サ終。すなわちそれはサービス終了を意味する、悪魔の言葉。

 寿命という誰しもが保持するスキルのせいで、永遠に生きる事が許されない俺たち人間は、仮想空間の中にいてもなお、いつか来るであろうその日に怯えながら暮らしている。

 それは俺の両親も例外ではなく。
 その日は朝からうざいくらいに(さわ)がしかった。

「今日は有給だ!もう一度言う、俺は今日、有給だ!!」

 三日前から悲壮感を漂よわせていた父は、その日吹っ切れたように朝から高らかに宣言し。

「みんな朗報よ!今日の夕飯は贅沢にも二日目のカレーですって!」

 母もまた、前日から今日の日を迎える準備を万端にしているという、念の入れよう。

 というのも、両親の世代に絶大なる人気を誇っていた、電脳(でんのう)系VRMMORPGの元祖(がんそ)と言われるネバークエスト、通称NQがついに終わりの日。つまりサ終を迎えようとしていたからだ。

(そこまでかよ……)

 両親の気合いに呆れると共に、大人はいいよなと僻む気持ちを抱く。

 たかがゲームごときで堂々と休みがもらえる上に、金までもらえるのだから大人はずるい。

(あぁ、学校休みてー)

 やるせない気持ちで学ランに(そで)を通し、玄関に向かう。

「行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけてね。あ、そうだ」

 閃いたと言った感じで手を叩く母。
 俺は嫌な予感と共に靴を履く。

「帰りにコンビニでいいからさ、明日の朝食べるパンをお願いできるかな?出来れば六枚切りのナマザキの食パンで」

 部屋着姿の母はまるで犬に「待て」をするように手を前に突き出したのち、リビングに消えた。そして数秒後、ドタバタと走りながら戻ってきた。

「好きなお菓子、一個買っていいわよ」

 満面の笑みで俺は千円札を押し付けられた。
 どうやら今日は買い物に行く気すらないようだ。

(というか、菓子って……)

 一瞬現金や電子決済が出来る魔法のカードのほうがよっぽど嬉しいのにと不満に思う。しかしここで文句の一つも返せば見事母に捕まり、俺は予定していた電車に乗り遅れること確定。

「ナマザキのパンがなかったら?」

 諦めの境地たっぷりで尋ねる。

「それは困る。春だ、パンダ祭り中だから」

 ニコリと笑みをもらす母から、無言の圧をかけられた。

「探せってこと……了解」

 俺はため息をひとつ吐き、耳にイヤフォンを挿し、一人の世界に閉じこもる準備を整えた。

「気をつけてね!」

 強制的に気分をあげるために流したはずの、気にいった楽曲の音を上回る勢いで、ご機嫌な母の声が乱入する。

(最悪だ)

 朝から少しだけ不機嫌な気持ちを抱え、俺は逃げるように家を出たのであった。



 ***



 どうやら今日は両親にとって、息子の日常を探る事よりも、サ終するゲームのほうが重要らしい。

 よって普段なら()りもせず、「今日はどうだった?」と、もはや定型文となるソレを母の口から聞くこともなく。

 俺は心ここにあらず、といった感じの両親と夕飯を(そろ)ってとっていた。

「何だか葬式を迎える気分だ」
「そうだよね。次このくらい夢中になれる(りょう)ゲーに出会えるかどうかわかんないもんね」

 父と母は同時にため息をつく。

「勿論今となってはNQより優れたゲームはある。しかし結局のところ、NQの世界に降り立った時の、何とも言えないあの感動は、他では二度と味わえないんだよな」
「まぁ、世界中のゲーマーを電脳VRの世界に引き込んだ元祖だものねぇ」

 遠い目をし、二日目のカレーを食しながら、しみじみと語る両親。

「とにかく、最後のお祭りを楽しむしかないな」
「そうだね。(なぎ)君。今日は早めにお風呂に入っちゃってね」
「りょ」

 風呂に入れと急かされた俺は、胃を休める事なく、いつもよりかなり早めに入浴する羽目になる。

 そして慌ただしく風呂から出た俺は、自分の部屋へ直行し、引き篭もる事にした。

 スマホ片手にベッドに寝転がり、SNSのチェックをする。すると「# NQ最後の日」というハッシュタグがついた投稿が目についた。

 何気なくその文字をタップする。するとゲーム画面のスクリーンショットが貼り付けられた投稿やら、思い出を長文で語る投稿などなど。スマホ画面をNQに関する情報が埋め尽くす。

