そんなことがあってから、奏は急に僕に親しく接するようになってくれた。
学校に来ると一番に僕のところへやって来て、ペラペラの薄くて人間が泳いでいる写真ばかりの本を開き、何かを一生懸命しゃべっている。
僕には彼女が何を言っているのか、さっぱり分からなかったけど、嬉しそうに話す奏を間近で見ているだけで十分だった。
岸田くんもやってきて、奏と一緒になってずっとしゃべっている。
僕はそれに適当な相づちをうちながら、楽しそうに話す二人をみている。

「はい。この雑誌、宮野くんにあげる」

 奏からの初めてのプレゼントだ。

「ちゃんと自分でも読んでおいてね」
「うん」

 そのペラペラの本に映っている人間は、他のみんなと同じく盛大に水しぶきをあげて泳いでいて、正直こういう泳ぎ方はどうなのかとまだ思っているけど、これが人間流だというのならそれでもいい。
奏もそんな泳ぎ方するし。

 陸の太陽は海よりも暑くて、空が悲鳴を上げているのかと思ったら、これはセミという虫の鳴き声なんだって。
陸には海にはない生き物がいっぱいいる。

「まずは飛び込みのルールから覚えないとね、姿勢良くきちんと飛び込まないと、突然『失格!』なんて言われることも少なくないから。飛び込み台に向かう時から、笛の合図まで一連の流れを覚えよう」

 放課後になって、プールへ向かう道のりを、奏と二人並んで歩いている。
いつかこうなると思ってはいたけど、いざそうなるととても嬉しい。
楽しそうに話す彼女の隣で、僕は形のいい目元と頬骨付近ばかりを見ている。
あの変な臭いのするプールに毎日浸かっているのにもかかわらず、奏の髪からはとてもいい匂いがした。

「宮野くんは、何が得意? やっぱりバタフライかな。クロールとか平泳ぎは出来る? どんな泳ぎ方をしたって、うちのどの男子部員より、全部速そうだけど」
「泳ぎでは負けないって言ったよね」
「そうだったっけ。だけど、本当にこんなに凄いと思わなかったよ」
「見直した?」
「あはは。見直した見直した!」

 奏さえ笑っていてくれるのなら、僕は何だっていいんだ。
彼女の微笑みに、僕は満足している。

「そういえば、岸田くんが困ってたよ。リレーのメンバーどうしようかって。宮野くんの出られそうな種目と距離も考えなくちゃって」
「そうなの? 奏は、岸田くんとお話出来たんだ」
「嬉しそうだったよ。すっごく。みんなもびっくりしてた」

 僕の隣で笑うこの彼女のためなら、僕は何だって出来る。

「よかったね」
「岸田くんはずっとバタフライだったんだけど、宮野くんに譲るって言ってたよ。宮野くん体力ないから、長距離は岸田くんが出て、短距離を任そうかって」
「そうなの?」
「うん。まだどうなるのか、ちゃんと決まってないみたいだけどね。他の部員との調整もあるし」

 彼女に寂しい思いはさせたくない。
僕は必ず君を笑顔にしてみせる。
もうすぐ部室に着くから、一旦はお別れするけど、またすぐ一緒になれるのはいい。

「ねぇ奏。今度から、僕から話しかけてもいい? 泳ぎ方とか、他にも色々聞きたいことがあるんだ」
「え? そんなこと、まだ気にしてたの?」
「奏との約束は、ちゃんと全部守るよ」
「あー……。うん。分かった。じゃあね、一回リセットしよう」
「リセット?」
「そう。私とした約束は、全部なし」
「どういうこと?」
「気にしなくていいよってこと!」

 プール前の広場につくと、彼女は女子更衣室のドアに手をかけた。
僕はそこには入れない。
せっかく許可がもらえたのに、今日はこれでお終い?

「着替えたら、一緒に泳いでくれる? 平泳ぎってのが、よく分からないんだ」

「了解!」