僕の歩く少し前を、いつも岸田くんを真ん中にして、右にいずみ、左に奏が並ぶ。
たまに違う子も混ざったりするけど、結局はそうなる。
僕には奏たちのしてる話がほとんど分からないけど、彼女の楽しそうな笑顔を見ているだけでいいんだ。
学校の先生の話とか授業の話なら何となく分かるようになったけど、学校以外の話は、何一つ理解出来ない。

 岸田くんの言ったことに、奏が反論し、それを肘打ちで返した岸田くんに対して、彼女は彼のシャツを引っ張る。
それを振り払おうとする岸田くんに、奏は笑いながらまた何かを言い返している。
奏は今日は、いつも以上にとても楽しそうだった。
そんな様子をぼんやり見ながら歩いていた僕を、岸田くんの隣を歩いていたいずみが不意に振り返った。

「……。ねぇ、いつも後ろからついてくるだけで、なにしてるの?」

 今日は奏と岸田くんがずっと話しているから、弾かれてしまったいずみが、珍しく僕の隣に並ぶ。

「奏を見てる」
「うん。知ってる」

 いずみはなんだか、少しムッとした顔でうつむいていた。

「いつもさ、そうやって遠くから見てるだけでいいんだ」
「だって、奏がそうしろって」
「奏のこと、好きなんじゃないの? 好きだからわざわざここまで来たんでしょ」
「そうだよ」
「もっと積極的にいかなくていいの?」
「積極的って?」

 いずみはパッと顔を上げると、細い眉をキッとつり上げ僕を見上げた。

「ねぇ、もっと奏と話したくない? 仲良くなりたいでしょ?」
「それはもちろん」
「だったら行こうよ」

 彼女は僕の袖を掴むと、それをグイと引っ張った。
どんどん奏に近づいていく。

「ちょ、待って。これ以上近寄ったら怒られるから、それはやめて!」
「別に怒ったりなんかしないよ。奏としゃべりたくないの?」
「奏に嫌われるようなことはしない」
「私に無理矢理連れてこられてんだから、平気よ」

 抵抗しようとしても、僕の力ではいずみに敵わない。
ずるずると引きずられるようにして、僕は初めてこの三人が帰る輪の中に入った。

「宮野くんも一緒にお話ししたいって!」
「ちょ、いずみ。僕はそんなことは言ってないから! ごめん奏、だから僕は、本当に邪魔するつもりはなかったのに、いずみが僕を……」

 奏に嫌われたら、僕はもう生きてはいられない。
ビクビクしている僕を、奏が見上げた。
怒られる! 
緊張に身を固めた瞬間、岸田くんの大きな腕が、ガシリと僕の肩に乗った。

「おー! 宮野か。お前も思ったより奥手だよな。愛しのカナデチャンなのに」
「な、やめてよ! 奏に嫌われる前に放して!」
「あはは。奏も、もうそんなに怒ってないってよ。ほら、たまにはちゃんと相手してやったら?」

 岸田くんにドンと突き飛ばされ、奏と肩がぶつかる。
彼女の顔はムッと歪んだ。

「ご、ごめんなさい!」

 彼女は自分の肩の、僕の触れた部分をおさえた。

「痛い」
「ごめん。ごめんね! もう行くから。じゃあね!」

 ここから早く逃げなきゃ。奏に嫌われちゃう。
じゃないと彼女との約束が……。

「もういいよ。大丈夫。嫌ったりしないから」

 岸田くんといずみは先に行ってしまっていて、僕と奏が取り残された感じになった。

「一緒に帰ってくれるの?」
「どうせすぐそこまででしょ。今日は一緒に帰ろ」

 奏が隣にいることを許してくれた。
そのことがうれしくて、また僕はドキドキしている。
緊張でそうでなくても動かしにくい体を、ゆっくりと歩く彼女の歩調に合わせてガタガタ歩く。
夕暮れの初夏の校内は、いつもより暑かった。
ずっとこうなりたいと思っていたはずなのに、僕は怖くて彼女の顔が見られない。
岸田くんの大きな背中と白いシャツは、奏と交代したいずみと二つ並んで、のんびり歩いている。
奏の口から大きなため息が漏れた。

「奏は、岸田くんのことが好きなの?」
「……。そんなことないよ」

 そうは言っても、奏が岸田くんのことを好きなのは、何となく分かる。

「そっか。僕も好きだよ。もちろん奏のことも好きだけど」
「そうね。岸田くん、いい人だもんね」

 僕たちはいま並んで歩いている。
奏とお話しが出来るなんて久しぶりだ。

「筋トレさ。だいぶ回数こなせるようになったよ」
「うん。知ってるよ。岸田くんといずみも褒めてた」
「ホント?」
「私はさ、宮野くんが水泳部に入ってくれて、うれしいと思ってるよ。それは本当だから」
「うん。ありがとう。奏にそう言ってもらえると、僕もうれしい」
「最近は、いずみも岸田くんも、宮野くんのことばっかり話題にしてるし」
「え? どんな話ししてるの?」

 思わず彼女を振り返る。
それは、奏も僕の話をしてるってこと?

「ないしょ! でもいいの。もうすぐそんなこと、言ってる場合じゃなくなるんだから」

 真っ暗になった校内の、外灯の下で彼女はにこりと微笑んだ。

「来週にはプール掃除があるんだから。いよいよだね。ようやく泳げるようになるよ!」

「あのプールで?」

 僕の知ってるプールは、まだ汚い緑色のままなのに。

「奏は、泳げるようになったらうれしい?」
「もちろんよ。凄くうれしい」
「そっか。じゃあ僕も楽しみにしてる」

 くるくる巻いた黒い短い髪の下で彼女の目が笑って、僕はそんな顔を見られるのなら、もう他のことなんて全部、なんだっていいような気がした。