「わりとユーザーがいるっぽいのにな」

 少なくとも我が家は三人家族中、二人がNQの月額課金ユーザーだ。しかもその二人は各々の仕事を放棄してまで、今日という日を惜しむほど熱烈なユーザー。

「サ終か」

 長らく続いたゲームの終末。
 いい大人である、良識ある両親をそこまで夢中にさせる世界とは、一体どんなものなのだろう。

 そんな疑問が湧いた時。
 俺は一つの投稿に目をとめる。

『三十年という長い期間、共に支えて頂いた皆様に感謝の気持ちを込め、最終日は全ての(かた)にサーバーを開放したいと思います。つきましては』

 公式からのお知らせによると、どうやら今日は誰でもNQの世界に無料で旅立てるようだ。

「ふーん。ちょっくら祭りを眺めてみるか」

 突然沸いた、そんな安易な気持ち。

 俺はすっかり部屋の置き物と化していた、電脳VRセットを起動させる。
 わりと高価なそれは、頼んでもいないのに両親によって買い与えられたもの。

 ふーと息を吹きかけ、ヘッドセットにたまる埃を払いながらふと、これらを突然渡された日の事を思い出す。

『息子よ、一緒に旅立とう!』
『パパは凪君とNQを旅するのが夢だったのよね』
『これで夢が一つ叶う』
『あなた、良かったわね!』

 俺が喜ぶ事を疑わない両親。
 そんな浮かれた二人を前に悪いなと思いつつ。

『あー、俺MMOには興味ないし。友達とFPSする約束してるから』

 無情にもそう言い放った。
 その瞬間見せた、父のわりと寂しげな表情を思い出し、いまさら胸が痛む。

「というか、中二なんて、親を一番うぜーと思う時期だっての」

 過去のつれない自分を最大限庇護(ひご)し、親不孝気味なやりとりを記憶の奥底に封印する。

 あれから約三年。

「さてと、観光するか」

 俺はとうとう、NQにログインした。
 もちろん、両親には告げずソロで。

 現在の俺はもうすぐ十七歳。よって思春期独特の特に理由もなく、「親うぜー」という暗黒なる思いは落ち着いた。しかし、現在もあの二人に絡まれると面倒だと思う気持ちは秘めている。

 そもそも大抵の親は面倒くさい。
 それは貧富の差や言語。それから性別に関係なく、万国に共通する十七歳の嘘偽りない思いのはずだ。

 よって両親と共にNQ最後の日を楽しもう。そんな親孝行な思いはわきもしなかった。

「ゲームの中でも親にアレコレ言われるとかうざいし」

 電脳VRMMORPGセットに脳波を繋いだ俺は、光の塊となり出口を目指しながら愚痴る。

 そして降り立ったのは、キャラメイク画面。

「古くさいな……」

 今どきの電脳VRMMORPGは脳に描いた姿を一瞬でアバター化するのが普通だ。

 電脳VRシステムに繋いで、数秒。
 すぐにその世界に降り立つのが常識。

 しかし三十周年を迎えたというNQは、古きよき……というと聞こえは良いが、明らかにシステムが時代遅れだと感じざるを得ない。

「めんど」

 性別は勿論のこと、種族から信仰、それに職業まで細かく最初に選択しなければいけないという現実を前に、既にログアウトしたくなる。

「でもま、せっかく繋いだしな」

 特にやりたいゲームもなかった俺は、このまま続行する事を決めた。

「ふむ」

 光の塊となっている俺は悩む。

 NQと言えば、父の部屋にさりげなく飾られたフィギュア。美人なエルフのお姉さんを真っ先に思い出す。

「けど、流石に俺は男だし」

 現実世界で男子ばかりが詰め込まれた環境、すなわち男子校に放り込まれたせいか、ゲームの世界の中でまで、男子にまとわりつかれるのはちょっと無理だと感じた。

「ノームやドワーフはなぁ……」

 ちびキャラ的な存在の二種族は、視界の低さになれるまで大変そう。カエルやトカゲキャラは爬虫(はちゅう)類がそこまで好きではない為、却下。

「自分の身体がぬるっとしてるとかないし。ええとあとは……」

 どう見ても筋肉系特化らしい脳筋バーバリアンに、おでこが謎に広い……つまり髪の毛が後退したように思えるエルダイトという謎の種族なども用意されているようだ。

「ま、ここは普通でいいか」

 迷った挙げ句、平凡な思考を持つ俺は安牌(あんぱい)を取る事にした。すなわちそれは、数あるヨーロッパ風な容姿の中、唯一アジアンテイストにして美形の男キャラ、ウッドエルフである。

 そしてキャラ作成で手間取った俺は、職業選択画面に行く頃にはわりと投げやりな気持ちに駆られ、右上に「適性あり」と書かれていたレンジャーとやらを選ぶ事にした。

 つくづくこういう時に、(とが)ったキャラを作成できない所。
 それこそ、俺の平凡たる所以(ゆえん)だと感じずにはいられない。

「でもどうせ、真面目にやり込むつもりはないし」

 俺は軽い気持ちで、キャラ作成の決定ボタンを押す。

「ようこそ、NQの世界へ」

 目の前に大きな文字が浮かび上がり、壮大な音楽が流れ始める。

 電脳VRシステムに繋がれたPCのファンがすさまじく回転する音が部屋に響き、俺の視界が一瞬ブラックアウトした。そして光の塊だった俺は、まるでブラックホールに吸い込まれるように、ある一点を照らす光に向かって落下し始める。

