――だけどけっきょく、次の体育に参加することは叶わなかった。
体調を崩したわけでも、誰かに止められたわけでもない。ただ、次の体育では持久走をやると聞いたときに、さすがにこれは無理だと自分で判断した。
体育でやる運動の中でも、『これならいけそう』とか『これはぜったいに無理』とかいうランク付けがわたしの中にあって、持久走といえば、『これはぜったいに無理』の最たるものだった。小学校の頃から一度も、参加したことはない。お母さんやかんちゃんからも当然のように止められてきたし、わたしにとっても、持久走なんてわたしにできるはずがない、とハナからあきらめているものだった。
だからその日は体操服に着替えることもなく、制服のままグラウンドに出ると、
「あれ、樋渡くん」
グラウンドには、もうひとり制服姿の生徒がいた。前回の体育でもひとりだけ制服で見学していた彼が、今日もまた、同じ格好でいた。
こちらを振り向いた樋渡くんは、わたしの格好を見て、「あれ」と軽く首を傾げると、
「椎野さん見学するの?」
「あ、うん……」
この前彼と交わした会話を思い出して、わたしはちょっと後ろめたくなりながら、
「今日は持久走だって聞いたから。さすがに、やめとこうかなあって」
「そっか。俺も」
知らず知らず語尾が小さくなったわたしに、樋渡くんはとくになにも言うことはなかった。ただそれだけ相槌を打って、「じゃあ、今日もいっしょに見学しとこ」と、やわらかく笑った。
「……あの、樋渡くん」
「うん?」
先日と同じように、わたしたちは校舎近くの日陰に移動した。
グラウンドでは、みんなが準備運動をしている。先生の指示でふたりずつ背中合わせになり、ひとりが身体を前屈させ、その背中にもうひとりを乗せている。
その中には、高校に入学して最初にできた友達である、隣の席の理沙ちゃんもいた。当然ながらべつの女の子とペアを組んで、楽しそうにストレッチをしている。明るい笑い声は、こちらまでよく響いた。
眺めているとなんだか落ち込んできて、わたしは気を逸らすように、隣に座る樋渡くんに話しかけてみる。
「樋渡くんは、その、どうして見学してるの? 今日も、この前も……」
先日も気になったけれど、けっきょく訊けなかった疑問だった。
体調が悪かったのかと思っていたけれど、あのあと、教室に戻った樋渡くんはいたって元気そうだった。咳き込んだり鼻をすすったりといった様子もなかったし、友達と楽しそうに笑っていたり、お弁当もふつうに食べている姿を見かけた。
今日も変わらず、朝から元気なように見えていたけれど、彼はまた、体育を見学している。
どうしてだろう。考えたとき、一瞬、淡い期待がわたしの中をよぎった。
――もしかして、樋渡くんもわたしと同じなのかもしれない、なんて。
「俺さ、走れなくて」
けれど樋渡くんがあっさりとした口調で返した答えは、わたしの予想とは少し違った。
「走れない?」
「うん。長い距離は走っちゃ駄目って言われてるんだ。去年心臓の手術したから、軽い運動ぐらいは大丈夫なんだけど、ジョギングとか持久走とかはちょっとまだ」
「え、え? ちょっと待って」
さらっとした口調とあまりに釣り合わない重い単語が出ていて、わたしは驚いて樋渡くんのほうを見た。
「手術? 心臓の手術したの?」
「うん。去年の夏に」
「え、それで、今はもう大丈夫なの?」
「ふつうに生活してる分には、もうぜんぜん。ただ走るのだけ、ちょっとまだやめておきましょうってだけ。いちおう先生に禁止されてるし、さすがにそれは守らないとなって」
なんでもないことのように笑顔で話す樋渡くんの顔を、わたしは呆けたように見つめてしまった。
そこでまた、彼の肌の白さが目についた。周りの男の子に比べるとちょっと心配になってしまうぐらいの線の細さも、それを思えば合点がいった。
わたしと似ている気がする、と、心の片隅で感じた理由も。
