奏の後を追って、まっすぐな廊下を走る。
この場所には教室という名の部屋が他にもたくさんあって、しかも同じ年齢の人間たちが大勢集まっていた。
若いイワシの群れみたいなもんだ。
そのイワシの群れが、放課後になって詰め込まれていた教室から一斉に解放される。
ようやく学校全体が、普通に自由に動き始める。
その人間の数は、海で暮らしている人魚たちと比べものにならない。
それぞれに小さな群れに分かれて、思い思いの場所で何かをしているようだった。
そうか。
ここは、若い群れで暮らす安全な縄張りみたいなものなんだ。
廊下の窓の外に見える木々の、芽を出したばかりの小さな若葉が物珍しくて、本当はもっとゆっくり見ていたいのに、奏は廊下の角を曲がってしまった。
「待って。ねぇ待ってよ!」
彼女を追いかけ、校舎の外へ出る。
その僕の目に、やっぱり真っ直ぐに四角く区切られた緑のフェンスと、大きな掘りに蓄えられた大量の汚い水が見えた。
「なにこれ」
その風景に、思わず立ち止まる。
「なんでこんなところに、水の塊があるの?」
「水の塊? これはプールっていうのよ」
「プール?」
フェンスに手をかける。
コンクリートの壁の中に作られたようなそれは、丁度目線くらいの位置で、灰色の空に緑の波紋を移す。
その汚れて濁りきった水は、ひどい悪臭を放っていた。
海の水とも川の水とも違う。
独特な雰囲気だ。
「プール、見たことないの?」
「ない」
そう答えると、奏は意外にも僕に近寄ってきて、くすっと笑った。
「あんたさ、本当にずっと外国で暮らしてたの? 帰国子女とかいってたけど、プールが珍しい国とか」
大好きな彼女が、僕の隣に並ぶ。
「ね。確かに今は汚いけど、もう少ししたら、みんなで掃除するの。そうしたら綺麗になって、ここで泳げるようになるのよ」
「泳げるの? ここで?」
「そう」
こんな狭くて汚いところで、しかも人間と一緒に泳ぐなんて、考えられない。
てゆーか、人間はなんでこんなところで泳いでんの?
てか、泳げるの?
彼女の手が、僕の手を掛けた同じフェンスの、すぐ真横にかかる。
彼女の方から近づいてきてくれるなんて、思いもしなかった。
よかった。
奏は僕のこと、やっぱり好きみたい。
彼女の手に自分の手を重ねたら、速攻でガシャンと引き抜かれた。
「そういうの、やめて」
「なんで?」
「私はもう行くからね」
奏の顔が真っ赤になっている。
彼女はどうも、照れやさんみたいだ。
再び駆け出した彼女は、すぐ目の前のプールの角を曲がっていく。
僕は迷わず、彼女を追いかける。
そのプールの前で、制服とはまた違う感じだけど、同じ服を着た数人の人間たちが体を動かしていた。
この服は見たことがある。
奏を初めて見た時と同じ、紅藻色の服だ。
彼らは真っ直ぐに腕を伸ばしたり、足を伸ばしたり、人間としての体の全てを、まんべんなく動かして確認しているようだ。
「あー。やっぱ奏についてきちゃったんだ。このひ……」
長い黄色い髪の女の子が、僕を見て何かを言いかけたけど、それをぐっと飲み込んだ。
彼女はじろじろと少し怯えたようにじっと視線だけで僕のことを見ながら、徐々に遠ざかっていく。
奏はコンクリートの壁にくっついた錆びかけの水色の扉を開けて、その中に入ろうとしていた。
「着替えてくるね」
「あ。僕も入る」
彼女に続いてその中に入ろうとしたら、またドンと突き返される。
めちゃくちゃに怒られた。
「ここは女子更衣室!」
もの凄い勢いで、扉を閉められちゃった。
結局一人で外に取り残されている。
ふと背中に感じる視線に振り返ると、そこにいた同じ紅藻色の人間たちが、じっとこっちを見ていた。
まぁ、見られたところで何も言うことも言いたいこともないから、別にいいんだけど。
だけどさすがに、じっと見られているのは居心地悪くて、早く奏が出てこないかなーとか思いながら、少し脇へよける。
