彼女が振り返った。
その姿に、忘れていた胸の傷が疼く。
そっと手を伸ばし、彼女の頬に触れた。
こぼれ落ちそうな涙を、こぼれる前に僕は拭い去ってあげる。
なんだか懐かしく感じるのは、きっと彼女の着ている制服が、出会った頃と同じものに替わったせい。
「そうじゃないよ」
「じゃあどうして?」
連れてこられたのは、自販機前の広場だ。
ここのベンチに座って彼女と過ごしたのが、もう随分遠い昔のよう。
僕は返事の出来ない代わりに、あの時と同じ場所に腰掛ける。
「岸田くんから聞いた。宮野くん、人間になれてなかったって」
「そうだよ」
僕は奏に会えてよかった。
それは今でも、心からそう思っている。
「だからあんなに、無理矢理キスばっかしてきたんだよね。それなのに、ダメだったなんて……。おとぎ話の本当の続きって、思ったより残酷なんだ」
「そうでもないよ。僕は分かってここに来てたし」
「私はそれを、ずっと知らなかったんだよ?」
奏が怒っている。この僕に。
ぶつけられる感情があるだけ、僕はよかったと思ってる。
「だって、本人には知られちゃいけないってのがルールなんだ。だからもう、終わったんだよ」
「終わりは、次の始まりじゃないの?」
「あはは。まぁそうなんだけどね」
僕は目の前に立ったままでいる彼女を見上げた。
奏が僕を思ってくれていることがうれしい。
「僕は人間になれなかった。だからこの挑戦はもう終わったんだ。春が来る前に、僕は海の泡となって消える。だから次の夏に泳ぎたくても、泳げないんだよ」
奏は僕のすぐ隣に、ぱっと腰を下ろした。
「でもさ、それって本当なの? 私は……。今でも、宮野くんのこと好きだよ」
「そう。じゃあキスしてみる?」
そう言ったのは僕の方なのに、言った自分の方が怖くなってしまった。
これでもし人間になれなかったら?
やっぱり僕は、奏のことを信じられなくなってしまうのだろうか。
それとも今度は、自分のことを?
自分の言葉に動けなくなった僕の前で、うつむいたままの彼女も動かない。
伸ばした指先で、彼女の唇に触れた。
「もうキスはしない」
僕たちはその代わりに、しっかりと手を繋いだ。
「自分を助けた人魚だと知られたとたん、それは同情に変わるんだって。そしたらこの魔法を解くことが難しくなってしまうから、知られない方がいいって言われたんだ。罪悪感とか義務感で結ばれても、うれしくはないよね」
奏のことを、本当に好きになりたかった。
自分のエゴなんかじゃなく、彼女にも僕を好きになってほしかった。
僕が海を出たいと思ったのは、自分を取り巻く世界を変えたかったから。
それが叶わないのなら、僕なんていう存在はこの世から消えてなくなればいいと、本気でそう思ったんだ。
だから僕は海を出た。
後悔なんてない。
「やっぱり、私のせいなの?」
「それは違う! 奏のせいじゃない。僕のせいだ。僕が君のことを……。本当の意味で、好きじゃなかったってことだよ」
こんなこと、彼女にも言いたくなかった。
「ごめん。ごめんね。悪いのは全部僕だ。僕のわがままに、結局付き合わせちゃった」
本当にごめんなさい。
僕はワザとらしく小さな声を出して笑う。
「見透かされちゃった。僕が海の生活に飽きてただけだって。人魚の寿命は長いからね。そこから抜け出すための理由なら、なんだってよかったんだ。奏が悪いんじゃない。僕が悪かった。だから、奏には怒ってくれている方がうれしい」
そしたらこんな僕でも、少しは気が楽になるから。
最後まで甘えてごめんね。
「怒ってる。怒ってるよ」
繋いだ手の、指先が深く絡まる。
強く握りしめた彼女から伝わるぬくもりに、僕は崩れてしまいそうになる。
「だから今度は、宮野くんが私に付き合って」
「もちろん」
奏のお願いなら、なんだって叶えてあげる。
「僕は僕の全てを、君に捧げに来たんだから」
