「翠蘭、翠蘭……!?」
夕刻、天青宮を訪れた憂炎は、もぬけの殻の室内を見て顔色をなくした。慌てて他の部屋も覗いて見るも、いつもならば直ぐに感じ取れる彼女の気配がまるでない。
いつもの部屋に戻ると、机のうえに折りたたまれた紙が置いてあることに気が付いた。
はっとして広げると、そこには翠蘭の文字で、別れの言葉が認められている。
(くそ……どこへ……っ)
ちりちりと首筋が熱くなってくる。そこには、憂炎が男の身でありながらこの国の次代皇帝となるため、女として育てられるに至る理由となるものが存在していた。
朱雀の徴――この朱華国の建国神話にある、守護神獣の徴だ。
代々女性にしか顕われないと言われていたこの徴が、なぜ男である自分に顕われたのかはわからない。ただ今は――どうしてかこの徴さえあれば、自分の片翼のところへいける。そんな確信が頭を支配していた。
そして、それは間違いなく――彼女のことだ。
(翠蘭……!)
その姿を脳裏に思い浮かべ、まるで炎のように熱く感じる徴に身を委ねる。そうすると、憂炎の身体は光に包まれ、それが消えたときにはその場から姿を消していた。
「さて……」
その頃、捕らえられた翠蘭は、縄を打たれ床に転がされていた。おかしな縛り方をされたのか、腕が痛いだけではなく、そこが埃まみれなせいで、息を吸うたびに咳き込んでしまう。そのせいで、翠蘭はぜえはあと肩で息をし、さらには目が痛くて涙がぽろぽろとこぼれてしまっていた。
その姿を見おろして、ふんと鼻を鳴らしたのは壮年の男性だ。まるで見覚えはないが、なんだか嫌な目つきをした男だということだけは分かる。
「まったく、陛下はこんなちんくしゃのどこがお気に召したのか……うちの息子の袍がよほど……」
とん、とつま先で肩口を蹴りつけられ、痛みに顔をゆがめる。だが男は口元をゆがめると、吐き捨てるように言った。
「おまえたちの一族は、癒やしの力が使えるのだろう?怪我をしたところで、たいしたことはあるまい――そう、以前にも言ったというのに」
「……以前にも?」
男の言葉を聞きとがめ、翠蘭は目線を彼へと向けた。翠蘭を縛り上げ、自由を奪ったことで何もできないと侮ったのか、男は得意げに笑うと口を開く。
その内容は、翠蘭にとってまさに求めていた情報そのものだった。
「以前にも、おまえと同じように癒やしの力を使える少年を捕まえたのだがな……なに、力を使うのを嫌がるから、少し痛めつけてやったら――馬鹿なことに、それでも力を使わずに衰弱死してしまったのさ」
本当に、馬鹿なやつだ。そう嘲るように付け加えた男に、翠蘭は怒りの籠もった視線を向けた。
(こいつが……!)
怒りで心が震える。ぎりりと睨みつけると、男はその態度が気に入らないのか、もう一度足を振り上げた。
今度は先ほどよりも強く蹴りつけるつもりだ――そう分かっていたが、視線は逸らさない。
その足が振り下ろされそうになったその時――翠蘭の目の前に、光の塊が現われた。そのまぶしさに一瞬目を閉じた直後――「うわぁっ」という情けない悲鳴が聞こえる。
「おまえは……宋尚書……?っ、す、翠蘭……っ」
「え、ゆ……憂炎……?」
恐る恐る目を開くと、そこにいたのは麗しい女帝の姿をした憂炎だった。憂炎は翠蘭の姿に気が付くと、急いで駆け寄り助け起こす。
彼が現われたことでほっと気が緩んだのか、翠蘭の身体から力が抜ける。くったりと彼に寄りかかり、ほっと息を吐き出した。
「な、なぜ……なぜ陛下がここに……!?」
「おまえこそ、どうして翠蘭を――!」
「憂炎、こいつよ……こいつが、皓宇を攫った犯人なの……!」
翠蘭が必死に訴えると、憂炎はチッと舌打ちし、男――宋尚書を睨みつけた。
「先日の、後宮内で翠――皓宇を襲わせたのも、宋貴婿の命によるものと調べがついたところだ。親子揃って良くも……!」
「へ、陛下……!」
憂炎が怒りに燃える目を向けると、その背後に炎の影が揺らめく。それに怖れを成したのか、腰を抜かした宋はへたり込むと叩頭して釈明を始めた。
「ち、違うのです……私は、その……癒やしの異能を持つ者を、陛下に捧げようと……!それがその者だとは知らなかったのです……」
「う、うそよ……!先ほど、私のことを一族の生き残りだと知っていた……!」
翠蘭の言葉に、憂炎はますます眦をつり上げ、宋を睨みつける。まるで視線で射殺しでもしそうなほどに強い怒りに触れ、怖れを成した彼は震えながら命乞いをした。
「お、お助けください……お助けを……っ」
「……どうする、翠蘭。こいつがおまえの仇だというのなら……ここで」
手にかけても良い、とはっきりと口にしたわけではない。だが、翠蘭には彼の言いたいことが分かった。
どうしてか、先ほどから彼との間に強い絆を感じる。おそらく、彼の方もだろう。
(わかってる……)
翠蘭は小さく首を振ると、口を開いた。
「司法の手に委ねます。全てをつまびらかにして、公正な裁きを」
「ん……聞こえたか、宋尚書。この裁きは公の場で、だ。逃げても俺にはわかるからな……覚悟して待てよ」
「はっ……」
宋は頭を地面にこすりつけ、震えながら頷いた。
夕刻、天青宮を訪れた憂炎は、もぬけの殻の室内を見て顔色をなくした。慌てて他の部屋も覗いて見るも、いつもならば直ぐに感じ取れる彼女の気配がまるでない。
いつもの部屋に戻ると、机のうえに折りたたまれた紙が置いてあることに気が付いた。
はっとして広げると、そこには翠蘭の文字で、別れの言葉が認められている。
(くそ……どこへ……っ)
ちりちりと首筋が熱くなってくる。そこには、憂炎が男の身でありながらこの国の次代皇帝となるため、女として育てられるに至る理由となるものが存在していた。
朱雀の徴――この朱華国の建国神話にある、守護神獣の徴だ。
代々女性にしか顕われないと言われていたこの徴が、なぜ男である自分に顕われたのかはわからない。ただ今は――どうしてかこの徴さえあれば、自分の片翼のところへいける。そんな確信が頭を支配していた。
そして、それは間違いなく――彼女のことだ。
(翠蘭……!)