「うわぁぁぁ」

 思いのほか重力を感じ、思わず情けない声をあげてしまう。

(まて、こんな乱暴なログインとか聞いてない)

 まるでフリーフォールに無理矢理乗車のち、落下しているといった感じだ。

(流石三十年前に開発された、(いにしえ)の電脳系VRMMORPGだな)

 現在最先端とされる電脳系VRMMORPGでは、こんなログインの仕方をしたら、裁判沙汰になる事間違いなし。俺は不満を抱えつつも落ちていく。

 程なくして、体をひんやりとした風が撫でる感覚がした。それからざわざわと木々が揺れる音。キューン、キューンと何かが鳴く声と共に、澄んだ空気を全身に感じた。

 足裏がしっかりとした木の板を踏み締めている事を理解したのち、恐る恐る目を開ける。

 ゲーム内時間で夜なのか、薄暗くあまり視界は良くない。

「ようこそ、同士よ」

 突然目の前に現れたのは、耳が尖ったきつね目の男。

「うわっ」

 驚いた俺は思わず後ずさる。その瞬間、足を踏み外し、大きく仰け反る事になった。そしてそのまま落下していく俺の頼りない身体(からだ)

「うわぁぁぁぁ」

 ドサリ。

 背中が無惨にも何かに打ち付けられたと認識する。その瞬間、痛みを感じる間もなく視界がブラックアウトした。

「一体何が起きたんだ?」

 暗闇に一人ポツンと立たされ、嫌でも不安になる中、俺の耳に聞こえるのは「大丈夫ですかー」という女性の声。

「だ、ダメです。助けて下さい」

 すがる気持ちで情けなくも叫んでみる。

「今から蘇生(そせい)しますねー」
「ありがとうご、うわぁぁぁ」

 俺の体はまたもやフリーフォールで落下したような感覚に襲われた。

(何だよこのクソゲー!落ちてばっかじゃんか!!)

 即刻ログアウトしてやると決意し目を開ける。するとそこには、薄暗い林の中。真っ青な皮膚を持つ、それなりに美しい女性が、心配そうな表情で横たわる俺を眺めていた。

「サ終だからね。蘇生の(しずく)は惜しみなく使わないと」

 そう言う彼女の手元には、虹色に光る液体が入った小瓶が握られていた。

「えっと……」
「あ、ごめんなさい。名乗ってなかったですよね」

 彼女は、ふわりと微笑む。

「私の名前はあんこです」
「あ、あんこですか」
「私、あんこが好きだから」
「あ、僕もあんこが好きです。それと、助けて頂いてありがとうございます」

 口早に答えてから思う。軽い気持ちで「あんこが好き」だなんて口にしてしまったが、それはつまり、告白したも同然なのではないかと焦る。

「ふふふ、ありがとう」

 俺の動揺を他所(よそ)に、彼女……あんこさんは嬉しそうに笑っていた。

「あなたの名前は?」
「凪と言います」

 素直に答えると、あんこさんは目を丸くした。
 そしてワンテンポ遅れて笑顔を俺に向けた。

「すっごくいい名前!」
「そ、そんな事無いですよ」
「凪くんかぁ……」

 まるで大事な名前といった感じで俺の名前を呟くあんこさん。正直全体的に青い体が気になるが、それ以外はむしろタイプかも知れない。

「さ、起きて」

 あんこさんに手を差し出され、ふと気付く。

 彼女は胸元を隠す布に腰巻きという、何とも心許ない服装だ。俺は目のやり場に困り果て、紳士的な気持ちを思い起こし視線を彼女から逸らした。

 そして新たな発見をする。

(ん?)

 それは、あんこさんの手にしっかりと握られたもの。紫色の邪悪なモヤを煌々(こうこう)と放つ、ドクロに棒を突き刺した、何とも趣味の悪い杖である。

(も、もしやメンヘラ?)

 死を連想するドクロを前に、先程浮かんだホワホワとした甘い気持ちが一気に吹き飛ぶ。

(メンヘラとかまじ、勘弁なんだけど)

 ()み系女子に迂闊(うかつ)に手を出すなと言う、クラスメイトの言葉がよぎる。
 尻をついたまま、もはや命の恩人だという事実を無視し、俺はこの場から離脱しようと後ずさる。

(こ、こっちに来るな)

 彼女いない歴イコール年齢の俺に、メンヘラは難易度が高すぎるというもの。

「それにしても、ケレディンの町から落下死。ニュービーあるあるだよね。懐かしいなぁ」

 目を細めつつ、俺にジリジリとにじり寄るあんこさん。

「ら、落下死ですか?」
「そう。ほらあそこにもナギ君のお仲間が」

 あんこさんが手にしたドクロの杖で指す場所に顔を向けると、今まさに木の上から落下しているプレイヤーの無様な姿があった。

(なるほど、俺もあんなふうに落ちたのか)