その姿に、忘れていた胸の傷が疼く。
そっと手を伸ばし、彼女の頬に触れた。
こぼれ落ちそうな涙を、こぼれる前に僕は拭い去ってあげる。
なんだか懐かしく感じるのは、きっと彼女の着ている制服が、出会った頃と同じものに替わったせい。
「そうじゃないよ」
「じゃあどうして?」
連れてこられたのは、自販機前の広場だ。
ここのベンチに座って彼女と過ごしたのが、もう随分遠い昔のよう。
僕は返事の出来ない代わりに、あの時と同じ場所に腰掛ける。
「岸田くんから聞いた。宮野くん、人間になれてなかったって」
「そうだよ」
僕は奏に会えてよかった。
それは今でも、心からそう思っている。
「だからあんなに、無理矢理キスばっかしてきたんだよね。それなのに、ダメだったなんて……。おとぎ話の本当の続きって、思ったより残酷なんだ」
「そうでもないよ。僕は分かってここに来てたし」
「私はそれを、ずっと知らなかったんだよ?」
奏が怒っている。この僕に。
ぶつけられる感情があるだけ、僕はよかったと思ってる。
「だって、本人には知られちゃいけないってのがルールなんだ。だからもう、終わったんだよ」
「終わりは、次の始まりじゃないの?」
「あはは。まぁそうなんだけどね」
僕は目の前に立ったままでいる彼女を見上げた。
奏が僕を思ってくれていることがうれしい。
「僕は人間になれなかった。だからこの挑戦はもう終わったんだ。春が来る前に、僕は海の泡となって消える。だから次の夏に泳ぎたくても、泳げないんだよ」
奏は僕のすぐ隣に、ぱっと腰を下ろした。
「でもさ、それって本当なの? 私は……。今でも、宮野くんのこと好きだよ」
「そう。じゃあキスしてみる?」
そう言ったのは僕の方なのに、言った自分の方が怖くなってしまった。
これでもし人間になれなかったら?
やっぱり僕は、奏のことを信じられなくなってしまうのだろうか。
それとも今度は、自分のことを?
自分の言葉に動けなくなった僕の前で、うつむいたままの彼女も動かない。
伸ばした指先で、彼女の唇に触れた。
「もうキスはしない」
僕たちはその代わりに、しっかりと手を繋いだ。
「自分を助けた人魚だと知られたとたん、それは同情に変わるんだって。そしたらこの魔法を解くことが難しくなってしまうから、知られない方がいいって言われたんだ。罪悪感とか義務感で結ばれても、うれしくはないよね」
奏のことを、本当に好きになりたかった。
自分のエゴなんかじゃなく、彼女にも僕を好きになってほしかった。
僕が海を出たいと思ったのは、自分を取り巻く世界を変えたかったから。
それが叶わないのなら、僕なんていう存在はこの世から消えてなくなればいいと、本気でそう思ったんだ。
だから僕は海を出た。
後悔なんてない。
「やっぱり、私のせいなの?」
「それは違う! 奏のせいじゃない。僕のせいだ。僕が君のことを……。本当の意味で、好きじゃなかったってことだよ」
こんなこと、彼女にも言いたくなかった。
「ごめん。ごめんね。悪いのは全部僕だ。僕のわがままに、結局付き合わせちゃった」
本当にごめんなさい。
僕はワザとらしく小さな声を出して笑う。
「見透かされちゃった。僕が海の生活に飽きてただけだって。人魚の寿命は長いからね。そこから抜け出すための理由なら、なんだってよかったんだ。奏が悪いんじゃない。僕が悪かった。だから、奏には怒ってくれている方がうれしい」
そしたらこんな僕でも、少しは気が楽になるから。
最後まで甘えてごめんね。
「怒ってる。怒ってるよ」
繋いだ手の、指先が深く絡まる。
強く握りしめた彼女から伝わるぬくもりに、僕は崩れてしまいそうになる。
「だから今度は、宮野くんが私に付き合って」
「もちろん」
奏のお願いなら、なんだって叶えてあげる。
「僕は僕の全てを、君に捧げに来たんだから」