目の前の家を見比べた。それは怜人に送ってもらった家族の集合写真だ。
 タクシーに最寄駅まで送ってもらい、さらにそこでタクシーを乗り換えて、本郷家に着いた。
 タクシーが走り去り、美晴は改めてその家を見上げた。話に聞いていた通り、大きな家だ。

 ここに来るまでの数時間、カーラジオを聞いていたが、たいした情報を流さないまま、「緊急警報が発令された」と繰り返すだけだった。インタビューに応じた有識者も困惑しながら、「何が起きているのかさっぱり分かりません」と答えていた。

 やがて、怜人が留置所で首を吊って亡くなったと報道された。
 女性を殺害したことが発覚するのではないかと恐れて、自ら命を絶ったのではないかと、何人もの専門家がもっともらしく分析していた。
 そして、本郷家に着く直前、選挙法の改正案が参議院で可決されたと、つけたしのように報道された。

 ――怜人が命を賭けて止めようとしたのに……。結局、何も、何も変えられなかった。

 美晴の目から、また涙がこぼれ落ちた。

 ――怜人、怜人。せめて、最期は一緒にいたかった。

 その時、一人の老人が家から出て来た。
「お父さん、こんな日に散歩をしなくてもいいじゃないですか」
 呼び止める声が聞こえる。
「いいや、こんな日だからこそ、いつも通りに過ごさなきゃいかん」
 老人は大きな犬を連れている――写真に写っていた、怜人の祖父だ。
 美晴は涙をぬぐい、老人の前に立ち、「あの」と声をかけた。


「あの」
 美晴の呼びかけに、老人は目を見張った。
 美晴の頭のてっぺんから爪先まで、無遠慮にジロジロと眺める。
「ああ――驚いた。君、美晴さんか?」
「ハイ」
「生きていたのか」
「ハイ、何とか。お久しぶりです」
 美晴は頭を下げた。

「ずいぶん、変わり果てて……。何年ぶりだ?」
「13年ぐらいです」
「そうか、そんなに経つのか。突然姿を消したから、どうしたのかと思ったよ。方々を探したんだ」
「すみません、皆さんには迷惑をかけたくなくて」
「今まで、どこにいたのか……。とりあえず、お風呂に入って、汚れを落としたほうがいいな。話はそれからゆっくり聞こう」
「ありがとうございます」

 老人の足元には小型犬がいた。大型犬は寿命が来たのだろう。
 そして、老人は杖を突いている。かなり足元がおぼつかないようだ。

「それにしても、君が来たということは、時が来たということかな」
「ハイ。今こそ、怜人さんの無念を晴らそうと思ってます」
 美晴は老人の目をまっすぐとらえた。茶色の瞳。怜人と同じだ。
「そうか。分かった。この13年間、ずっとその時が来るのを待っていたよ」

 空には13年前のあの日と同じ、夕焼けが広がっている。空を焼き尽くすような、鮮紅色の雲が空を覆っていた。
「レイナさん、本番10分前です」
 スタッフの声に、レイナは顔を上げた。
「はあい、よろしくお願いします!」
 目の前の鏡には、ステージ用に着飾った自分が映っている。
 日産スタジアムの控室。一年前は、スティーブのライブのゲストとして招かれたステージに、今度は自分一人で立つことになった。

「本日は影山レイナファーストツアー『REINA』にご来場いただき、ありがとうございます。間もなく開演となります」
 会場にアナウンスが流れる。
 レイナは鏡に映る自分をまじまじと見た。
 一年前より背が伸び、ぐっと女性っぽくなったスタイル。胸が隠れる長さになった髪は、アンソニーがキレイにアップしてくれた。そこには、タクマからもらったバレッタが留めてある。

 この一年間は、あっという間だった。
 スティーブのワールドツアーに参加し、10か国を回った。裕や笑里、トムやアミも一緒だったので、その間は楽しく過ごせた。
 今までゴミ捨て場と裕の家の周辺ぐらいしか知らなかったのに、いきなり海外に出たのだ。
 見るもの聞くもの、すべてが初めてのことだらけで、レイナは興奮しすぎて何回か熱を出して寝込んでしまった。そのたびに笑里が夜も眠らずに懸命に看病するので、レイナははしゃぎすぎないように気を付けるようになった。

 帰国してからは、すぐにレコーディングに入った。裕のプロデュースで本格的にデビューすることになり、ファーストアルバム「REINA」は世界中で1000万枚を売り上げたのだ。
 今は街を歩くと、ビルの上にはレイナのアルバムの広告が掲げられ、いたるところからレイナの歌声が聞こえてくる。レイナのスケジュールは連日テレビやネットの出演でビッシリ埋められ、休む間もない。ファーストツアーは日本全国で行われることになった。
 今日は、その最終日。客席にはゴミ捨て場の仲間もいるはずだ。

 今は、ゴミ捨て場にいた時よりも、ずっと多くの仲間に囲まれ、日々いろんな人に出会っている。
 何もかも、順調だ。だが、時折レイナは無性に寂しくなる。

 ――ママ。私、14歳になったよ。

 美晴は、一年前に楽屋に電話してきて以来、音沙汰がない。

 ――早くママに会いたい。どこかで見てるのなら、声だけでも聴かせて、ママ。

 レイナはいつも、そう祈り続けている。

 楽屋のドアを開けると、客席の高揚感が通路にまで伝わってくる。
「さあ、お姫様、準備はいい?」
 アンソニーの言葉に、レイナは「もちろん!」と返す。裕はいつも通り、ゆったりと微笑んでいる。その顔は、一年前に比べると小皺が多くなった。
 ステージの袖に来ると、最初の曲の前奏が始まった。客席から一斉に歓声が上がる。
「レイナ、レイナ、レイナ、レイナ」と、みんなが声を合わせてレイナを手拍子で呼ぶ。
「さあ、出番だ」
 裕が背中を軽く押す。レイナは一呼吸おいて、光の渦の中に飛び出した。そのとたん、爆発したような歓声が空に響き渡る。


「お疲れ様でしたあ」
 スタッフに挨拶をしてから、レイナは裕と一緒に楽屋を出た。
 レイナはまだ未成年なので、最終日でも飲み会はできない。楽屋で、みんなで簡単に打ち上げをして、ツアーは終了となった。3カ月間一緒に過ごしてきた仲間なので、別れるのが名残惜しい。一人一人と握手をして、「また会おうね」と約束して、別れた。