 頭上には木と木の間を吊り橋で繋ぐ形で作られた、わりと立派な街がある。
 そしてまた新たに吊り橋から足を踏み外したらしいプレイヤーが「そんな馬鹿な」と叫びながら落下していた。

「落下防止の見えない壁とかないんですか?」
「ふふ、そんなのないよ」
「……な、なるほど」

 どうにもNQという世界はプレイヤーに優しい設計ではないようだ。流石いにしえの電脳VRMMORPGである。

「あんこちゃん、そろそろフリーポートに行こう」

 新たな声がして振り向くと、そこにはやたら色白な男がいた。俺と同じ尖った耳を持つ美形な優男(やさおとこ)ふうな男だ。

 服装は俺と同じ布のシャツにズボンといった、明らかにこの世界に降り立ったばかりのニュービー、つまり初心者用の装備に身を包んでいる。

 しかしその手には、赤、青、緑、白に紫といった、五色の宝石がついたゴージャスなメイスのような物がしっかりと握られている。

(この人達は強そうだ)

 何故ニュービーのような装備に身を包んでいるかは不明だ。しかし、俺の野性的第六感が目の前の二人を強者だと認識していた。

「ところで、あんこちゃん。それだれ?」

 優男が怪しげな視線を俺に向けたのち、いきなりしゃがみ込むと腰を斜めに折ったまま、俺の周囲を旋回(せんかい)しはじめた。

(こいつも、色々な意味でやばい奴かも)

 俺は慌てて立ち上がる。

「ええとね」

 何故かあんこさんも腰を折り、優男に続き、立ち上がった俺の足元を周回し始める。もはやアヒルが二匹。俺を逃すまいと、足元でまとわりついているといった状況。

意味不(いみふ)なんだが)

 どうやら俺は相当頭がアレな奴らに絡まれてしまったらしい。

「この人の名前は、ナギ君って言うんだって」
「なんだと!!」

 優男が突然立ち上がり、俺の両腕をガシリと掴む。そしてジッと俺の顔を探るように見つめた。

「ふむ、君の名は良い名だな。俺の名はしらたまだ」
「あ、ありがとうございます、しらたまさんも、その、いい名前ですね」
「あぁ、あんことは相性バツグンだからな」

 何故か得意げに胸を張るしらたまさん。

(やっぱこの人、やばいだろ)

 俺は腕を振り払いたい気持ちを必死に抑える。そして、何とかこの二人から逃げ出さねばと、出来たら穏便(おんびん)にこの場を去る方法はないかと思考を巡らせた。

「よし、フリーポートに行くぞ」
「え?フリーポートって何ですか?」

 咄嗟に質問してしまい、しまったと思ったが時すでに遅し。何故か俺はしらたまさんに腕を掴まれた。

「フリーポートというのはね、ヒューマンの街。今日はそこでサ終を迎えようって、掲示板でそう決まったから」

 説明を口にしながら立ち上がるあんこさんにも、ガシリと腕を掴まれる。

「ええと僕は……」
「「レッツゴー」」

 息の合った掛け声により、俺はまるで捕獲(ほかく)された宇宙人のように、手を引かれるがまま、引きずられる状態で歩き出すのであった。


 ***


 しらたまさんのグループゲートという魔法で、一気に違う大陸に飛ばされた俺。

 辿り着いた新たな場所は、ヒューマンの生まれ故郷であり、港を併設しているフリーポートという街らしい。
 先程いた鬱蒼と茂る、どこか陰気な雰囲気のする森の中とはうって変わり、明るい空に眩しい日差し。

 そして何より、多くのプレイヤーで溢れかえっていた。

「うわぁ、フィギュアみたいな人がいる」

 父の部屋にあるポニーテールをした美人なフィギュアそっくりな人を見かけ、俺は思わず声をあげてしまう。

「あれはハイエルフだな。因みに俺もハイエルフだ。そしてあんこちゃんはダークエルフで君はウッドエルフ……やはりエルフは尊いな」

 しらたまさんは、さりげなくあんこさんの腰を撫でながらよくわからない説明を口にした。

「ちょっと、しらちゃん。セクハラしないで。というか、みんなは何処(どこ)だろう」

 キョロキョロと辺りを見回すあんこさん。

(チャンスかも)

 俺はこれ以上二人に関わらないようにしようと心に決めた。

「色々とありがとうございます。ここなら落下死の心配もなさそうですし、では!」

 頭を下げたのち、逃げるようにその場から走り去る事に成功する。

「ふぅ、逃げられた」

 助けてもらった事に多少の恩を覚えつつ、それでも無事あの二人から逃げ切った事にホッと胸を撫で下ろす。

「さてと」

 一息ついた俺は通りの石垣の上に飛び乗る。
 そして初めて訪れた、王道ファンタジー感溢れる景色をじっくりと眺める。

「三十年前から続くゲームとは思えないな」

 最新の電脳VRMMORPGに比べるとグラフィックの差は歴然だ。けれど何処か古臭さく感じる雰囲気が、如何(いか)にも中世ヨーロッパといった感じ。この世界に良くマッチしているように思えた。

