夏休みは終わり、次の学校が始まっていた。
部活のなくなった僕は、他にすることもないから、何となくここに来ている。
地上で唯一僕が作った居場所に、未練がないわけじゃない。
ここを離れがたいのは、きっと僕の中にも、まだ寂しいという気持ちが残っているからだと思う。
夏の太陽はすっかり陰りをみせ、その光を弱める。

 朝はゆっくり教室に入って、自分の席に座る。
すぐ隣にいた男の子に、声をかけてみた。
彼は凄くびっくりしてたけど、聞いたことには全部答えてくれる。

「宮野くんから話しかけてくるなんて、思わなかった」
「なんで?」
「え、だって。他人に興味なかったから」

 彼は眼鏡の縁をコソッと持ち上げる。
そういえば同じ教室の、奏と岸田くん以外の人とは、あんまり話したことなかったな。

「ねぇ、名前なんて言うの?」
「あ、そっからなんだ。まぁいいけど」

 僕に初めて、人間の友達が出来た。
彼の名前は田中くん。
田中くんの背はそんなに高くない。
僕と同じくらいで、体格は筋肉質ではないけど、しっかりした作りをしていた。
彼の好きなアニメやゲームを教えてもらって、一緒にやる。
もう部活に行かなくてもいいし、奏のことを気にしなくてもいいんだ。
そう思うと、僕の体は急に軽くなった。
ふわふわ宙に浮かんでいるような気分だ。
田中くんと話すようになったら、他の女の子たちとも話すようになった。
谷さんと小山さん。
二人とも真っ直ぐな黒髪で、谷さんの方は眼鏡をかけている。
仲良しになったから、昼休みには一緒にお弁当を食べようと誘われて困る。
ずっと栄養ゼリーばかりだった僕は、結局人間の食べ物が口に合うことはなかった。

「一緒にお弁当はいいよ。僕は食べられるものがあんまりないから」

 谷さんと小山さんは顔を見合わせる。

「それはアレルギーとかの、健康上の理由?」
「う~ん……。じゃなくて、好き嫌い?」

 僕がそう言うと、すぐ横で黙って聞いていた田中くんは、自分のお弁当の蓋を裏返して僕の前に置いた。
そこにプラスチックで出来た、黄色い針みたいなものを刺したから揚げを置く。

「みんなで食べるってさ、ある意味雰囲気だから」

 僕には彼の言うことがよく分からなくて、もっと困る。
そしたら谷さんが自分のお弁当から卵焼きを一個取りだして、田中くんのから揚げの隣に置いた。
小山さんも、そこにウインナーを置く。

「今日の弁当の中に入ってる、俺の一番好きなおかず。同じもの食べるって、時間と思い出の共有だから。無理にとは言わないけど」

 二人の女の子も、同時に「うん」とうなずく。

「そっか。うれしいよ」

 時間と思い出の共有か。
確かに今の僕には、一番必要なものかもしれない。
油でべとべとのものは好きじゃないけど、こういう気持ちは嫌いじゃない。
遠慮なくそれをつまむ。

「うん。おいしい。ありがとう。」

 僕が微笑んで見せたら、彼らも笑ってくれた。
お弁当が終わったら、谷さんがスマホの画面を見せてくれたので、僕も一緒になってのぞき込む。

「これは何の動画? 歌を歌ってるの、なんで?」
「カラオケ、行ったことないの?」
「ない」
「じゃあ今度、一緒に行こう」

 初めての友達との約束。
今になってまで、僕に初めてがあるだなんて思わなかった。
カラオケの話しで盛り上がっていたところに、ふと人影がさす。
黒くてくるくるした短い髪が、少し伸びた奏がそこに立っていた。

「あのさ。ちょっと宮野くんに話しがあるんだけど」

 奏とは、水泳部を引退してから話していない。
岸田くんもだ。
あの大会が終わってから、もう1ヶ月は過ぎた。

「ごめん。放課後はカラオケ行く約束しちゃった」
「宮野くんに用はなくても、私には出来たの。それとも、ここで大事な話しをしちゃってもいいの?」

 奏だけがまだ怒っていた。
黒い目が、心なしか揺れているようにも見える。
奏がもう僕を好きじゃなくても、やっぱり僕は、彼女の悲しむ姿を見たくないと思った。

「分かった。場所を移そう」