僕は仕方なく、何もついていない一番シンプルなものを選ぶ。
味がついているものは、あまり好きじゃない。
「一個でいいの? 飲み物は」
「一個でいい。飲み物は水」
奏は色んな形をした、カラフルで可愛らしいドーナツを2つ選んだ。
僕はそれが、どんなに可愛くて美味しそうでも、自分の口に合わないことを知っている。
注文を済ませ、ごちゃごちゃしたうるさくて狭くて小さなテーブルに向かい合って座ると、隣の知らない人と肘がぶつかりそうだ。
そんなことも気にしない奏は、ピンク色のつぶつぶしたドーナツをほおばる。
「ん、美味しい!」
「奏。岸田くんのことなんだけどさ」
僕がそう言うと、彼女は氷の入ったコーヒーで口に入れたばかりのドーナツを流し込む。
「ちょっとは反省した?」
彼女はまるでそれを、当然のことのように言う。
「反省? 反省って、なに」
「そういう話じゃないの?」
彼女は冷たいコーヒーのグラスを、トレイの脇に置いた。
僕は奏に、僕のことを聞きたい。
「奏はさ、岸田くんより僕の方が好きって言ったよね。その言葉に嘘はない?」
「またそれ? もうその話は終わった」
彼女はもう一度残してあったピンクのドーナツをかじると、紙で指先を拭い、またコーヒーを飲む。
「ゴメン奏。僕にとっては、それはすごく大事なことなんだ。僕にとって奏が一番であるように、奏にとっても僕が一番であってほしい」
「だから、そうだって言ってるでしょ。それと今回のこととは、話しが別」
「別って?」
「だって、そうじゃない」
奏にとっては別であっても、僕にとっては全然「別」なんかじゃない。
彼女はそのまま、水泳の話を始めてしまった。
どれだけ岸田くんが頑張ってきたのかとか、みんなもそれに合わせて協力してきたとか。
それには僕もちゃんと関係してるんだから、みんなの気持ちを分かって考えて行動しろだとか。
奏は何度も何度も、言葉を換え言い方を変え、もっと岸田くんのことをちゃんと考えろと言ってくる。
だけど僕が聞きたいのは、そんなことなんかじゃない。
「ねぇ奏。僕の話を聞いて」
「なに?」
ずっと一人でしゃべっていた彼女は、ようやくこっちを向いた。
「僕のこと、本当に好き?」
「……。ねぇ、どうして私がずっとそう言ってるのが、信じられないの。私がいま言ってるのは、部活の話なのね。それで岸田くんが……」
「奏はさっきからずっと、岸田くんのことばかりだ。それでいて僕にまで、岸田くんのことを考えろって言ってる」
テーブルに肘をついて話していたら、奏と額同士がぶつかり合いそうな距離で、彼女は僕を見上げる。
「ねぇ、ヤキモチやいてんの? そういうの、ちゃんと区別してくれないと困る」
奏が怒っている。
盛大に息を吐き出し、そっぽを向いてドーナツかじる。
どうして彼女は、僕の気持ちを分かってくれないんだろう。
彼女がなにを言っても、どれだけキスをしても、僕が変わらないのが何よりの証拠。
彼女は残ったコーヒーを全部喉へ流し込むと、そのカップを置いた。
「ね、宮野くんがなに考えてんのか知らないけど、私の気持ちまで勝手に決めつけないでほしい」
「奏の気持ちは、僕にはちゃんと分かってる」
「どういうこと?」
「奏がどれくらい、僕を好きかってこと」
僕は手を伸ばし、彼女の頬に触れる。
顎を持ち上げ、ゆっくりと口づける。
どれだけ言葉を並べても、たとえそれがどんなに拙くて、口足らずなものでも、この僕にかけられた魔法が、本当の答えを教えてくれる。
たくさんの人がひしめき合う狭い店内で、彼女は僕の絡めた舌を押しのけた。
「ねぇ、いま私、そんな気分じゃない」
「あぁ。そうだろうね。よく分かったよ」
苦くて渋いコーヒーと、甘い香料の臭う油でベトベトになった唇を拭う。
僕はまだ人魚のままで、奏は僕を好きじゃない。
「もういい。帰る」
ゴミゴミした店内で、僕は立ち上がった。
こんなところにいる意味も、理由もない。
奏は僕を好きじゃない。
「ちょっと! どういうこと! 頼んだドーナツ、一口くらい食べていきなさいよ!」
「いらない。あげる」
店を出る。
海を出てから、何日たった?