 通りの両側には(のき)を連ね、多くの店が並んでいる。その前では仲間同士で仲良さげに会話を交わす人や、赤ら顔で花火のような物を(そろ)って空に向け噴射している人もいた。

「これだけの人がいてもサ終するのか」

 俺はメインとなる通りを埋める勢いで集まる人々を眺め、意外に思う。

(あ、でも俺みたいにタダだからログインしたってやつもいるか)

 自分と同じように、初期装備に身を包む者の数が多い所を見ると、案外冷やかしが多いのかも知れない。

「ふーん、こんな感じなんだ」

 サ終を迎える瞬間。
 もっとしんみりしたものになるのかと思ったが、意外にも皆楽しそうに見える。

(やっぱ年齢層が高いからか?)

 初代電脳VRMMORPGと謳うだけあって、ユーザーもNQの歴史と共に着々と年齢を重ねているはず。

(下手すりゃ他界してる人だっているかも知れないし……)

 そう考えるとサ終だからと言って、取り乱す人がいない事に納得出来る気がした。

「NQで冒険した日々を忘れないからね」
「また新しいNQが始まるのを期待してるよ」
「お前らともこれでお別れだな」
「寂しいこと言わないでーー」

 聞き覚えのある声がしたと思い、振り向く。
 すると衣料品店の屋根に、腰を折りぐるぐると一列の輪になって回る謎の集団がいた。しかも何故か皆、手には武器ではなく、ピカピカと光る釣り竿を持っている。

 そのどう見てもおふざけ系ギルドといった集団の中に、あんこさんとしらたまさんと思われる人物の姿を発見した。

(あの人達……まさか釣りをするためにこの世界に?)

 全く思考が読めない人達だが、とりあえずかかわると良いことがなさそうなのは確かだ。
 俺はひっそりと怪しい集団から顔をそらす。

 そしてついにその時は訪れた。

「この度『ネバークエスト』は20××年三月一日をもちまして、サービスを終了させて頂くことになりました。三十年の長きに渡りご愛顧(あいこ)頂きましてありがとうございました」

 無機質な女性の声でサ終を知らせるアナウンスが世界全体に響き渡る。そして空にパーンと大きな花火が打ち上がった。

「この世界は終わりますが、皆様の心の中。そちらに残る思い出はいつまで……ジジジ……ジジジ……」

 突然アナウンスが途切れた。

「何だ?」
「やっぱサービス終了するのはやめたんじゃねーの」
「こんだけ人が集まってるしな」
「だったら最高!!」

 周囲からこの状況を喜ぶような声があがる。

「……ようこそ、NQへ。ただいまよりこの世界はNQ帝国の支配下となります。繰り返します。ようこそNQへ。ただいまよりこの世界はNQ帝国の支配下となります」

 先程までサービス終了を伝えていた、無機質な声がとんでもない事を言いだした。

「バグか?」
「最後のイベント的な?」
「そもそもNQ帝国ってなんだ」
「そんなギルドあったっけ?」
「聞いたことないけど……」

 古参(こさん)らしき、初級装備とは明らかに違う意匠(いしょう)の凝った装備に身を包むプレイヤー達が困惑した声をあげる。

 俺は何となく振り返り、あんこさんとしらたまさんの姿を確認する。すると、二人を含む釣り竿を持った面々は、先程と同じように腰を折ったまま、屋根の上で輪になりぐるぐると回っていた。

(やっぱ関わってはいけないタイプの人達だ)

 俺は視線を戻し、次の言葉を待つため、改めて空を見上げた。

「皆様にはNQ帝国がナボックを討伐するまで、安心安全にお過ごし頂く事を目標とし、帝国国民として日々の生活を営んで頂きます」

 一方的に告げられた言葉。
 その意味をいち早く理解した者達から声があがる。

「それって確か存在すら疑問視される、幻のレイドボスじゃない」
「いるかどうかわからないボスを倒すまで、俺たちはこの世界から出られないってことか?」
「そもそもナボックのいるエリアはまだ誰も全容を解明してないのに」
「つまりNQ連合帝国とやらが、そのエリアを解明したいがために、俺達を閉じ込めたってことか?」

 周囲がざわつき始める。

(って、まじかよ……)

 どうやら俺は、この世界に閉じ込められたようだ。しかもレベル一という、産まれたばかりの子鹿よりも心もとない状態で。

「まぁ、考えようによっちゃ、第二の人生ってことだな」
「そうね、長期休暇と思ってもいいかも」

 屋根の上から呑気な声が聞こえてくる。
 振り返らなくともわかる。今の声はしらたまさんとあずきさんだ。

「って、父さんと母さんも何処かにいるってことか」

 俺は慌てて周囲を見回す。緊急時とあれば、連絡を取るべきだと思ったからだ。
 けれどキャラメイクされ、元の姿が皆目わからない中、両親らしき姿など安易に見つける事は出来ない。