「レイナさん、お久しぶりです!」
 森口が紅潮した顔で車のそばに立っている。
「森口さん、久しぶり!」
 レイナは駆け寄る。
「元気だった?」

「ええ、元気ですとも。私も、今日は芳野さんとゴミ捨て場の皆さんと一緒に、ライブを拝見していたんです。いやもう、すごい熱狂でした。私たちは席に座りっぱなしだったけど、まわりのみんなは歌に合わせて飛んだり跳ねたり、汗だくで。そういえば、マサさんでしたっけ、あの方は、若いころはライブハウスに入り浸っていたって、しきりに言ってましたよ。こういう雰囲気は懐かしいって。ジンさんは『こういう場には慣れない』って腕組みして、ずっと座って聴いていたけど、ラストでは泣いてましたね。それを見て、私ももらい泣きしてしまって」

 森口は興奮のあまり、話が止まらなくなっているようだ。裕は苦笑して、「森口さん、帰りましょうか」と声をかけた。
「ああ、失礼しました」
 たくさんの差し入れをトランクに入れて、車は緩やかに発進する。
「芳野さんにも、早く会いたいな。芳野さんのオムレツ、早く食べたい」
「ええ、ええ。芳野さんは先に帰って、きっとオムレツを作って待っててくれてますよ」
「ホントに? やったあ」
 森口とひとしきり会話をしてから、レイナは窓の外の光景を眺めた。心地よい疲労感が体を包んでいる。

 街を行きかう少女たちの髪には、赤いバレッタが飾られている。
 ファンの間で、レイナが将来を約束した大切な人からもらったバレッタだという話は広まっていた。ヒカリに踏みつけられ、ボロボロになったバレッタを大事につけている姿に、ファンはまた心打たれるのだ。

 今は赤いバレッタをつけるのがブームになっている。少女たちは、赤いバレッタをつけた自撮り画像を嬉しそうにインスタやツイッターにアップしている。
 いくつも類似商品が生まれて、レイナのもとにも送られてきた。だが、タクマからもらったバレッタ以外をつける気にはなれない。

 今でも、13歳の誕生日の夜を、昨日のことのように思い出す。タクマのはにかんだ笑顔、真剣な目、手のぬくもり――。
 思い出すたび、胸がキュッと締めつけられる。

 ――お兄ちゃん。私、今は街で暮らしてるんだよ。本当は一緒に街に来たかったのに。お兄ちゃんと一緒だったら、きっともっと幸せだった。

 レイナは赤いバレッタをつけて楽しそうに笑っている少女たちを見ながら、寂しそうに微笑む。


「ただいまあ」
 家のドアを開けると、アミとベルが駆け寄って、レイナに飛びついた。
「おか……り」
 アミは一生懸命、覚えた言葉を話す。
 アミは今、ろう学校に通っている。手話と聴覚口話法を学び、多少は話せるようになった。
 この一年間でアミは同年齢の子に近い体格になってきた。身体から傷やあざも消え、ゴミ捨て場にいたころとは見違えるような健康児になった。笑顔も多くなり、懸命にしゃべろうとしている姿を見ると、レイナはジンとする。

 ベルに「ただいま」と頭をなでてあげると、しっぽを嬉しそうに振る。
「お帰りなさい。また大人っぽくなって」
 笑里も笑顔で出迎えてくれた。笑里は大学の講義があるので、国内のツアーには同行していなかった。旅に出ている時は、毎晩、スカイプで笑里やアミと話をしていた。
 芳野もキッチンから出て来る。
「お帰りなさい。レイナちゃんの大好きなオムレツを作っておきましたよ」
「ありがとう! 芳野さんのお土産も買ってきたからね」
 家中にいい香りが漂っている。アミに手を引っ張られながら、レイナはダイニングに向かった。
 幸せなひと時。
 ここが今は、紛れもないレイナの我が家だった。
 翌日、レイナは裕とアミと一緒に近所の団地に出かけた。
 団地の庭に見慣れた姿が見える。
「マサじいさ~ん」
 レイナは駆け寄った。
 マサじいさんは鍬を下ろして、手拭いで汗をぬぐった。
「庭に畑を作ってるんですか?」
 裕は困惑していた。
「どうも、何もしないでいたら、体がなまっちゃってねえ。家の中でゴロゴロしてるわけにいかないし。まずかったかな?」
「いえいえ。ここは買い取ってるから、自由に使って大丈夫ですよ」

 裕の家から歩いて10分ほどのところにある公営団地は、今は住人が少なく、廃墟のようになっている。そのうちの2棟を裕が区と交渉してゴミ捨て場の住人用に買い取ったのだ。買い取りやリノベーションの費用は、レイナがすべて支払った。
 レイナがツアーに出る直前から、ゴミ捨て場の住人はここに移り住んだ。職を得た住人も多く、ジンは長距離トラックの運転手として、あちこちに荷物を運んでいる。マサじいさんは、平日は図書館で清掃のバイトをすることになった。

「レイナ、久しぶり!」
「ライブはどうだったの?」
 庭やベランダに出ている住人が、声をかける。みんなゴミ捨て場にいる時とは見違えるような、こざっぱりとした姿になり、表情は生き生きと輝いている。
「ライブは最高だったよ!」
 レイナも手を振って返す。

 マサじいさんの部屋に入る。部屋は2Kで、ゴミ捨て場から持って来た家具が置いてある。新しいのは小さなテレビぐらいだ。
「こんな広い部屋は、一人で暮らすのにはぜいたくすぎる」と、越したばかりのころはぼやいていた。

 マサじいさんがお茶を入れるのを、アミが手伝う。
「そういや、ショウさんがゴミ捨て場に戻ったよ」
「えっ? この間は、ユミさんが戻ったって言ってなかった?」
「ああ。どうしても街の暮らしになじめなくて、仕事もうまくいかなくて、ゴミ捨て場に住むしかないんだろうなあ。帰りたいって言うのを、止められん。ゴミ捨て場でしか生きていけない人間もいるってことだ」