僕が人魚だって、もうバレたワケじゃないよね。
その人間の群れから、女の子の一人が近づいてきた。
「かっこい~! 帰国子女の転校生が来たって聞いたんだけど、そうなのかな?」
「ねぇ、どこの国に住んでたの? 日本は久しぶりとか?」
「中東とか、どっかそっち系の人とのハーフ? 顔の彫りが深いっていうか、めっちゃミステリアスな感じだよね」
「妖艶イケメン!」
「そう、それ!」
女の子たちが僕を見て笑っている。ちょっと恥ずかしい。
「ねぇ、どこから来たの?」
「えぇ……っと……。遠い、海の向こうの……」
よく分からないけど、よく分からない人間たちに囲まれて、よく分からない質問攻めにされている。
それにどう答えていいのか分からなくて、もぞもぞ誤魔化しているうちに、奏が隠れていた部屋から出てきた。
「みんなお待たせ! 時間だよ。さぁ始めよう!」
彼女の言葉で、そこにいた人間の全てが動き出した。
二人で一組になると、熱心に同じ動きで体を動かし始める。
「何してるの?」
「筋トレよ」
奏はそれだけを答えると、あとは知らんぷりだ。
僕は仕方なくそこにしゃがみ込んで、じっと彼女の様子を見ている。
奏も知らない女の子と一緒になって、ずっと体を動かしていた。
僕は退屈で仕方がなかったけど、奏がそうしているのだから仕方がない。
彼女が動けばそっちについていくし、座れば隣に腰掛ける。
邪魔って言われたら、ちゃんとそこから少し離れたところで彼女を見ていた。
奏は跳んだり走ったり、とにかく忙しそうだ。
他にも何人か男と女がいて、なんとなく男女で分かれてるけど、大体同じことやってる。
じっと見ていたら、何だか大きなため息をついて、体を動かしていた人間の一人が僕に声をかけてきた。
「お前さぁ、見学なの?」
「けんがく?」
「入部希望だから、見てんじゃないの?」
この人間の男は、とても背が高い。明るい茶色の髪と目が、サラサラしている。
この場所には教室という名の部屋が他にもたくさんあって、しかも同じ年齢の人間たちが大勢集まっていた。
若いイワシの群れみたいなもんだ。
そのイワシの群れが、放課後になって詰め込まれていた教室から一斉に解放される。
ようやく学校全体が、普通に自由に動き始める。
その人間の数は、海で暮らしている人魚たちと比べものにならない。
それぞれに小さな群れに分かれて、思い思いの場所で何かをしているようだった。
そうか。
ここは、若い群れで暮らす安全な縄張りみたいなものなんだ。
廊下の窓の外に見える木々の、芽を出したばかりの小さな若葉が物珍しくて、本当はもっとゆっくり見ていたいのに、奏は廊下の角を曲がってしまった。
「待って。ねぇ待ってよ!」
彼女を追いかけ、校舎の外へ出る。
その僕の目に、やっぱり真っ直ぐに四角く区切られた緑のフェンスと、大きな掘りに蓄えられた大量の汚い水が見えた。
「なにこれ」
その風景に、思わず立ち止まる。
「なんでこんなところに、水の塊があるの?」
「水の塊? これはプールっていうのよ」
「プール?」
フェンスに手をかける。
コンクリートの壁の中に作られたようなそれは、丁度目線くらいの位置で、灰色の空に緑の波紋を移す。
その汚れて濁りきった水は、ひどい悪臭を放っていた。
海の水とも川の水とも違う。
独特な雰囲気だ。
「プール、見たことないの?」
「ない」
そう答えると、奏は意外にも僕に近寄ってきて、くすっと笑った。
「あんたさ、本当にずっと外国で暮らしてたの? 帰国子女とかいってたけど、プールが珍しい国とか」
大好きな彼女が、僕の隣に並ぶ。
「ね。確かに今は汚いけど、もう少ししたら、みんなで掃除するの。そうしたら綺麗になって、ここで泳げるようになるのよ」
「泳げるの? ここで?」
「そう」
こんな狭くて汚いところで、しかも人間と一緒に泳ぐなんて、考えられない。
てゆーか、人間はなんでこんなところで泳いでんの?