「それがなかったら、参加したかったんだけどね。持久走」
わたしが返す言葉に迷っているうちに、樋渡くんは朗らかな口調で続けた。
明るい声の響くグラウンドのほうを眺め、眩しそうに目を細める。
「楽しそうじゃない? 持久走って。すごい憧れてる」
「……楽しそう、かな?」
持久走がそんなふうに評されるのをあまり聞いたことがなくて、わたしはちょっと首を捻る。
持久走といえば、体育の中でももっとも嫌われている種目、という印象だった。今日だって、持久走をやると聞いたみんなからはブーイングが起きていた。
わたしはやったことがないけれど、どれだけきついのかはみんなの様子を見ていればよくわかった。苦しげな顔をして、重たい足を必死に動かすようにして走るみんなの姿を、小学校の頃から何度も見てきた。
ひとりだけグラウンドの外から、頑張れ、と声を張り上げることしかできずに。
思い出すと、ふいに胸がずきんと痛んだ。
――いいなあ、七海ちゃんは。
そんなふうに応援していたら、走り終えたひとりの女の子から、吐き捨てるように言われたこと。
――ひとりだけ走らなくてよくて。ずるい。
「もちろん、めちゃくちゃきついんだろうけどさ」
わたしが黙っているあいだに、樋渡くんはあいかわらず朗らかな口調で重ねる。穏やかな横顔でグラウンドのほうを眺めながら、
「でもそういう、自分の限界まで走る、みたいなのやってみたくて。走り切ったあとの満足感とか、清々しさとか。そういうの味わってみたい。ぜったいできないからこそ、憧れちゃうんだろうけど」
「――わかる」
気づけば、わたしの口からはぽろっとそんな言葉がこぼれ落ちていた。
こぼしたあとで、驚いた。今までそんなこと、思ったことはなかったはずなのに。
だけど樋渡くんの言葉を聞いているうちに、瞼の裏に浮かんだ。苦しそうに歯を食いしばるようにして、それでも必死にゴールへ向かって走り続けるみんなの姿。そうして走り切ったあとの、やりきった、という感じがあふれる笑顔の清々しさ。わたしにはぜったいに浮かべられない表情だと思いながら眺めていた、そのときのみんなの顔が、本当に眩しかったこと。
うらやましかった。わたしもあの中に入りたかった。めっちゃきつかったー、なんて、汗の浮かぶ赤い顔で、友達と笑い合ってみたかった。
だから。
「……わたしも、やってみたい。持久走」
口に出すとよりいっそう、熱いものがふつふつと込み上げてくるのを感じた。
気づいていなかっただけで、本当はずっと、胸の奥でくすぶっていたのかもしれない。
グラウンドへ視線を向けると、準備運動を終えたみんなが、走り出そうとしていた。先生の合図で、スタートラインに並んでいたみんながいっせいに地面を蹴る。
前回はわたしも、あの中にいた。ぜんぜんついていけずに、ひとり取り残されてしまった。だから今日も当然無理だと思って、最初からあきらめてしまったけれど。
――やっぱり、いたかった。あの中に。
今更、そんなことを強く思う。
けっきょく無理なのだとしても、いい。最後まで走れなくても。みんなよりできなくてもいいから、みんなと同じように、精いっぱい頑張ってみたかった。最初から、わたしには無理だってあきらめるんじゃなくて。
「じゃあ次は、参加したら?」
「え」
さらっと向けられた言葉に、わたしは樋渡くんのほうを振り向いた。
樋渡くんはあいかわらず穏やかな横顔で、グラウンドを走るみんなを眺めたまま、
「椎野さんは俺みたいに、医者から止められてるわけじゃないんでしょ?」
「う、うん。それはそう、だけど」
「じゃあ一回、やってみてもいいんじゃない?」
当たり前のようにそんな提案をする樋渡くんを、わたしはまた呆けたように見つめてしまう。
樋渡くんの言葉は、今までわたしに向けられてきた言葉たちとあまりに毛色が違って、しばし反応が追いつかない。