 アミが4人分の湯飲みをお盆に載せて、そろそろと運んで来た。マサじいさんはまんじゅうを出してくれた。
「でも、あそこの小屋は壊されたという話を聞きましたが……」
 裕の言葉に、
「うちらがいなくなった後に、壊したらしいな。まあ、あそこに住んでいたヤツなら、また小屋ぐらい建てられるさ」
 と、マサじいさんはさらりと答える。
 レイナは黙ってお茶を飲んだ。
 タクマやトム、アミと一緒に駆けまわった小屋の集落は、もうない。そう思うと、自分が考えたこの選択肢は正しかったのかどうかが分からなくなる。
 レイナ自身も、時折、無性にゴミ捨て場に帰りたくなる。あそこに戻ったら、タクマと美晴がいた暮らしを取り戻せるような気がするのだ。

「もちろん、街に戻って来て、仕事を得てありがたく思っているヤツばかりだよ。みんな、好き好んでゴミ捨て場に住んでいたわけじゃないからね。どうしようもなくなって、街から出るしかなかったんだ。レイナのお蔭で、再チャレンジができて、みんな喜んでるよ」
 マサじいさんはレイナの心を見透かしたかのようにフォローする。
「ジ……ジ……ジン」
 アミの言葉に、「ジンは今朝帰って来たみたいだから、まだ寝てるだろう」と、マサじいさんは説明してくれた。レイナは久しぶりにジンに会いたかったので、ガッカリした。
 それから、レイナがいなかった3カ月間に何が起きたのかを、マサじいさんは話してくれた。


「しばらくこっちにいるから、また来るねえ」
 レイナたちはマサじいさんに挨拶をして、部屋を出た。
 アミは、マサじいさんの3つ隣りの部屋の前で立ち止まる。そこはヒロが住んでいる。
 ヒロに挨拶をしていくべきかどうか。
 レイナが迷っていると、ドアが開き、ルミが出てきた。ルミは別の部屋に住んでいるはずだが、相変わらずヒロのところに入り浸っているらしい。

「あら、帰って来たの」
 ルミは、レイナの顔をじろじろと見る。
「へえ、しばらく見ないうちに、女っぽくなって。タクマはもったいないことをしたわねえ。生きてれば、いい女をモノにできたのに」
 レイナが固まっていると、「オイ、お前、なんてことを言うんだよ!」とマサじいさんの隣の部屋のドアが勢いよく開いた。Tシャツにジャージ姿で、今起きたばかりのようなジンが飛び出してくる。
「相変わらず、失礼なババアだな」
「何よ、うるさいわね。トラックの運転手にしかなれないくせに」
「お前だって、水商売やろうにも籐が立ちすぎちゃって、誰にも相手にされないんだろ? 街角に立って客引きやってるって聞いたぞ」
 ルミは苦々しげに「フン」と鼻を鳴らした。
「ヒロさんはいないわよ。昨夜も帰って来なかったから、またギャンブルにハマってるんじゃないの?」とアミに言って、階段を上って行った。
 アミはしょぼんとうつむく。レイナは頭をなでた。

「お帰り、久しぶりだなレイナ」
 ジンの目は真っ赤だ。
「ごめん、起こしちゃった?」
「いや、もう起きなきゃいけなかったから」
 ジンは大あくびをした。
「今、昔のダチに、美晴さんのことを聞いてみてるんだ。顔が広いヤツが何人かいるから。なんか、半年前に福島で見かけたっていう情報もあるらしい」
「福島ってどこ?」
「北のほうだ。寒いところだよ」
「なんでそんなところに美晴さんが?」
 裕が尋ねると、
「さあ。原発の作業場に女性が訪ねてきたことがあって、それが美晴さんに似ていたらしい。あそこは、まだ汚染水の処理とかしてるからな」
 とジンは背中をぼりぼりとかきながら答える。

「まさか、そこで働いてるとか」
「さすがにそれはないな。女性があんな現場で働いていたら目立つから、すぐに分かるだろうし」
「じゃあ、ママはどこにいるの?」
「うん、それはまだ分からないんだ。ゴメン」
 ジンはレイナの顔を覗き込む。
「すぐには分からないかもしれないけど、何か情報があったら、必ず教えるからな」
「ありがとう。待ってるね」

 別れ際、レイナとアミは、ジンに手を振る。ジンも快く手を振ってくれるが、なぜか裕のことは睨みつける。
「なんで、ジンおじさんは、いつも裕先生には怒ったような顔をするんだろ」
「しっかりレイナを守れよって言いたいんだと思う」
 裕はジンに頭を下げた。


「アミちゃん」
 団地を出たところで呼ばれて振り返ると、少女と母親が立っていた。少女がアミに「ア-ミー」と手を振る。アミはパッと顔を輝かせて駆け寄った。
 アミは学校に通い始めてから、友達ができた。その一人だろう。
 いつもレイナの後をついて回っていたアミが、自分の人生を歩み始めている。
 少女と楽しそうに話しているアミを見て、レイナは少し寂しい気持ちになった。
 絶えずトラックや重機の轟音が響いている。
 今はそんな音すら懐かしく思える。
 レイナはゴミ捨て場に来ていた。そのゴミ捨て場には、以前レイナが住んでいたようなバラック小屋が点在して、人々が住んでいる。
 裕のシンセサイザーに合わせて、レイナはかつてゴミ捨て場で歌っていた時のように歌う。トラックや重機の音に負けないように。ゴミ捨て場中に響き渡るように。伸び伸びと歌声をはばたかせる。
 住人たちはみな、レイナの歌声にウットリと耳を傾けていた。
 ここの住人も老若男女が入り混じって、小さな子供もいれば、歩くのがやっとの高齢者もいる。歌に合わせて体をゆすっている者もいれば、涙を浮かべて聞き惚れている者もいる。
『小さな勇気の唄』を歌い終えると、感動のあまり立ち上がって拍手してくれる人もいた。

 全国をツアーで回るようになって、レイナは日本中にゴミ捨て場に住んでいる人たちがいることを知った。
 ライブに来たり、普段キレイなファッションに身を包んで街を歩いているのは、裕福な生活をしている人たち。それはほんの一握りの人だけで、7、8割の人はその日暮らしの生活を送っているのだと、裕に教えてもらった。