「皆様、ご静粛(せいしゅく)にお願いします」

 再びアナウンスが流れ始めた。

「皆様、ご静粛に願います」
「皆様、ご静粛に願うのです」
「皆様、ご静粛にお願い申し上げます」
「皆様、ご静粛におねがいしまス」
「皆様、ごししゅくニおねガいしマス」
「みンナ、ゴシシュウ、オネガイシマ」

 どうやらバグってしまったようだ。
 無機質な声が何処か愛嬌(あいきょう)ある声に変換され、ニュアンスをわずかに変え、同じ意味の言葉を繰り返す。

「何だよこれ……」
「怖いんだけど……」
「早く直せよ!!」
「つーかログアウトさせろ」

 異変に気付いた人々の怒号があちこちからあがりだす。

「皆様、落ち着いて下さい。この世界からログアウトする事は出来ません。また、この世界でお亡くなりになられても、元の世界で死ぬ可能性はありません。痛みも感じないように設定してありますので、そこは安心して頂いて結構です」

 無機質な声が突然男の声に変わる。

「ふざけんな!!さっさと元に戻せ」
「痛くないならいいじゃん」
「何言ってんだよ!」
「そうだぞ、ログアウトさせろ」
「会社休めねーんだよ!」
「そうだ、そうだ。解雇されたら俺の生活を補償してくれんのかよ!」

 アナウンスの内容に、人々は更にヒートアップしていく。

「うるさい。黙れ。お前たちは静かにニュービーの街で暮らしてろ。以上だ」

 空から聞こえる、明らかに意志を持った男の声。
 そして次の瞬間。

「なっ!?」
「きゃあ」
「なんだよこれ……」
「うわぁぁぁぁ」

 突如地面が光り出すと同時に、無数の黒い腕が現れ人々を掴みあげていく。
 掴まれた人は先程文句を口にしていた人達だ。

「おい、何をする」
「やめて、下ろして」
「きゃー」
「くそっ、離せ」

 空に連れ去られた人々は、次々と姿を消していった。

(ログアウトしたのか?)

 つまり騒げばログアウト出来るというのだろうか。

 ならば俺もと思った瞬間。

「騒ぐやつは強制ログアウトしてやろう。しかしその場合、本体となる体の命は保証しかねる。せいぜいまったり楽しみたまえ」

 その言葉を最後に声は途切れ、うんともすんとも言わなくなった。

「どうしたらいいのよ……」
「自分勝手すぎるだろうに」
「でも、死にたくはないし」
「……そうだな」

 目の前で人が明らかに消滅した瞬間を目撃したせいだろうか。それともユーザーが分別ある大人で埋められているせいだろうか。

 戦意を喪失した様子で、残された俺たちはただただ、静かに空を見つめるのであった。



 ***



 NQの世界に取り残された俺は、運良く高レベルプレイヤーに助けてもらう事に成功した。よって住む場所に困る事なく、ほのぼのと暮らしている。

「ナギ君、今日も(へび)の皮を沢山集めようね」
「ファク上げに丁度いいしな。ってもうすぐディングじゃないか」

 ご機嫌な声を出すのは、あんこさんとしらたまさんだ。

 因みにディングというのは、この世界でレベルが上がることを意味する。
 レベルアップする時に、どこからともなく「ディーン」と鳴る音がするのでディングというらしい。

「今日あたり、十レベになりそうです」

 俺は意識的に視界の端に、経験値バーを透過する。するとあとワンバブル。つまりひとメモリほど経験値を貯めればディングしそうだった。
 たぶんフリーポート前にいる蛇を百匹ほど殺せば、十レベルになれるだろう。

「十を超えると、初心者終わりだね。というか、ナマザキの春だ、パンダ祭り。あと少しでパンダのプレートが貰えそうだったのになぁ」

 パンをちぎりながら、残念そうな声を出すあんこさん。

 どうやらあんこさんも、うちの母と同じように、もはや国民的イベントとなったナマザキパンのシールを集めていたようだ。

「レベルが上がると死体回収が必要になるからな。ま、うちのギルドにはクレリックがいるし、何ならネクロマンサーであるあんこちゃんが棺桶(かんおけ)で死体を召喚してくれるから大丈夫だ」

 キラリンと微笑む、しらたまさん。

(棺桶で召喚って……)

 まだまだ良くわからないことだらけだ。
 とは言え、呑気な二人のお陰で俺は何とかこの過酷な世界でわりと楽しく生きている――などと呑気に思っていたのだが、その日事件は起きた。