僕に許された期間は、たったの1年だ。
2月の冷たい海から上がって、もう半年が過ぎてしまった。
時間がない。
奏は僕を好きじゃないとしたら、どうすればいい?
僕はやっぱり、海の泡となって消える運命なのだろうか。
星よりも無数に光る灯りの中を、僕は偽物の足で歩く。
夜なのに明るい街は、すれ違う人間と肩がぶつかり合うような距離の近さだ。
人と人の距離が、こんなに近いものだったなんて、見ているだけの頃は知らなかった。
奏と仲良くなれるよう努力して、人間の言葉で付き合うようにもなって、ちゃんとキスもしたのに。
それでも奏は、僕を好きじゃないなんて!
路上にしゃがみ込む。
蒸し暑い駅前の広場は、学校以上に沢山の種類の人間がひしめき合っていた。
もう夜のはずなのに、ずっと明るくて、闇夜が隠してくれるはずのものまで見えてしまっている。
こんなに無数の人間がいるのに、僕だけはそうじゃない。
こんなに沢山の人の中にいても、僕はこの無数の中の一つにも入れてもらえない。
うつむいてしゃがみ込んで、地面しか見ていなかった僕の目に、僕と同じ靴を履いた足が止まった。
細い足。いずみだ。
「どうしたの?」
顔を上げると、彼女は長くて黄色い髪を耳にかき上げる。
「岸田くんは?」
「……。もう、それは気にしなくていいよ。向こうも反省してたみたいだし」
「反省? それは、僕がするんじゃなくて?」
「そう言うってことは、宮野くんは、もう反省したんでしょ」
そう言うと彼女は、僕と同じ視線に並んだ。
「だったらいいんじゃない? もう反省しなくても」
いずみの髪からは、奏とは違う匂いがする。
いずみはプールには入らないから、あのヘンな臭いがしないんだ。
「僕の反省は、終わったってこと?」
味がついているものは、あまり好きじゃない。
「一個でいいの? 飲み物は」
「一個でいい。飲み物は水」
奏は色んな形をした、カラフルで可愛らしいドーナツを2つ選んだ。
僕はそれが、どんなに可愛くて美味しそうでも、自分の口に合わないことを知っている。
注文を済ませ、ごちゃごちゃしたうるさくて狭くて小さなテーブルに向かい合って座ると、隣の知らない人と肘がぶつかりそうだ。
そんなことも気にしない奏は、ピンク色のつぶつぶしたドーナツをほおばる。
「ん、美味しい!」
「奏。岸田くんのことなんだけどさ」
僕がそう言うと、彼女は氷の入ったコーヒーで口に入れたばかりのドーナツを流し込む。
「ちょっとは反省した?」
彼女はまるでそれを、当然のことのように言う。
「反省? 反省って、なに」
「そういう話じゃないの?」
彼女は冷たいコーヒーのグラスを、トレイの脇に置いた。
僕は奏に、僕のことを聞きたい。
「奏はさ、岸田くんより僕の方が好きって言ったよね。その言葉に嘘はない?」
「またそれ? もうその話は終わった」
彼女はもう一度残してあったピンクのドーナツをかじると、紙で指先を拭い、またコーヒーを飲む。
「ゴメン奏。僕にとっては、それはすごく大事なことなんだ。僕にとって奏が一番であるように、奏にとっても僕が一番であってほしい」
「だから、そうだって言ってるでしょ。それと今回のこととは、話しが別」
「別って?」
「だって、そうじゃない」
奏にとっては別であっても、僕にとっては全然「別」なんかじゃない。
彼女はそのまま、水泳の話を始めてしまった。
どれだけ岸田くんが頑張ってきたのかとか、みんなもそれに合わせて協力してきたとか。
それには僕もちゃんと関係してるんだから、みんなの気持ちを分かって考えて行動しろだとか。
奏は何度も何度も、言葉を換え言い方を変え、もっと岸田くんのことをちゃんと考えろと言ってくる。
だけど僕が聞きたいのは、そんなことなんかじゃない。
「ねぇ奏。僕の話を聞いて」