 街で暮らす人たちがすべて裕福でも、幸せなわけでもない。
 憧れていた街の現実を知った時、レイナはやりきれない想いになった。
 タクマは街に出たら幸せになれると信じて、お金を貯めていたのに――。

 夜になると、街角には家のない人たちがどこかから集まって来て、野宿をする。
 レイナは以前の自分のような人たちを歌で励ましたくて、無料のコンサートを開くと決めたのだ。ただ、街角で歌うと大混乱が起きそうなので、全国のゴミ捨て場を回ることにした。
 ゴミ捨て場の住人たちにも、レイナの成功談は伝わっている。レイナが突然姿を現すと、みなポカンとした後、興奮するのだ。
 10曲歌い終えると、住人たちは手がちぎれんばかりの拍手を送ってくれた。
「ありがとー!」
 レイナは笑顔で手を振る。
「いやあ、いい歌を聞いた。こんなに感動したのは久しぶりだ」
 ある中年男性が涙ぐみながら言う。
「何にもないけど、お茶でも飲んでいくかい?」
 レイナは喜んでうなずく。

 裕もゴミ捨て場の住人とのお茶会に慣れていた。住人が貴重であろう紅茶を、持ち手が欠けたティーカップに注いでくれると、裕はおいしそうに飲み干す。
「オレがここに来たのは半年前なんだけど、レイナちゃんのことはネットでよく見てたから。まさか、こんなところで会えるとは思わなかったよ」
 男性は興奮冷めやらぬ様子だ。
「半年前までは、どこにいたの?」
「タクシーの運転手をやってたんだ。でも、うちの会社も全車が自動運転になっちゃって、オレもお払い箱になっちゃった」
 男性は寂しげに言う。
「タクシーの運転手になる前は、自動車メーカーのエンジニアだったんだ。エンジニアだったら、絶対にAIに勝てるって思ってたのに、AIのほうがスイスイ最新の技術を開発できるようになっちゃってね。クビを切られて、タクシーの運転手になるしかなくて」
 大きなため息をつく。

「森口さんは? うちも自動運転になっちゃうの?」
 レイナは心配そうに裕に聞く。
「僕は、自動運転はなんか信用できないんだ。それに、森口さんと会話しながら乗っているほうが楽しくてね。だから、森口さんとはこの先もずっと一緒だよ」
 その言葉を聞いて、レイナは「よかったあ。私、森口さんのこと大好き!」と笑顔になった。

「そういう風に、AIよりも人間のほうがいいっていう金持ちが多ければ、オレらも何とかなるんだけどね」
「ほとんどの金持ちは、効率とかコストダウンとかばっか言ってさ。給料はどんどん削られちゃうし」
「政治家と官僚ばっか、潤ってさ」
「贅沢なんか言わない。金持ちになりたいんじゃなくて、元の生活に戻れれば、それでいいのに」

 住人は口々に思っていることを吐き出す。
 こういう場面になると、裕は居心地が悪そうな顔になる。レイナは自分がゴミ捨て場に住んでいた時も、大人たちからこういう話はよく聞いていたので、普通に会話に交じる。

「レイナちゃんは俺らの希望の星だよ」
「ゴミ捨て場にいる私たちのこと、国に伝えて」
「国に伝えるって、どういうこと?」
「政治家に会ったときに、俺らのことを話せばいいんだよ。ゴミ捨て場に来て、俺らの生活を見てくれって」
「うん、分かった!」


「僕はあのころ、海外に留学してたから、何もできなくて。だから、ゴミ捨て場に住んでいる人たちの話を聞いていると、申し訳ない気分になる」
 帰りの車の中で、裕は森口を相手に話をしていた。レイナは気持ちよさそうに寝息を立てている。
「あのころって、でたらめな選挙法案が通った時ですか」
「そう。まさか、あんな選挙法案が通るわけないって思ってたら、あっという間に成立しちゃって」
「私はあの時、デモによく参加してたんですよ。官邸前にも行きました」
「へえ、森口さんがデモに」

「当時は40代後半だったんですけど、こんな法律ができたら子供たちが不幸になるって思ったんですよ。あの時、40歳以上を仕事で優遇するって政府が言い出したでしょ? あれでマズいって思いました。うちは娘が二人いるんですが、二人とも40歳になるまで働けないってことですからね。それまでずっと私が養うわけにはいかないし。だから、仕事仲間にも声をかけて、必死で抵抗したんですけどね。ダメでした」

「確か、議事堂に立てこもろうとした若者もいましたよね」
「ええ。デモで一緒に声を張り上げていた若者が大勢、つかまりました。私はそんな計画のことはまったく知らなかったから、置いてけぼりを食らったような気分になりましたよ。体を張って阻止しようとして、亡くなった若い政治家もいたでしょう。でも、その日のうちに法案が通っちゃって、あの若者たちが決死の覚悟でしたことが、ムダになってしまって。私は自分の無力さを痛感しました」

 森口が自分の身の上をこんなに話すのは珍しい。裕はバックミラー越しに森口の表情を伺ってみた。森口はうっすらと涙を浮かべている。

「森口さんの娘さんたちは、今……」
「日本はもうダメだと悟って、海外に行かせました。留学させて、後は現地で生きていけるように何とかしなさい、って。日本には戻って来ちゃダメだと言いました。今はシンガポールとニュージーランドで、結婚して暮らしてますよ。たまにスカイプで孫とも話すんです。うちは女房と二人で、何とかやっていけてますから、まだ幸せなんでしょうね。私の周りで、夜逃げしちゃって、その後どうなったか分からない家族はいっぱいいます。もしかしたらゴミ捨て場で暮らしてるかもしれない」

「そうですか」
 裕はシートに深く身を沈める。
「そういう話を聞いていると、僕は何もしてこなかったことを恥ずかしく思う」
「いえいえ、先生は私や芳野さんの生活を支えてくれてますし、レイナさんやアミちゃんを引き取って育ててるじゃないですか。誰でもできることじゃありませんよ。立派なことです」
 森口は力強く言う。
 裕はレイナの寝顔を見ながら、「この子たちが希望を持って生きていけるような世の中にはできないんだろうか」とつぶやいた。
「音楽には、世の中を変える力があるはずなのに」
 その話は、ある日突然、舞い込んだ。
 総理大臣が公邸で行う誕生日パーティーにレイナを招待したいという連絡が来たのだ。
「なんで総理大臣がレイナを?」
 笑里は目を丸くする。
「貧しい生活から歌手になって成功したという立派な功績を讃えたい、って招待状には書いてあるよ。歌も歌ってほしいって」
「立派な功績を讃えるって……パーティーに来るのはお金持ちばかりよね、きっと」
「ああ」
「そんなところでレイナが歌うなんて、好奇の目にさらされるだけじゃない。差別意識のかたまりの人ばっかでしょ?」
「まあ、そうだね。とにかく、レイナに聞いてみよう」