七海には無理だよ、やめときなよ、って。そんなふうに言われたときの返し方なら、もう考えるまでもないほど、身体に染みついているのに。
そうだよね、って心配してくれたことに感謝するように微笑んで、わかった、そうする、って、従順さを見せるみたいに頷いて。わたしはずっと、それだけでよかったのに。
「……で、でも」
馴染みのない言葉にわたしは軽く混乱してしまいながら、咄嗟に否定の返しが口をつく。
「参加したら、わたし、ぜったい体調崩しちゃうだろうから……」
「まあ、体調崩すのが嫌なら、そりゃやめたほうがいいと思うけど」
やり取りにふと既視感を覚え、思い出した。
そうだ、前回の体育のときも、樋渡くんはこう言った。わたしが体育に参加したがらないのは、体調を崩すのが嫌だからなんだって、樋渡くんはそんなふうに考えるみたいだ。
そしてやっぱりその言葉には、違う、と言いたくなってしまう。
体調を崩すのなんて嫌じゃない。それが嫌だから、体育に参加したくないわけじゃない。そもそもわたしは、体育に参加したくない、なんて思っていない。
なのにどうして、わたしは当たり前のように見学することを決めたのだろう。たいして悩みもせずに、どうせわたしには無理だから、なんて決めつけていたのだろう。
――今まで無理だったから。
わたしには無理だって、言われてきたから。
だけどそんなの、今までのことで。
明日も、無理だとは、限らないんじゃないのかな。
「……いいのかな、一回、やってみても」
「いいでしょ、そりゃ」
わたしがおそるおそるこぼした言葉に、樋渡くんはあっけらかんと返してくれて、それによりいっそう、ぐんと背中を押された気がした。
そして樋渡くんならきっとこんなふうに返してくれることを、わたしは心のどこかで、期待していた気がした。
顔を上げる。グラウンドを走るみんなが見える。だけどさっきまでとは、微妙に見え方が違う。
――あの中に入りたい。わたしも、走りたい。
あらためて、心の底から、そう強く思った。
体調を崩したわけでも、誰かに止められたわけでもない。ただ、次の体育では持久走をやると聞いたときに、さすがにこれは無理だと自分で判断した。
体育でやる運動の中でも、『これならいけそう』とか『これはぜったいに無理』とかいうランク付けがわたしの中にあって、持久走といえば、『これはぜったいに無理』の最たるものだった。小学校の頃から一度も、参加したことはない。お母さんやかんちゃんからも当然のように止められてきたし、わたしにとっても、持久走なんてわたしにできるはずがない、とハナからあきらめているものだった。
だからその日は体操服に着替えることもなく、制服のままグラウンドに出ると、
「あれ、樋渡くん」
グラウンドには、もうひとり制服姿の生徒がいた。前回の体育でもひとりだけ制服で見学していた彼が、今日もまた、同じ格好でいた。
こちらを振り向いた樋渡くんは、わたしの格好を見て、「あれ」と軽く首を傾げると、
「椎野さん見学するの?」
「あ、うん……」
この前彼と交わした会話を思い出して、わたしはちょっと後ろめたくなりながら、
「今日は持久走だって聞いたから。さすがに、やめとこうかなあって」
「そっか。俺も」
知らず知らず語尾が小さくなったわたしに、樋渡くんはとくになにも言うことはなかった。ただそれだけ相槌を打って、「じゃあ、今日もいっしょに見学しとこ」と、やわらかく笑った。
「……あの、樋渡くん」
「うん?」
先日と同じように、わたしたちは校舎近くの日陰に移動した。
グラウンドでは、みんなが準備運動をしている。先生の指示でふたりずつ背中合わせになり、ひとりが身体を前屈させ、その背中にもうひとりを乗せている。
その中には、高校に入学して最初にできた友達である、隣の席の理沙ちゃんもいた。当然ながらべつの女の子とペアを組んで、楽しそうにストレッチをしている。明るい笑い声は、こちらまでよく響いた。