「なに?」
ずっと一人でしゃべっていた彼女は、ようやくこっちを向いた。
「僕のこと、本当に好き?」
「……。ねぇ、どうして私がずっとそう言ってるのが、信じられないの。私がいま言ってるのは、部活の話なのね。それで岸田くんが……」
「奏はさっきからずっと、岸田くんのことばかりだ。それでいて僕にまで、岸田くんのことを考えろって言ってる」
テーブルに肘をついて話していたら、奏と額同士がぶつかり合いそうな距離で、彼女は僕を見上げる。
「ねぇ、ヤキモチやいてんの? そういうの、ちゃんと区別してくれないと困る」
奏が怒っている。
盛大に息を吐き出し、そっぽを向いてドーナツかじる。
どうして彼女は、僕の気持ちを分かってくれないんだろう。
彼女がなにを言っても、どれだけキスをしても、僕が変わらないのが何よりの証拠。
彼女は残ったコーヒーを全部喉へ流し込むと、そのカップを置いた。
「ね、宮野くんがなに考えてんのか知らないけど、私の気持ちまで勝手に決めつけないでほしい」
「奏の気持ちは、僕にはちゃんと分かってる」
「どういうこと?」
「奏がどれくらい、僕を好きかってこと」
僕は手を伸ばし、彼女の頬に触れる。
顎を持ち上げ、ゆっくりと口づける。
どれだけ言葉を並べても、たとえそれがどんなに拙くて、口足らずなものでも、この僕にかけられた魔法が、本当の答えを教えてくれる。
たくさんの人がひしめき合う狭い店内で、彼女は僕の絡めた舌を押しのけた。
「ねぇ、いま私、そんな気分じゃない」
「あぁ。そうだろうね。よく分かったよ」
苦くて渋いコーヒーと、甘い香料の臭う油でベトベトになった唇を拭う。
僕はまだ人魚のままで、奏は僕を好きじゃない。
「もういい。帰る」
ゴミゴミした店内で、僕は立ち上がった。
こんなところにいる意味も、理由もない。
奏は僕を好きじゃない。
「ちょっと! どういうこと! 頼んだドーナツ、一口くらい食べていきなさいよ!」
「いらない。あげる」
店を出る。
海を出てから、何日たった?
僕に許された期間は、たったの1年だ。
2月の冷たい海から上がって、もう半年が過ぎてしまった。
時間がない。
奏は僕を好きじゃないとしたら、どうすればいい?
僕はやっぱり、海の泡となって消える運命なのだろうか。
星よりも無数に光る灯りの中を、僕は偽物の足で歩く。
夜なのに明るい街は、すれ違う人間と肩がぶつかり合うような距離の近さだ。
人と人の距離が、こんなに近いものだったなんて、見ているだけの頃は知らなかった。
奏と仲良くなれるよう努力して、人間の言葉で付き合うようにもなって、ちゃんとキスもしたのに。
それでも奏は、僕を好きじゃないなんて!
路上にしゃがみ込む。
蒸し暑い駅前の広場は、学校以上に沢山の種類の人間がひしめき合っていた。
もう夜のはずなのに、ずっと明るくて、闇夜が隠してくれるはずのものまで見えてしまっている。
こんなに無数の人間がいるのに、僕だけはそうじゃない。
こんなに沢山の人の中にいても、僕はこの無数の中の一つにも入れてもらえない。
うつむいてしゃがみ込んで、地面しか見ていなかった僕の目に、僕と同じ靴を履いた足が止まった。
細い足。いずみだ。
「どうしたの?」
顔を上げると、彼女は長くて黄色い髪を耳にかき上げる。
「岸田くんは?」
「……。もう、それは気にしなくていいよ。向こうも反省してたみたいだし」
「反省? それは、僕がするんじゃなくて?」
「そう言うってことは、宮野くんは、もう反省したんでしょ」
そう言うと彼女は、僕と同じ視線に並んだ。
「だったらいいんじゃない? もう反省しなくても」
いずみの髪からは、奏とは違う匂いがする。
いずみはプールには入らないから、あのヘンな臭いがしないんだ。
「僕の反省は、終わったってこと?」