 笑里は難色を示していたが、レイナは話を聞いたとたんに顔を輝かせる。
「私、行く! 総理大臣に、ゴミ捨て場の人たちのことを話して、ゴミ捨て場に来てくださいってお願いするの!」
「でもね、レイナ、そういうところに行くと、嫌な思いをいっぱいするかもしれないのよ?」
 笑里が諭すと、「うん、でも、総理大臣に話したい」とレイナは意に介さない。
「まあ、僕と笑里も一緒に行けば大丈夫じゃないかな」
 裕の提案に、笑里も「それならいいけど……」とうなずくしかなかった。


 誕生日パーティーの日、裕は高級なスーツを着て、笑里は黒地に白いバラの花がプリントされたシックなドレスを身にまとっていた。
「公邸で豪華な誕生日パーティーを開くなんて、まるで独裁者よねえ」
 レイナのメイクをするために同行したアンソニーがコロコロと笑う。
 公邸では会議室を控室として使っていた。他にも出演者はいるようだが、今はレイナたちしかいない。
 レイナは白いワンピースに白い靴と、清楚にまとめている。アンソニーが控えめにメイクをして、髪に赤いバレッタをつけてくれる。
「あんまり大きな声で話したら、総理大臣のスタッフたちに聞こえるわよ」
 笑里が釘を刺す。
「だってえ、強欲なおじさんとおばさんの前で純粋無垢なレイナが歌うなんて、見物じゃない?」
「強欲って何?」
 レイナは無邪気に聞く。
「欲張りだってこと。とんでもなく欲張りで、自分がお金持ちになれればそれでいい、他の人はどうなっても構わないって思ってるような人のことを言うの」
「アンソニー、あんまり変な知識をレイナちゃんに植えつけないで」
「あら、事実じゃない」
 ワイワイおしゃべりに興じていると、ドアがノックされた。

「ハイ」
 裕が出ると、「どうも、こんにちは。首相秘書官の白石です」と長身の男がにこやかに入って来た。右足を引きずっている。
「レイナちゃん、こんにちは! 今日はよろしくね」
 裕は軽く眉をしかめる。白石と名乗る男がレイナを「ちゃん」づけでなれなれしく呼び、ため口で話しているのが気になったのだ。
「話は聞いていると思うけど、レイナちゃんには首相のあいさつが終わったら、トップバッターで歌ってもらうから。曲は3曲。楽器はピアノだけでいいんだよね?」
「ハイ、そうです」
 裕が代わりに答える。
「いやあ、今を時めくレイナちゃんの生歌声を聞けるなんて、みんなラッキーですよ。首相はちょうど70歳。レイナちゃんからも、『総理大臣、70歳のお誕生日おめでとう』って言ってもらえませんか? 歌ってくれてもいいですよ。ハッピーバースデイの歌とか」
「それはちょっと……レイナは総理大臣のことを知らないですし、あらかじめ決めた3曲の準備しかしてませんし」
 裕がやんわりと拒否すると、「それぐらい即興でできるでしょ。プロの歌手なんだから」と白石は言う。その強引さと失礼な言い方に、裕はさすがにムッとした。

「まあ、ムリにとは言いませんよ。でも、総理大臣の誕生日ですよ? それぐらいしたほうが、今後のためにいいと思いますよ」
「今後のために、とは?」
「まあ、それは言わなくても分かるでしょ」

「白石君、強引に勧めるのはやめなさい」
 その時、男を3人連れた小柄な男性が部屋に入って来た。
「部屋の外まで、やりとりが聞こえましたよ」
「それは失礼しました」
 白石は慌てて引き下がる。
「本日はようこそいらっしゃいました、レイナさん」
 テレビでも見たことのある初老の男性が、不自然なぐらいの笑みを浮かべてレイナに右手を差し出した。
「私が総理大臣の片田義則です」
 レイナも手を伸ばして握手する。
「レイナちゃん、総理大臣って、誰か分かるかな? 日本で一番偉い人だよ」
 白石がレイナに言う。
「違うよ、一番偉い人じゃないよ」
 レイナは笑顔で否定する。
「世の中で一番偉いのは、汗水たらして働いてる人だって、ママもマサじいさんも言ってたもん。工事してる人とか、街を掃除してる人とか、農家さんとか漁師さんとかが偉いって、いつも言ってたよ」
 レイナの言葉に、片田と白石は固まる。
「え、ちょっとちょっと、お宅ではこんな基本的なことも教えてないんですか?」
 白石が皮肉な笑みを浮かべながら裕を見ると、「白石君、やめなさい」と片田が制した。

「レイナさんの言うとおりだ。一番偉いのは、汗水たらして朝から晩まで働いてる人だ。私は、そういう人たちのお陰で、こんな生活をできてる。大切なことを教えてくれたね」
 片田は笑顔になったが、その目はまったく笑っていない。
「総理、ちょっと」
 他の側近が呼びに来て、片田は「今日の歌、楽しみにしてますよ」と去って行った。
 白石も面白くなさそうに部屋を出て行く。

「私、今、一瞬ヒヤッとしちゃった」
 笑里はそっと裕に耳打ちする。
「ああ。レイナは相手が誰でも自分を変えないところがすごいな」
「何も知らないからだろうけど」
「それなりに分かってるよ、きっと。レイナに聞かれて、総理大臣は何をする人なのかを教えたからね。それでも変えない。レイナは、僕らが思っている以上に芯が強いんじゃないかな」