 フリーポートの入り口。
 初心者向けに用意された狩り場でレベル十に向けひたすら無心で蛇を狩っていた時。

「あんこちゃんみっけ」

 黒光りするやたら強そうな金属製の防具に身を包むダークエルフの青年が、あんこさんに声をかけた。

「あっ、八雲(やぐも)っち。久しぶりだねぇ」

 あんこさんの隣にいる、ペット。
 ガイコツの「ホネホネロックン」が怪しい男に挨拶を返す。

 これはあんこさんの得意魔法。ペットに主人の言葉を代弁させる、ボイスギフトという魔法らしい。因みに戦闘には何の役にも立たないそうだ。

「相変わらず、ニュービーのレベリング手伝ってるのかよ」

 八雲っちと呼ばれた青年は俺を一瞥(いちべつ)すると、すぐに興味なさそうに目をそらした。

「まぁね。だってNQ商会とやらに、大人しくしてるように言われちゃったし」

 今度はあんこさん本人が喋り、口を尖らせる。

「あんこちゃん、NQ商会じゃなくて、NQ帝国だから」

 呆れたように言い直す八雲。
 わりと細かい事を気にする男のようだ。

「それで、八雲っちはどこ在住?エタルナのギルメンとかと一緒にプレインにいるの?」

 あんこさんの口からよくわからない単語がポンポン飛び出す。

「それがさ、うちのタンクが落下死したんだよね。しかも死体回収不能な場所で」
「そうなんだ。あ、もしかしてそれで私に?」
「察しが良くて助かる」
「場所は?」
「プレインオブテラー」

 あんこさんの顔が一瞬で曇る。

「テラーに行くんだったら、しらちゃんも一緒じゃないと」

 今はここにいないしらたまさんの名を口にするあんこさん。
 というのも、現在しらたまさんは謎の集団、NQ帝国について各ギルドの代表と情報交換を兼ねた会議中だからだ。

「あいつが来ると色々と面倒だから」
「でも、テラーはしらちゃんがいないと無理だよ。可哀想だけど、他の人を誘ってもらえ、うわっ」

 八雲がいつの間にか手にしていたロングソードの先からあんこさんに向け魔法を放つ。
 緑色の怪しい魔法が直撃したあんこさんは、その場にへなへなと力が抜けたようにしゃがみ込んでしまった。

(確か今のエフェクトは、筋力低下の魔法だったような)

 一体なぜ味方に?
 不可解な行動をとる八雲に警戒する視線を送る。

「キキキキキキ」

 あんこちゃんのペット。ホネホネロックンの目が真っ赤に光り八雲に襲いかかる。

「お前、ほんとうざいな」

 八雲は左手でホネホネロックンの攻撃を払う。

「ボーンチップになってろ」

 八雲が吐き捨てるように言うと、ホネホネロックンめがけロングソードを一振りする。するとホネホネロックンはグニャリと変形し、文字通り骨のかけらになり動かなくなった。

「あ、あんこさん、大丈夫ですか」

 我に返った俺は、慌てて地面に横たわるあんこさんに駆け寄る。

「あんこさん!しっかりしてください!」

 懸命(けんめい)に声をかけてみるが返事はない。
 白目を向き、死んだようにピクリともしない。

「あんこさん、まさか死」
「死んじゃいない。ネクロの十八番(おはこ)、死んだふりをしただけだ」

 八雲が剣を(さや)に納めながら答える。

「そ、それって大丈夫なんですか?」
「まぁな。フリだから」

 八雲は軽い感じで言うと、まるで死体のように動かなくなったあんこさんをヒョイと肩に担いだ。

「あ、あんこさんをどうするつもりですか」
「テラーに連れて帰る」
「え?」

 俺は思わず声を上げる。

(だってしらたまさんがいないと嫌だって)

 あんこさんはテラーには行きたくないと嫌がっている様子だった。

(よし、俺が)

 お世話になった以上、このまま「はいそうですか」と見過ごすわけにはいかない。俺は腰に挿した短剣の柄に手をかける。

「やめとけ。レベル十にもなっていないニュービーが、俺に勝てるわけないだろ」

 八雲は馬鹿にしたような声をだす。
 確かに装備の見た目からして、八雲はどうみても高レベルプレイヤー確定だ。

「しらたまに、しばらくあんこちゃんを借りると伝えておいてくれ」
「ダメです、あんこさんを返して下さい」

 俺はひとまず手に入れたばかり。先程倒した蛇からドロップした皮を、八雲に投げつけてみた。しかし、俺が投げた蛇の皮は八雲が素早く払った手によって、地面にポトリと落とされてしまう。

「クソガキが」

 八雲の声が低くなる。

(やべ、怒らせたかも)

