夏休み中も、ずっと毎日通っていた部活が終わった。
もうすぐ学校が始まる。
そんな夏休み最後の、何もないある日の午後、僕は一人で海を見に出かけた。
本当にたった一人で遠くまで出かけるのは、これが初めてで、僕はもう随分と海から遠いところで暮らしていたんだと思った。
電車に乗って、迷いながらバスに乗り、ようやく海岸にまでたどり着いた時には、すっかりお日さまは西に傾き始めていた。
海水浴シーズンも終わり、人の減った海岸を、いつも見ていたのとは逆の立場で見ていることに、不思議な気持ちになる。
僕が海から見ていた人間は、こうやってここにたどり着いていたんだ。
砂はサラサラしすぎていて、すぐに靴に入って来て歩きにくくなる。
僕は出来るだけ砂が入らないよう、用心深く砂浜で足を運んだ。
その歩き方は、まるで人間みたいだ。
そのことにおかしくなって、ちょっと笑う。
砂浜からせり出した防波堤に上り、そこからまた波消しブロックに飛び乗る。
この場所はよく知っている。
僕はよくここに隠れて、浜辺に集う人間を見ていた。
奏はここから海に落ちたんだ。
「はは。こんなに近かったんだ。そりゃ見つかるよね」
僕は今その場所で、夕陽が沈むのを待っている。
海から見ていた時には、見えなかった景色が見える。
遠くに走る車とか、街の様子とか。
電車だって、見たことはあったけど、まさか自分がそれに乗って海に行く日が来るなんて。
僕はまた面白くなって、ちょっと笑った。
目的地にたどり着いた僕はそこに腰を下ろすと、じっとその時が来るのを待っている。
太陽はゆっくりと、だけど確実に沈んでゆき、海の向こうにすっかり姿を消した。
以前から、夜になってもなんて地上は明るいんだろうと思っていたけど、本当に眩しいくらいに明るくて、ここからでも明るい空に星が見えない。
僕は月の位置と、辛うじて見えるいくつかの星を数えながら、じっと待っている。
黒い小さな波が、ブロックの壁面に打ち付けては引き返すのを、飽きることなく見ている。
そんな僕の目に、パシャリと何かが跳ねた。
時間だ。
「これを返しに来た」
僕は、海の魔女から渡された銀のナイフを水面すれすれにかざす。
細長い刀身と、柄には繊細な波を模した細工が施され、魔力を秘めた宝石がちりばめられていた。
暗い水底から用心深くぬめりとした手が現れ、それをパッとひったくると、海に消える。
「ありがとう。感謝してるって、みんなにはそう言っといて。また会える日を、楽しみにしているよ」
このナイフを返すのは、もう人魚として海には戻らないという伝言。
人間として生きるか、海の泡になって消えるのか、その選択をしたという証。
僕は海の泡となって、ここに戻ると決めた。
だから寂しくはない。
また途方もなく長い年月を、それは記憶がなくなるほどの果てしない時を、この海で漂いまたいつか生まれ変わる。
「またね」
遙か沖で、鋭い爪と細かな鱗に覆われたヒレのある手が浮かび、僕に手を振った。
ぽちゃりとそれが沈むのを見届け、僕は安心する。
これでもう大丈夫。
全ての儀式は終わった。
もうすぐ学校が始まる。
そんな夏休み最後の、何もないある日の午後、僕は一人で海を見に出かけた。
本当にたった一人で遠くまで出かけるのは、これが初めてで、僕はもう随分と海から遠いところで暮らしていたんだと思った。
電車に乗って、迷いながらバスに乗り、ようやく海岸にまでたどり着いた時には、すっかりお日さまは西に傾き始めていた。
海水浴シーズンも終わり、人の減った海岸を、いつも見ていたのとは逆の立場で見ていることに、不思議な気持ちになる。
僕が海から見ていた人間は、こうやってここにたどり着いていたんだ。
砂はサラサラしすぎていて、すぐに靴に入って来て歩きにくくなる。
僕は出来るだけ砂が入らないよう、用心深く砂浜で足を運んだ。
その歩き方は、まるで人間みたいだ。
そのことにおかしくなって、ちょっと笑う。
砂浜からせり出した防波堤に上り、そこからまた波消しブロックに飛び乗る。
この場所はよく知っている。
僕はよくここに隠れて、浜辺に集う人間を見ていた。
奏はここから海に落ちたんだ。
「はは。こんなに近かったんだ。そりゃ見つかるよね」
僕は今その場所で、夕陽が沈むのを待っている。
海から見ていた時には、見えなかった景色が見える。
遠くに走る車とか、街の様子とか。
電車だって、見たことはあったけど、まさか自分がそれに乗って海に行く日が来るなんて。
僕はまた面白くなって、ちょっと笑った。
目的地にたどり着いた僕はそこに腰を下ろすと、じっとその時が来るのを待っている。
太陽はゆっくりと、だけど確実に沈んでゆき、海の向こうにすっかり姿を消した。
以前から、夜になってもなんて地上は明るいんだろうと思っていたけど、本当に眩しいくらいに明るくて、ここからでも明るい空に星が見えない。
僕は月の位置と、辛うじて見えるいくつかの星を数えながら、じっと待っている。
黒い小さな波が、ブロックの壁面に打ち付けては引き返すのを、飽きることなく見ている。
そんな僕の目に、パシャリと何かが跳ねた。
時間だ。
「これを返しに来た」
僕は、海の魔女から渡された銀のナイフを水面すれすれにかざす。
細長い刀身と、柄には繊細な波を模した細工が施され、魔力を秘めた宝石がちりばめられていた。
暗い水底から用心深くぬめりとした手が現れ、それをパッとひったくると、海に消える。
「ありがとう。感謝してるって、みんなにはそう言っといて。また会える日を、楽しみにしているよ」
このナイフを返すのは、もう人魚として海には戻らないという伝言。
人間として生きるか、海の泡になって消えるのか、その選択をしたという証。
僕は海の泡となって、ここに戻ると決めた。
だから寂しくはない。
また途方もなく長い年月を、それは記憶がなくなるほどの果てしない時を、この海で漂いまたいつか生まれ変わる。
「またね」
遙か沖で、鋭い爪と細かな鱗に覆われたヒレのある手が浮かび、僕に手を振った。
ぽちゃりとそれが沈むのを見届け、僕は安心する。
これでもう大丈夫。
全ての儀式は終わった。