 
「私が総理大臣になったのは14年前、56歳の時でした。あの時は国会議事堂を占拠しようとした輩がいて、国内が大混乱に陥った時期でした。皆さんもご記憶ではないでしょうか」
 片田が招待客の前でマイクを手に話している。
 大ホールでは円卓を囲んで100人ぐらいの招待客が、片田の話にうなずきながら聞き入っている。タキシードを着た給仕が、次々と料理をテーブルに運んでいる。
 レイナたちは会場の外で待機していた。
「レイナ、ここの会場で食事をしている人に向かって歌うんじゃなくて、料理を作ってる人や、運んでる人に向かって歌うんだ」
 裕はそっとレイナに耳打ちする。
「その人たちが、汗を流して働いているんだ。総理大臣より偉いんだよ」
「後、外にいる警備員さんもね」
 笑里が付け加えた。
 レイナは目を輝かせる。

 片田の話はダラダラと30分ほど続いた。待ちくたびれたころに、「それでは、ここで、影山レイナさんにご登場いただきます」と女性司会者の声が聞こえて来た。
「レイナさんは皆様もご存じかもしれませんが、ゴミ捨て場で生まれ育ち、そこで歌っている様子を撮影した動画が世界中で話題になり、今や日本を代表するシンガーとしてご活躍されています。皆様、拍手でお迎えください!」
「さあ、行こうか」
 裕と二人でホールに入ると、拍手がパラパラと起きる。みな片田の話が終わるのと同時に一斉に食事を始めて、レイナに興味がないのは明らかだ。
 
 二人は顔を見合わせる。裕は「気にしない、気にしない」とそっと言う。
 歌うのは部屋の隅。そのことからも、あまり歓迎されてないのが分かる。
 裕は黒いアップライトピアノの前に座った。
 司会者の女性がレイナの経歴をメモを見ながら説明しているが、招待客はおしゃべりに興じている。

「えー、それでは、最初の曲は『はじまりの明日』ですね。レイナさん、よろしくお願いします」
 司会者がレイナにマイクを渡そうとするが、「マイクは大丈夫」とレイナは断った。
 裕が静かに伴奏を奏でる。レイナは目を閉じ、深呼吸をしてから歌いだす。
 最初は、やさしく、やわらかに。サビに向けて、徐々に声量が上がっていく。
 何人かの客が手を止めてレイナを見る。
 サビでレイナは全開で歌う。
 キッチンにいる料理人に聞こえるように。建物の外にいる警備員に歌が届くように。
 ゴミ捨て場の時と同じぐらいの声量で、全身を楽器にして声を出す。
 ホールの壁がビリビリと震える。
 招待客はみな、呆気に取られてレイナを見る。あまりの声の大きさに、耳を覆う人もいた。
 
 建物中にレイナの歌声が響き渡る。 
 食事を運んでいた給仕係が、階段で足を止めた。地下のキッチンでは料理人たちが、「ウソ、これ、レイナの歌?」「すごい、ここまで聞こえるなんて」と手を止める。
 建物のあちこちにいる警備員は、驚き戸惑いながら、どこから歌声が聞こえてくるのかとキョロキョロしていた。
「なんて、キレイな声」
 目を閉じて聞きほれる者もいれば、口ずさんでいる者もいる。


 森口は今日もレイナや裕たちを送迎するために来ていた。
 駐車場には、そんな運転手が何人もいた。みな車の外に出て、時間をつぶしている。
 森口は軽く体操をしていた。近くにいた警備員が不審な目で見ているので、「年を取ると、ずっと座っているのがつらくてね」と森口は説明する。

 そこに、レイナの歌声が聞こえてくる。
「ほう、今日もいい声だ」
 うっとりと耳を傾けていると、ほかの運転手や警備員たちは「歌?」「どこから聞こえてくるんだ?」とあたりを見回している。
 やがて、みな歌声に耳を澄ませる。夜空に染み渡るような、切ない歌声。
 歌が終わると、森口は拍手をした。他の運転手たちも、大きな拍手をしている。目頭を拭っている者もいた。
 見上げると、星がチラチラ瞬く、満月の夜空。
「いい夜だ」
 森口はつぶやいた。
 途中で司会者が、「レイナさん、もう少し声のボリュームを落としていただけませんか」と頼んだのにも関わらず、レイナは3曲とも全力で歌った。
 歌い終えると、割れんばかりの拍手が起きた。
 しかし、それは招待客ではなく、いつの間にかドアの外に集まっていた給仕係や料理人、警備員からだった。招待客の一部は立ち上がって拍手をしているが、ほとんどの人はどう反応していいか分からないようだ。

 片田は苦虫を噛み潰したような表情で、腕を組んでいた。やがて、おおげさに「いやあ、素晴らしい歌声でした」と拍手をした。それを見て、招待客も慌てて拍手をする。
 片田はいかにも作り笑いという笑みを浮かべて、
「圧倒されましたよ。まるでオペラ歌手のようだ。これはやはり、西園寺先生の指導のたまものでもあるんでしょうね」
 とレイナたちに歩み寄る。
「いえいえ、レイナは元々並外れた声の持ち主で、私と妻の笑里で、それをちょっと磨いた程度ですよ」
「またまたご謙遜を」
 片田はマイクを握る。

「実は、今日レイナさんをお呼びしたのは、1つお願いしたいことがあるからなんです」
 レイナは「お願いしたいこと?」と首をかしげる。
「来年、東京オリンピックが開かれますね。レイナさんにはそのテーマ曲をぜひ歌っていただきたいんです」
 片田の提案に、会場からは「おお~」とどよめきが起きる。

「開会式では、ぜひコンサートをしていただきたい。それを世界中に配信したいんです。もちろん、大会中はテレビやネットでレイナさんの歌を流します。オリンピック中は、毎日世界中の人がレイナさんの歌声を聞くことになるんです。それは日本の誇りにもなる。こんなすごい歌姫がいるんだと世界の人に知ってもらうのは、われわれ日本人にとっても鼻が高いことですよね?」
 招待客に問いかけると、みな大きな拍手を送る。

 レイナは裕の顔を見る。
「オリンピックって何?」
 レイナの素朴な問いに、片田は「え?」と目を丸くした。
「オリンピックって聞いたことない。何をするものなの?」
「えーと、そうか、知らないですか。オリンピックは、世界中の人が日本に集まって、スポーツで競い合うんですよ。水泳や体操やテニスとかをして、一番勝った人は金メダル。2位が銀メダル、3位は銅メダルをもらえる大会です」
「ふうん。それって、面白いの?」
「ええ、そりゃもう。試合を見てると、手に汗握るぐらいに興奮しますよ」
 レイナにはピンと来ない。