 こうなってしまえば、レベル差があろうとなかろうと、もはや戦うしかない。俺は覚悟を決め、腰に差したダガーに再度手をかける。

 とその時。

「あんこちゃんをかーえーせーー!!」

 後方からしらたまさんの声が聞こえた。

「うわ、面倒な奴がきた」

 八雲は舌打ちをしながら、あんこさんを担いで走り出す。

「あっ、まて!!」
「まずい、ゲートされる」

 しらたまさんが叫ぶと、八雲の隣に突然赤いローブに身を包む、ノームの可愛らしい女性が出現した。

「しらちゃん、まったねー。グループゲート!!」

 ノームの女性が杖をくるくる回しながら叫ぶと、一瞬にしてあんこさんを背負った八雲の姿が目の前から消えてしまった。

「ちっ、逃げられたか」

 しらたまさんは悔しそうに地面を踏みつける。

「すみません、俺のせいで」

 無力だった自分を恥じる気持ちで項垂(うなだ)れる。

「ナギ、お前が傷つくよりはマシだ。あんこちゃんだってきっとそう言うだろう」

 しらたまさんは俺の肩に手を置いて励ましてくれた。

「けど……」
「それより母さんが心配だ。早く追いかけよう」
「はい……え、か、母さん!?」

 突然の告白に、俺は目を丸くする。

「そうだ、あの八雲という男は昔から、母さんに色目を使う悪いやつなんだ。しかもあいつ、俺たちをこの世界に閉じ込めたNQ帝国のリーダーになったらしい。全く暇人だな」
「えぇ!?」

 次々と明かされる情報に俺は仰け反る。

「詳しい話は後でしよう。とりあえず今は急ぐぞ」
「でも」

 父さんと俺で大丈夫なのだろうかと、言いかけてやめた。

 何故なら、今日のしらたまさん……もとい父さんは、ただの優男じゃなかったからだ。

 見た事もないエメラルドグリーンの、とても意匠の凝ったローブに身を包んでいる。
 その手には初めて会った時、握っていた五色に輝く宝石のついた、金色のメイスがしっかりと握られていた。

 それはエピックアイテムと呼ばれるこの世界で最高の武器とされるマジシャン専用アイテムらしい。しかもそのアイテムをゲットするのに数年もかかったそうだ。

「それに大きな声じゃ言えないが、俺は夢が一つかなって、今とても充実してるしな。今の俺は最強だ」

 年甲斐もなく、熱血な台詞を吐き出す父を見て、脳裏に母が口にした言葉が蘇る。

『パパは凪君と、NQを旅するのが夢だったのよね』

 どうやら知らないうちに、俺は親孝行していたらしい。

「ナギ、いくぞ。母さんを取り戻しに!」

 高らかに宣言する父は、もはや俺が知るくたびれたサラリーマンの父ではなかった。どう見たって頼り甲斐のある、勇者のように見える。

「父さん、あいつはテラーに行くって」
「だろうな。ナボックはテラーの裏ボスと言われているからな」

 父さんはニヤリと口元を(ゆが)ませる。

「テラーの?裏ボ……え?」
「行くぞ!ついてこい!」
「ちょ、ちょっと、俺はまだレベル低いし」

 俺は足を止める。
 あんこさんこと、母さんを助けたい気持ちはある。けれど、レベル十にも満たない俺が行ったところで、足手まといになる未来しか見えない。

「浮かない顔すんな。父さんが付いてるだろ」

 言い切って、颯爽(さっそう)と歩き出した父の背中を見て、ふと思う。

(あれ、あんな小さかったっけ……)

 小さなころ、家族で出かけるたび、俺はおんぶをせがむほど父の背中が大好きだった。
 何故なら視界良好で安定感たっぷり。ついでに寝心地も抜群だったからだ。

 しかし今俺の前を歩く父の背中は思っていたより小さい。
 そう感じるのは、俺が成長し物理的に身長が伸びたからだろう。

(いや、ここがゲームの中だからか?)

 俺はジッと父の背中を見つめる。

(……どうであろうと)

 昔より小さく思える父の背中には、母さんや俺がしっかりと背負われている。
 それは現実だろうと、この世界だろうと変わらない。

(やべ。なんか、わりと格好いいかもな)

 最近は文句こそあれど、父をヒーローのように思った事なんてなかった。
 ゆっくり語り合う事もなかったし、むしろ話しかけられないよう意識的に避けていた。

 けれど、今は父が共にいてくれて良かったと心底(しんそこ)そう思う。

(ありがとう、父さん)

 俺は父の背中に心で礼を言う。

 勿論恥ずかしいので、わざわざ伝えるつもりはない。
 いつか心から言える時がきたら、きちんと口にする。

(けど、それは今じゃないかな)

 父の背中を見ながら一人、らしくもなく感傷的になっていると父が振り向いた。

「おい、ナギ、ちゃんとついて来いよ」

 母がさらわれたと言うのに、何だか嬉しそうだ。

「あ、うん」

 俺は慌てて、父さんの(あと)に続く。

「あ、一応これ母さんの大好物だから持っておくか」

 俺は地面に落ちていた蛇の皮を拾うと、ポケットに突っ込んだ。

「EVIL系を選んでしまった、うっかり者の母さんのファクあげにそれは役立つからな」
「な、なるほど?」

 やっぱりこの世界はややこしい。
 けれど俺にはこの世界で最強の武器を持つ父がいる。

「レベル低いけど頑張るか」

 俺は覚悟を決めた。そして父に追いつくべく、大きく一歩。足を踏み出したのであった。


 **おしまい**