強い日差しに肌が焼かれる。
あんまり写真は撮ってほしくないな。
まだ人間になれたわけじゃない僕の体は、きっと人間っぽくはないから。

「何でも頼れる、気さくでいい奴ですよ」

 岸田くんは僕の肩に腕を回すと、顔を近づけた。
その瞬間に、またカメラマンがレンズを向ける。

「ね、泳いでるところも撮れるかな。出来れば動画で。ネットにも載せたいから。いいですか?」

 僕は許可を出していないのに、先生が「いいですよ」と答えたので、泳ぐことになってしまった。
プールへ向かう僕に、岸田くんは耳打ちした。

「いいか。元人魚ってバレるから、潜水で泳ぐな。息継ぎもちゃんとして、ゆっくりな」
「バレる?」
「バレる」

 とはいうものの、先生に泳げといわれたら泳ぐしかない。
どうしよう。
ゆっくりって、なにを? 
元人魚って……。
僕はまだ人間になれていないから、じゃあ絶対にバレないようにしないと。
そうだ。誰かのマネをしよう。
それならきっと、人間だと思ってくれる。

 僕はゆっくりとプールサイドを歩く。
泳いでいた水泳部のみんなは、水から引き上げさせられていた。

 飛び込み台の上に立った僕を、またカメラのレンズから見ている。
そろそろそれはやめてほしいな。
そう思っていたら、岸田くんと目が合った。
彼はこくりと一つ大きくうなずく。
そうだ。
岸田くんの泳ぎ方の真似をしよう。
それならきっと、間違いないしカッコいい。

 いずみがタイムを計測する。
ほとんど指導になんて来たことのないコーチが、スタートのスイッチを手にする。
大きなカメラのレンズが、僕の体を捕らえた。

「ピッ!」

 合図と共に飛び込む。100mの自由形。3回ターンのやつ。
岸田くんの泳ぎは速いけど、ちょっとはゆっくりにした方がいいのかな。
だけど、どれくらいでスピードを調節したらいいのか分からない。
1回目のターン。
最初の25mは、そんなことを考えていたら、息継ぎするの忘れてた。
折り返したところで思い出して、息継ぎを一回。
25mの壁は短すぎて、すぐにターン。
どうしよう。
もう最後の25mだ。
思い出してもう一回息継ぎ。
最後の10mはゆっくり泳いで、壁に手をついた。

 顔を上げ、立ち上がる。
いずみはタイマーを見つめたまま、じっと動かなかった。

「ねぇ、どうだった?」
「49秒36……」

 コーチの目はまん丸くなっていて、岸田くんは「ウソだろ」とボソリとつぶやいた。
カメラを構えた記者とかいう人たちが、はしゃぎ出す。

「す、凄いじゃないですか! 非公式記録とはいえ、高校新記録ですよ!」

 こんなこと、早く終わってほしい。
プールサイドに、いつも僕のために定位置に置かれてあるビート板も、片付けられている。
奏と目が合った瞬間、彼女はうれしそうに、だけどちょっと困ったみたいに、にっこりと微笑んだ。

「いやー! 次の大会が楽しみですね。ここでそれを見せるってことは、やっぱり次は自由形で挑戦するの?」

 奏のそばに行きたくて、水から上がる。
記者の人が手を差し出してきたけど、そんなことより奏の方が大事。
コンクリートの焼け付くような足裏の痛みを我慢しながら、髪からポタポタ水を垂らした僕は、彼女の前に立った。

「どうだった?」
「うん。カッコよかったよ」

 彼女から渡されたタオルを受け取る。

「なに? どうしたの? なんでそんな困ったような顔してるの?」
「ううん。そんなんじゃなくて……」
「なんか、気に障った?」
「違う! そんなことはないから」

 僕の質問に、奏はそうやって言ってくれるのに、どうして魔法は解けない? 
記者の人たちが、また僕にカメラを向けた。

「あ。カノジョさんですか? 一緒に一枚どう?」
「いや、私は別に……」

 奏は嫌がったけど、記者さんは「まぁまぁ」とか言っている。
先生が「撮ってもらっとけ」と言って笑った。
「ほらほら」と手をひらひらさせ、カメラの人も待っている。
先生の言うことは……。きく。

「ん」

 僕は彼女の肩を抱き寄せる。
その瞬間、奏は凄く驚いた顔をしていたけど、結局カメラに向かって微笑んだ。

「次の自由形、楽しみにしてるね!」

 記者とかいう人たちは、やっと先生と一緒に帰っていく。
僕は肌が焼けるのと足の裏が熱いので、早く水に浸かってビート板に浮いていたい。
一連の騒動が終わって、お気に入りのビート板を探す僕の前に、岸田くんが立ち塞がった。

「宮野。お前なんでクロール泳いだんだよ。」
「だって、岸田くんがゆっくりって……」
「それで、俺の泳ぎをマネしたって? あぁ、どうせ俺は遅いよ。ゆっくりだもんな」

 岸田くんは怒っていた。
今まで見たこともないくらい、真剣に真面目に、本当に腹を立てている。
僕にとって岸田くんは、いつも正しくて間違えない人だった。

「お前はバタフライだっただろ。次はクロールに出る気か? だからそれを俺に譲れって?」
「違う。そんなこと思ってない。僕は泳ぐのはなんだっていい」
「は! そうだよな。お前一人が全種目泳いだ方が、いいに決まってる」

 彼は被っていたスイムキャップを取ると、足元に叩きつけた。

「やってらんねー。今日は俺、帰るわ」

 岸田くんが怒っている。
こんなにも怒った岸田くんを見たことない。

「待って。僕は岸田くんと同じようにすれば、間違えないと思ったんだ。もうバタフライ以外は泳がない」
「うるせーよ。誰がそんなこと言えんだよ。言えねぇだろ。あんなの見せられてさ」

 岸田くんが怒っている。僕は間違えたんだ。

「もう勝手にしろ」

 彼が更衣室に引き上げてゆく。
追いかけようとした僕を引き留めたのは、奏だった。
彼女は僕を見上げると、首を横に振る。
そのまま彼女の視線は、岸田くんの背中を追いかける。
僕の代わりに、奏が行くの? 
岸田くんのところへ?

「待って」

 彼に投げ捨てられたスイムキャップを、奏が拾い上げた。
彼を追いかけ走り出そうとする彼女の腕を、反射的に掴んでしまう。
だけどそれを、彼女は振り払った。

「ごめん、後で!」
「かなで!」