「今すぐには決められないので、レイナとはよく検討してみます」
 裕がフォローした。
「ぜひそうしてください。こんなにいい話、めったにないですよ」
 片田が話を終わらせようとすると、
「それより、総理大臣に聴いてもらいたいことがあるの」
 と、レイナは目を輝かせる。
「なんでしょう?」
「ゴミ捨て場に来てほしいの。それで、そこで暮らしている人たちと話をしてほしい。みんなつらくても、頑張って生きてるの。みんなの生活を、少しでも楽にしてほしい。総理大臣なら、できるでしょう?」
 招待客はシンと静まり返った。片田がどう返すのか、みな成り行きを見守っている。
「そうですね、一度行ってみましょう。いろんな立場の人と話をするのが、私の仕事ですからね」
 片田が作り笑いを崩さずに言うと、レイナは喜びを爆発させる。
「ホントに⁉ みんなも、きっと喜ぶと思う! 私も一緒に行っていい?」
「ええ、もちろんですとも。ぜひレイナさんが案内してください」

 片田が合図をすると、司会者は「レイナさんの素敵な歌声を聞かせていただきました。次は、ファッションデザイナーの三城ケンさんにお話ししていただくことになっております」と話を切り替えた。
 レイナは客に手を振りながら、退出する。客が無反応でも気にしない。
「よかった、ゴミ捨て場に来てくれるって!」
 レイナは喜んでいるが、裕と笑里は片田が社交辞令で言っただけであると分かっていた。二人は複雑そうな顔をしている。


 控室に戻ろうとすると、「レイナさん、素晴らしい歌声に感動しました!」と一人の小太りの女性がホールから出て来た。
 緑色のラメのドレスを着て、いかにも高そうなネックレスやイヤリング、指輪をジャラジャラとつけている。
 笑里は「片田さんの奥様の瑞恵さんよ」とレイナに囁く。
「とってもかわいらしいし、歌声はすごい迫力があるし。さすが世界の歌姫ね。ファンが多いのも分かるわ」
「ありがとうございます」
 レイナは素直にお礼を言う。

 瑞恵はレイナのバレッタに目を止めて、「それが、大切な人からもらったバレッタね」とジロジロ見る。
「世界の歌姫が、いつまでも壊れたものを身につけているのはどうかしら」
 瑞恵は自分の髪につけていたかんざしを抜く。
「これ、今日の記念に差し上げるわ。本物のダイヤがついているかんざし」
 イチョウ型になっている部分に、大ぶりのダイヤがいくつもついている。レイナは「いいえ、いらないです」と即座に断る。

「あら、遠慮しなくていいのよ。他にもたくさん持ってるから」
「それ、高そう」
「そうね、かなりお高いわよ」
「だったら、そのお金でゴミ捨て場の人たちに食べ物を買ってあげてほしいの。一番困ってるのは、ゴミ捨て場の人たちだから」
 瑞恵の顔が引きつった。 
「そう? 欲がないのね、レイナさんは」
 結局、瑞恵はかんざしを渡さずに会場に戻ってしまった。
「ゴミ捨て場の人に食べ物を買ってくれるかな?」
「どうだろう。たぶん、それは難しいんじゃないかな」
 裕は軽くため息をついた。
 レイナが着替えている間、裕は玄関で待っていた。
「西園寺先生、こちらにいらしたんですか」
 振り向くと片田が立っている。
「先生たちのディナーを用意しましたので、こちらへどうぞ」
「いえ、もう遅い時間ですので、私たちはこれで」
「そうですか? 一流のシェフが作った料理を、レイナさんにぜひ召し上がっていただきたいんですが」
「レイナはまだ子供ですから、あまり遅くまで出歩かせたくないんです」
「そうですか。ずいぶん大切に育てていらっしゃるんですね」
 片田は相変わらず作り笑いを顔に張りつかせている。

「ところで、レイナさん、ゴミ捨て場で歌ってるようですね。動画を見ました」
「ああ、ゴミ捨て場の住人が撮影したみたいですね」
「ああいうことは、日本のためにはなりませんね」
 片田は笑顔を崩さない。

「え?」
「ご存じのように、オリンピックを招致できたのは、日本の経済は完全に復活していて、不況から脱却できたとアピールしたからです。日本は長らく不況が続いていて、財政破綻するんじゃないかと世界で言われていましたが、何とか乗り越えて来た。世界が望んでいるのは復活して元気になった日本の姿です。ゴミ捨て場で生活している人たちの姿ではない。ああいうのが世界に知れ渡るのは、日本のためになりませんね」

「でも、レイナはゴミ捨て場で生まれて育ったと世界中のファンが知ってます。今更、それを隠す意味はあるのでしょうか?」
 裕は冷静に反論する。片田は一瞬鼻で笑った。

「失礼しました。伝え方が悪かったようです。レイナさんが住んでいたゴミ捨て場は、住人がいなくなって、住居が撤去されましたでしょ? そのゴミ捨て場を復興のシンボルとしてアピールしたいと考えてるんです。でも、それ以外のゴミ捨て場にも同じような住人がたくさんいるんだと勘違いされたら困るんですよ。日本はそんなに貧しい国なのかって誤解を招くから。だから、これ以上、ゴミ捨て場で歌わないで欲しい。それだけです」

 裕はしばらく黙り込んでから、ゆっくりと口を開く。
「レイナが住んでいたゴミ捨て場の住人は、レイナの稼ぎで住まいを買ったから移り住めただけです。経済の復興とは何も関係ない。それに、各地のゴミ捨て場には依然として住んでいる人が多いと言うのは、歴然たる事実です。それをなかったことのようにするのは、どうなのでしょうか」
 片田の顔から、すうっと笑みが消えた。
「もっと物分かりのいい方なのかと思っていたけれど、どうやら見込み違いのようですな」
 裕はひるまず、片田の目から視線をそらさない。片田のまばたきが異様に増える。