てか、泳げるの?
彼女の手が、僕の手を掛けた同じフェンスの、すぐ真横にかかる。
彼女の方から近づいてきてくれるなんて、思いもしなかった。
よかった。
奏は僕のこと、やっぱり好きみたい。
彼女の手に自分の手を重ねたら、速攻でガシャンと引き抜かれた。
「そういうの、やめて」
「なんで?」
「私はもう行くからね」
奏の顔が真っ赤になっている。
彼女はどうも、照れやさんみたいだ。
再び駆け出した彼女は、すぐ目の前のプールの角を曲がっていく。
僕は迷わず、彼女を追いかける。
そのプールの前で、制服とはまた違う感じだけど、同じ服を着た数人の人間たちが体を動かしていた。
この服は見たことがある。
奏を初めて見た時と同じ、紅藻色の服だ。
彼らは真っ直ぐに腕を伸ばしたり、足を伸ばしたり、人間としての体の全てを、まんべんなく動かして確認しているようだ。
「あー。やっぱ奏についてきちゃったんだ。このひ……」
長い黄色い髪の女の子が、僕を見て何かを言いかけたけど、それをぐっと飲み込んだ。
彼女はじろじろと少し怯えたようにじっと視線だけで僕のことを見ながら、徐々に遠ざかっていく。
奏はコンクリートの壁にくっついた錆びかけの水色の扉を開けて、その中に入ろうとしていた。
「着替えてくるね」
「あ。僕も入る」
彼女に続いてその中に入ろうとしたら、またドンと突き返される。
めちゃくちゃに怒られた。
「ここは女子更衣室!」
もの凄い勢いで、扉を閉められちゃった。
結局一人で外に取り残されている。
ふと背中に感じる視線に振り返ると、そこにいた同じ紅藻色の人間たちが、じっとこっちを見ていた。
まぁ、見られたところで何も言うことも言いたいこともないから、別にいいんだけど。
だけどさすがに、じっと見られているのは居心地悪くて、早く奏が出てこないかなーとか思いながら、少し脇へよける。
僕が人魚だって、もうバレたワケじゃないよね。
その人間の群れから、女の子の一人が近づいてきた。
「かっこい~! 帰国子女の転校生が来たって聞いたんだけど、そうなのかな?」
「ねぇ、どこの国に住んでたの? 日本は久しぶりとか?」
「中東とか、どっかそっち系の人とのハーフ? 顔の彫りが深いっていうか、めっちゃミステリアスな感じだよね」
「妖艶イケメン!」
「そう、それ!」
女の子たちが僕を見て笑っている。ちょっと恥ずかしい。
「ねぇ、どこから来たの?」
「えぇ……っと……。遠い、海の向こうの……」
よく分からないけど、よく分からない人間たちに囲まれて、よく分からない質問攻めにされている。
それにどう答えていいのか分からなくて、もぞもぞ誤魔化しているうちに、奏が隠れていた部屋から出てきた。
「みんなお待たせ! 時間だよ。さぁ始めよう!」
彼女の言葉で、そこにいた人間の全てが動き出した。
二人で一組になると、熱心に同じ動きで体を動かし始める。
「何してるの?」
「筋トレよ」
奏はそれだけを答えると、あとは知らんぷりだ。
僕は仕方なくそこにしゃがみ込んで、じっと彼女の様子を見ている。
奏も知らない女の子と一緒になって、ずっと体を動かしていた。
僕は退屈で仕方がなかったけど、奏がそうしているのだから仕方がない。
彼女が動けばそっちについていくし、座れば隣に腰掛ける。
邪魔って言われたら、ちゃんとそこから少し離れたところで彼女を見ていた。
奏は跳んだり走ったり、とにかく忙しそうだ。
他にも何人か男と女がいて、なんとなく男女で分かれてるけど、大体同じことやってる。
じっと見ていたら、何だか大きなため息をついて、体を動かしていた人間の一人が僕に声をかけてきた。
「お前さぁ、見学なの?」
「けんがく?」
「入部希望だから、見てんじゃないの?」
この人間の男は、とても背が高い。明るい茶色の髪と目が、サラサラしている。