眺めているとなんだか落ち込んできて、わたしは気を逸らすように、隣に座る樋渡くんに話しかけてみる。
「樋渡くんは、その、どうして見学してるの? 今日も、この前も……」
先日も気になったけれど、けっきょく訊けなかった疑問だった。
体調が悪かったのかと思っていたけれど、あのあと、教室に戻った樋渡くんはいたって元気そうだった。咳き込んだり鼻をすすったりといった様子もなかったし、友達と楽しそうに笑っていたり、お弁当もふつうに食べている姿を見かけた。
今日も変わらず、朝から元気なように見えていたけれど、彼はまた、体育を見学している。
どうしてだろう。考えたとき、一瞬、淡い期待がわたしの中をよぎった。
――もしかして、樋渡くんもわたしと同じなのかもしれない、なんて。
「俺さ、走れなくて」
けれど樋渡くんがあっさりとした口調で返した答えは、わたしの予想とは少し違った。
「走れない?」
「うん。長い距離は走っちゃ駄目って言われてるんだ。去年心臓の手術したから、軽い運動ぐらいは大丈夫なんだけど、ジョギングとか持久走とかはちょっとまだ」
「え、え? ちょっと待って」
さらっとした口調とあまりに釣り合わない重い単語が出ていて、わたしは驚いて樋渡くんのほうを見た。
「手術? 心臓の手術したの?」
「うん。去年の夏に」
「え、それで、今はもう大丈夫なの?」
「ふつうに生活してる分には、もうぜんぜん。ただ走るのだけ、ちょっとまだやめておきましょうってだけ。いちおう先生に禁止されてるし、さすがにそれは守らないとなって」
なんでもないことのように笑顔で話す樋渡くんの顔を、わたしは呆けたように見つめてしまった。
そこでまた、彼の肌の白さが目についた。周りの男の子に比べるとちょっと心配になってしまうぐらいの線の細さも、それを思えば合点がいった。
わたしと似ている気がする、と、心の片隅で感じた理由も。
「それがなかったら、参加したかったんだけどね。持久走」
わたしが返す言葉に迷っているうちに、樋渡くんは朗らかな口調で続けた。
明るい声の響くグラウンドのほうを眺め、眩しそうに目を細める。
「楽しそうじゃない? 持久走って。すごい憧れてる」
「……楽しそう、かな?」
持久走がそんなふうに評されるのをあまり聞いたことがなくて、わたしはちょっと首を捻る。
持久走といえば、体育の中でももっとも嫌われている種目、という印象だった。今日だって、持久走をやると聞いたみんなからはブーイングが起きていた。
わたしはやったことがないけれど、どれだけきついのかはみんなの様子を見ていればよくわかった。苦しげな顔をして、重たい足を必死に動かすようにして走るみんなの姿を、小学校の頃から何度も見てきた。
ひとりだけグラウンドの外から、頑張れ、と声を張り上げることしかできずに。
思い出すと、ふいに胸がずきんと痛んだ。
――いいなあ、七海ちゃんは。
そんなふうに応援していたら、走り終えたひとりの女の子から、吐き捨てるように言われたこと。
――ひとりだけ走らなくてよくて。ずるい。
「もちろん、めちゃくちゃきついんだろうけどさ」
わたしが黙っているあいだに、樋渡くんはあいかわらず朗らかな口調で重ねる。穏やかな横顔でグラウンドのほうを眺めながら、
「でもそういう、自分の限界まで走る、みたいなのやってみたくて。走り切ったあとの満足感とか、清々しさとか。そういうの味わってみたい。ぜったいできないからこそ、憧れちゃうんだろうけど」
「――わかる」
気づけば、わたしの口からはぽろっとそんな言葉がこぼれ落ちていた。
こぼしたあとで、驚いた。今までそんなこと、思ったことはなかったはずなのに。
だけど樋渡くんの言葉を聞いているうちに、瞼の裏に浮かんだ。苦しそうに歯を食いしばるようにして、それでも必死にゴールへ向かって走り続けるみんなの姿。そうして走り切ったあとの、やりきった、という感じがあふれる笑顔の清々しさ。わたしにはぜったいに浮かべられない表情だと思いながら眺めていた、そのときのみんなの顔が、本当に眩しかったこと。