「ハッキリ申し上げましょう。ゴミ捨て場でコンサートを開いたり、それを動画で配信するのはやめていただきたい。二度としないで欲しい。日本の恥部を世界にさらすことになるんですから。それに従っていただけないのであれば、先ほどのオリンピックの話は」
「ゴミ捨て場でコンサートを開いちゃいけないって、どういうこと?」
 振り返ると、着替えを終えたレイナが笑里とアンソニーと一緒に立っていた。
「なんでコンサートをしちゃいけないの? 私は歌いたい。ゴミ捨て場のみんなの前で歌いたい」
 レイナのまっすぐな訴えに、片田はどう返せばいいのか、言葉を探しているようだった。

「まあ、レイナさんがゴミ捨て場で歌いたいのなら、私にそれを止める権利はありません。ただ、その場合、オリンピックの開会式で歌っていただくのは難しいことになる。やはり、オリンピックで歌うのはそれなりに、いいイメージが必要ですからね」
「だったら、オリンピックに出なくていいよ。私、オリンピックってよく分かんないし。それより、ゴミ捨て場で歌うほうが大事だから」
 レイナがあっさりと申し出を断ったので、片田は顔をひきつらせた。

「いいんですか? 世界に名前を売るビッグチャンスですよ」
「レイナはすでに、世界中にファンがいますよ」
 裕が静かに答えると、片田は一瞬眉を吊り上げた。
「そうですか。どうやら、今日お招きしたのは間違っていたようだ。今日の料金は後程、担当者から連絡がいくと思います」
「お金はいらない。総理大臣に会って、ゴミ捨て場に来てくださいって伝えたかっただけだから」
 レイナはきっぱりと言う。
「そうですか、好きにしてください」
 片田はもはや興味をなくなった、という表情を隠しもせず、足早に立ち去った。
「なあにぃ、感じ悪いわねえ」
 アンソニーが小声で言う。
「小物感満載の男ね。ああいうのが日本のトップだなんて、ヤダヤダ」
 裕はレイナを優しいまなざしで見る。
「迷わずにオリンピックよりゴミ捨て場を選ぶなんて、レイナ、君を誇りに思うよ」
「だって、ゴミ捨て場で歌えなくなるなんて、やだもん。みんなから、また歌いに来てほしいって言われて、また行くからねって約束したんだもん」

 レイナの答えに、笑里は「レイナちゃあん、ホント、かわいい子」と抱きしめた。
「帰って、芳野さんのごちそうを食べましょ。ハンバーグにするって言ってたわよ」
「やった、芳野さんのハンバーグ、大好きっ!」
 帰りの車中では、いつものように森口が興奮しながらレイナの歌の感想を述べるという流れが待ち構えていた。
 レイナは各地のゴミ捨て場を回ってミニコンサートを開いていった。
 ゴミ捨て場の住人や作業員がその様子をスマホで撮影して、動画サイトで公開する。その再生回数はあっという間に億を超えた。
 レイナの活動について取材をしたいという申し込みも多かった。だが、宣伝のためにやっているのではないと、レイナたちは自分からは語らないことにした。
 それでも、レイナが次にどのゴミ捨て場に行くのか予測をする人たちが現れ、現地に行くと数十人のファンが待ち構えていたりする。
 レイナは誰とでも分け隔てなく接するが、ゴミ捨て場の住人とファンとの間でいざこざが起きたときもあった。

 ある日、最前列に陣取ってスマホで撮影している少女が3人いた。赤いバレッタをしているので、「街の人」であるのは明らかだ。
「前の人、後ろが見えないから、座って!」
 ゴミ捨て場の住人が抗議しても、3人は知らんぷりしている。
 レイナは見かねて、「後ろの人が見えないみたいだから、座ってもらえる?」と3人に声をかける。

「やだあ、こんな汚いところに座れないもん」
「後ろの人も立って見ればいいじゃない」
 素直に従うと思っていた3人が、反発したことにレイナは驚く。
「だって、足が悪い人もいるんだよ? 座りたくないなら、後ろの人たちに前に来てもらうよ?」
「えーっ、なんで? 私たちが一番最初にここに来たのに。あの人たちは、来るのが遅かったじゃない」
「そうだよ。一番前で見たかったら、早く来て並んでいればよかったのに」
「おい、ここはオレたちの住処だ!」
 業を煮やした住人が3人に向かって怒鳴る。

「汚いところとか、おとなしく聞いてれば失礼なこと言いやがって。ここが気に入らないなら、さっさと出て行けよ!」
「そうだ、そうだ!」
「お前たちが来る場じゃない!」
 少女たちは「え~、何これ。怖ーい」「頭の中、わいてるんじゃない?」と薄ら笑いを浮かべて、住人にスマホを向けた。

「おいっ、やめろ! 撮るんじゃない!」
 住人が少女に向かって靴を投げる。
 靴は当たらなかったが、「ひっどーい、暴力ふるったあ。役所に訴えるからね?」「そうしたら、あんたたち、ここから追い出されるよ?」と少女たちは騒ぎ立てる。
 住人が少女たちにつかみかかりそうになったので、裕が間に割って入る。
「レイナ、場所を移そう。ここで歌えばいい。そうしたら、みんなに見てもらえるから」
「そうだね」

 レイナが少女たちと住人の間に立つと、3人はきまり悪そうに顔を見合わせる。
 レイナは3人をじっと見つめた。
「私は今、ゴミ捨て場の人たちのために歌ってるの。だから、ゴミ捨て場の人たちにひどいことを言うなら、もう来ないでほしい」
 キッパリ言うと、住人から「そうだそうだ!」「いいぞ、レイナちゃん!」と拍手喝采が起きる。

「せっかく来てあげたのに」
 少女の一人が不満をぶつけると、「レイナは来てほしいなんて言ってない。ここは本来なら、君たちが来る場所じゃないんだ。君たちがお邪魔してる立場なんだから、ここに住む人たちに敬意を払うべきじゃないだろうか」と裕が冷静に言う。
 少女たちは何も言い返せない。
「いいよ、もうっ」
「行こ行こっ」
 3人はムッとした表情のまま去って行った。 
 住人は「帰れ帰れ~!」「もう来るなよー!」と大きな拍手をする。

「はーい、それじゃ、次の曲を歌います!」
 レイナは再び歌いだす。
 住人はみな嬉しそうに聴いているが、裕は何かが気にかかっているような表情をしていた。