その姿を脳裏に思い浮かべ、まるで炎のように熱く感じる徴に身を委ねる。そうすると、憂炎の身体は光に包まれ、それが消えたときにはその場から姿を消していた。
「さて……」
その頃、捕らえられた翠蘭は、縄を打たれ床に転がされていた。おかしな縛り方をされたのか、腕が痛いだけではなく、そこが埃まみれなせいで、息を吸うたびに咳き込んでしまう。そのせいで、翠蘭はぜえはあと肩で息をし、さらには目が痛くて涙がぽろぽろとこぼれてしまっていた。
その姿を見おろして、ふんと鼻を鳴らしたのは壮年の男性だ。まるで見覚えはないが、なんだか嫌な目つきをした男だということだけは分かる。
「まったく、陛下はこんなちんくしゃのどこがお気に召したのか……うちの息子の袍がよほど……」
とん、とつま先で肩口を蹴りつけられ、痛みに顔をゆがめる。だが男は口元をゆがめると、吐き捨てるように言った。
「おまえたちの一族は、癒やしの力が使えるのだろう?怪我をしたところで、たいしたことはあるまい――そう、以前にも言ったというのに」
「……以前にも?」
男の言葉を聞きとがめ、翠蘭は目線を彼へと向けた。翠蘭を縛り上げ、自由を奪ったことで何もできないと侮ったのか、男は得意げに笑うと口を開く。
その内容は、翠蘭にとってまさに求めていた情報そのものだった。
「以前にも、おまえと同じように癒やしの力を使える少年を捕まえたのだがな……なに、力を使うのを嫌がるから、少し痛めつけてやったら――馬鹿なことに、それでも力を使わずに衰弱死してしまったのさ」
本当に、馬鹿なやつだ。そう嘲るように付け加えた男に、翠蘭は怒りの籠もった視線を向けた。
(こいつが……!)
怒りで心が震える。ぎりりと睨みつけると、男はその態度が気に入らないのか、もう一度足を振り上げた。
今度は先ほどよりも強く蹴りつけるつもりだ――そう分かっていたが、視線は逸らさない。
その足が振り下ろされそうになったその時――翠蘭の目の前に、光の塊が現われた。そのまぶしさに一瞬目を閉じた直後――「うわぁっ」という情けない悲鳴が聞こえる。
「おまえは……宋尚書……?っ、す、翠蘭……っ」
「え、ゆ……憂炎……?」
恐る恐る目を開くと、そこにいたのは麗しい女帝の姿をした憂炎だった。憂炎は翠蘭の姿に気が付くと、急いで駆け寄り助け起こす。
彼が現われたことでほっと気が緩んだのか、翠蘭の身体から力が抜ける。くったりと彼に寄りかかり、ほっと息を吐き出した。
「な、なぜ……なぜ陛下がここに……!?」
「おまえこそ、どうして翠蘭を――!」
「憂炎、こいつよ……こいつが、皓宇を攫った犯人なの……!」
翠蘭が必死に訴えると、憂炎はチッと舌打ちし、男――宋尚書を睨みつけた。
「先日の、後宮内で翠――皓宇を襲わせたのも、宋貴婿の命によるものと調べがついたところだ。親子揃って良くも……!」
「へ、陛下……!」
憂炎が怒りに燃える目を向けると、その背後に炎の影が揺らめく。それに怖れを成したのか、腰を抜かした宋はへたり込むと叩頭して釈明を始めた。
「ち、違うのです……私は、その……癒やしの異能を持つ者を、陛下に捧げようと……!それがその者だとは知らなかったのです……」
「う、うそよ……!先ほど、私のことを一族の生き残りだと知っていた……!」
翠蘭の言葉に、憂炎はますます眦をつり上げ、宋を睨みつける。まるで視線で射殺しでもしそうなほどに強い怒りに触れ、怖れを成した彼は震えながら命乞いをした。
「お、お助けください……お助けを……っ」
「……どうする、翠蘭。こいつがおまえの仇だというのなら……ここで」
手にかけても良い、とはっきりと口にしたわけではない。だが、翠蘭には彼の言いたいことが分かった。
どうしてか、先ほどから彼との間に強い絆を感じる。おそらく、彼の方もだろう。
(わかってる……)
翠蘭は小さく首を振ると、口を開いた。
「司法の手に委ねます。全てをつまびらかにして、公正な裁きを」
「ん……聞こえたか、宋尚書。この裁きは公の場で、だ。逃げても俺にはわかるからな……覚悟して待てよ」
「はっ……」
宋は頭を地面にこすりつけ、震えながら頷いた。