うらやましかった。わたしもあの中に入りたかった。めっちゃきつかったー、なんて、汗の浮かぶ赤い顔で、友達と笑い合ってみたかった。
だから。
「……わたしも、やってみたい。持久走」
口に出すとよりいっそう、熱いものがふつふつと込み上げてくるのを感じた。
気づいていなかっただけで、本当はずっと、胸の奥でくすぶっていたのかもしれない。
グラウンドへ視線を向けると、準備運動を終えたみんなが、走り出そうとしていた。先生の合図で、スタートラインに並んでいたみんながいっせいに地面を蹴る。
前回はわたしも、あの中にいた。ぜんぜんついていけずに、ひとり取り残されてしまった。だから今日も当然無理だと思って、最初からあきらめてしまったけれど。
――やっぱり、いたかった。あの中に。
今更、そんなことを強く思う。
けっきょく無理なのだとしても、いい。最後まで走れなくても。みんなよりできなくてもいいから、みんなと同じように、精いっぱい頑張ってみたかった。最初から、わたしには無理だってあきらめるんじゃなくて。
「じゃあ次は、参加したら?」
「え」
さらっと向けられた言葉に、わたしは樋渡くんのほうを振り向いた。
樋渡くんはあいかわらず穏やかな横顔で、グラウンドを走るみんなを眺めたまま、
「椎野さんは俺みたいに、医者から止められてるわけじゃないんでしょ?」
「う、うん。それはそう、だけど」
「じゃあ一回、やってみてもいいんじゃない?」
当たり前のようにそんな提案をする樋渡くんを、わたしはまた呆けたように見つめてしまう。
樋渡くんの言葉は、今までわたしに向けられてきた言葉たちとあまりに毛色が違って、しばし反応が追いつかない。
七海には無理だよ、やめときなよ、って。そんなふうに言われたときの返し方なら、もう考えるまでもないほど、身体に染みついているのに。
そうだよね、って心配してくれたことに感謝するように微笑んで、わかった、そうする、って、従順さを見せるみたいに頷いて。わたしはずっと、それだけでよかったのに。
「……で、でも」
馴染みのない言葉にわたしは軽く混乱してしまいながら、咄嗟に否定の返しが口をつく。
「参加したら、わたし、ぜったい体調崩しちゃうだろうから……」
「まあ、体調崩すのが嫌なら、そりゃやめたほうがいいと思うけど」
やり取りにふと既視感を覚え、思い出した。
そうだ、前回の体育のときも、樋渡くんはこう言った。わたしが体育に参加したがらないのは、体調を崩すのが嫌だからなんだって、樋渡くんはそんなふうに考えるみたいだ。
そしてやっぱりその言葉には、違う、と言いたくなってしまう。
体調を崩すのなんて嫌じゃない。それが嫌だから、体育に参加したくないわけじゃない。そもそもわたしは、体育に参加したくない、なんて思っていない。
なのにどうして、わたしは当たり前のように見学することを決めたのだろう。たいして悩みもせずに、どうせわたしには無理だから、なんて決めつけていたのだろう。
――今まで無理だったから。
わたしには無理だって、言われてきたから。
だけどそんなの、今までのことで。
明日も、無理だとは、限らないんじゃないのかな。
「……いいのかな、一回、やってみても」
「いいでしょ、そりゃ」
わたしがおそるおそるこぼした言葉に、樋渡くんはあっけらかんと返してくれて、それによりいっそう、ぐんと背中を押された気がした。
そして樋渡くんならきっとこんなふうに返してくれることを、わたしは心のどこかで、期待していた気がした。
顔を上げる。グラウンドを走るみんなが見える。だけどさっきまでとは、微妙に見え方が違う。
――あの中に入りたい。わたしも、走りたい。
あらためて、心の底から、そう強く思った。