かんちゃんが坂下さんのもとへ歩いていくのを見送ったところで、電車が駅に止まった。
 ドアが開く。スーツを着たサラリーマンに混ざり、同じ制服を着た高校生たちも、何人か乗ってくる。
 わたしたちの高校の最寄り駅は、このもうひとつ先だ。
 だけど気づけば、わたしは開いたドアから飛び出すように、電車を降りていた。

 背後でドアが閉まり、電車が動き出す。かんちゃんが気づかなかったことを祈りながら、はじめて降りたその駅のホームで、電車が去るのを待つ。
 ひとりきりになった途端、痛みははっきりとした輪郭をもって胸に届いた。
 一気に喉元までせり上がったそれに、息が詰まる。喉の奥が熱い。息を吸おうとしたら喉が引きつって、変な声が漏れた。
 気づけばそれは嗚咽になっていて、わたしは崩れるようにしゃがみ込む。うつむくと、涙がコンクリートにぼたぼたと落ちた。
 電車が行ったばかりの小さな駅のホームに、ひとけはなかった。無人駅らしく、駅員さんも誰もいなかった。だからわたしはそのまま嗚咽も堪えず、思いきり泣いた。

 ――好きだった。
 さっきかんちゃんが向けてくれた言葉を、舌の上でなぞる。
 ――ずっと。たぶん、保育園の頃から。
 そうしてそのたび、あの日の保育園の教室が瞼の裏に浮かぶ。
 こんどいっしょに行こう、と。そう言ってわたしに柚島の海を描いてくれた、あの日のかんちゃんが。
 ――ななみちゃんが、もう少し元気になったら。いっしょに、ゆずしまに行って、うみで遊ぼう。
 ひとりだけ置いていかれたと、絶望していたあのとき。その言葉に、わたしがどれだけ救われたかなんてわからない。
 それからずっと覚えていた。あの日のかんちゃんの笑顔も、声も、ぜんぶ。わたしの、すべてになるぐらいに。
 だから。
 そう、だから。

 ――七海には無理だろ。
 数年後に向けられたその言葉が、許せなかった。
 拒絶された、と思った。かんちゃんに。柚島行きじゃなくて、この先、わたしと並んで歩いていくことを。

 そう思ったとき、大嫌いになった。
 かんちゃんからそんなふうに言われてしまう、不甲斐ない自分が。
 かんちゃんといっしょに歩けない、どこまでも弱くてだめな自分が。
 悲しくて悔しくて、見返してやりたいと、たぶんその頃から胸の底でそんな気持ちが生まれていた。自分でも気づかないぐらい、うんと奥のほうで。だけど頑として動くことなく、いつだってそこに横たわっていた。

 体育の授業に参加したときも。生徒会に入ったときも。卓くんと柚島へ行く計画を立てていたときも。
 わたしにはこんなこともできるんだって。わたしでも、こんなに、頑張れるんだって。
 教えたかった。見せつけたかった。わたしといっしょに歩いてくれなかった、彼に。
 そうすれば、わたしはわたしを、好きになれそうな気がして。

 好きだった。
 何度目かなぞったその言葉は、わたしの声になって響いた。
 本当に、好きだった。
 あの日の笑顔も声もぜんぶ。宝物だった。十年間、あきれるぐらいにずっと。ずっとわたしの中には、かんちゃんがいた。

 あの日から色合いや手触りはだいぶ変わってしまったけれど、それでも。
 ――きっと、わたしの初恋だった。