***
海に浮かぶ島国である和国には、数々の陰陽師たちが存在している。
陰陽師はそれぞれが得意とする術で流派が分かれており、除霊や祓い術に長けた一族、交霊術に優れた一族、占いを生業とする一族、神寄せをする一族などがある。
天御門家は、優れた封印術を施すことでその名を知られていた。
天御門家当主の家に待望の跡継ぎが生まれたのは、真夜中のことだった。
数日間の難産の末に生まれた子は、男女の双子。双子は天御門家一門にとって不吉の象徴である。
「天御門家に双子はいらぬ。妹のほうを……消せ」
天御門家当主は自らの娘を死なせるという非情な決断をした。
誰ひとり反対できぬ中で、双子を産んだ母だけは夫である当主の足元にすがりついた。
「わたくしはまもなく天に召されます。あなたの妻を哀れと思うならば、どうか娘を生かしてくださいませ」
最後の言葉を遺し、母は静かに息を引き取った。
妻の遺言を無視できなかった天御門家当主は、双子の妹を別宅で秘かに育てることとした。情が移っては困るからか、娘に名前さえつけてやらずに。
一方双子の兄は、「優」という名を与えられ、天御門の跡継ぎとして大切に育てられていった。
***
「星、また夜空を見ているのかい?」
「まぁ、兄様。来てくださったのですか?」
星は夜の空を眺めるのが好きな娘だった。いつも星々ばかり見ているので、兄の優が「星」と呼ぶようになったほど。
「兄様って呼ぶのは止めておくれ。僕と星は双子なんだから。二人きりのときは、名前で呼ぶ約束だろう」
「そうだったわ、優。でもね、時には『兄様』って呼ばせてほしいな」
父と母の愛を知らずに生きてきた星にとって、甘えられるのは双子の兄である優だけだ。優も妹が愛情を欲しがっていることを誰より知っていた。
「いいよ。兄様って呼んでも」
「ありがとう。お空にいらっしゃるお母様に毎日語りかけているのよ」
秘かに育てられた星は、時折訪ねてくる兄の優だけが世界のすべてだった。
双子の兄の優は妹を慈しみ、陰陽師の知識や術を教え、土産として書物や菓子を運んでくれた。
「星は覚えるのが早いなぁ。僕より優秀だよ」
「優が教えるのが上手いのよ」
「おだてても今日の書物はこれだけだぞ」
「わぁ、ありがとう。これって庸国の本?」
「そうだよ。海の向こうにある庸国はとても大きい国だそうだ。いつか行ってみたい。庸国なら、僕も星も気がねなく暮らせると思うし」
「私も行ってみたい……。優と一緒にどこまでも駆け回りたいわ」
いつか海の向こうに行けることを夢見て、優と星は庸国の言葉を学んだ。天御門家の跡継ぎになる優には叶うはずもない夢だったが、庸国に憧れることが兄妹の希望だったのだ。
閉ざされた館の中だけが星の生きる場所だったが、優がいてくれれば生きていける。いつかきっと優と共に庸国へ。
星のささやかな夢と希望は、鬼の襲撃によって壊されてしまう。
天御門家の本宅が鬼に襲われたのである。突然の来襲に、なす術なく当主は殺されてしまった。優はどうにか反撃したものの、正式な跡継ぎになっていなかった優には防御するのが精一杯だった。
「兄様!」
「星? どうしてここへ」
「優が危ないって空の星々が教えてくれたの。優、一緒に逃げましょう」
「だめだ、星。危ないっ!」
強い風にあおられたと思った瞬間。星の前に飛び込んだ優が苦しそうに顔をゆがめ、ごぼりと吐血した。鬼が投げた刀が優の体を貫いてしまった。鬼が妹を狙っていると気づき、咄嗟に星を守ったのだ。
「優っ!!」
たったひとりの兄を助けるために、掟を破って館を飛び出してきたのに、逆に守られてしまうだなんて。
「優、しっかりして!」
かくりと倒れてしまった兄をどうにか助け起こそうとしたが、優の体からは血がとめどなくあふれてくる。動かせばさらに出血してしまうだろう。
「ああ、どうしたら……」
優を助けたいのに、その方法がわからない。涙だけ流れてくる。泣いたってどうにもならないのに。
「星、僕はもうダメだ。君だけでも生きてくれ……」
「いやよ。優が、兄様がいなくなったら私は生きていけない」
「星は強い子だ。兄様はよく知ってる。さぁ、手をだして……」
言われるまま優に手を差し出すと、優は妹の小さな白い手をぎゅっと握りしめた。
「封印術天の印・解」
優の手から星へ、あふれるほどの熱と愛情が力となって流れてくる。体に力がみなぎるのを感じる。
「僕の力を君にあげる。和国以外の国で幸せになれ……」
「いやよ。私と優のふたりで庸国へ行こうって」
「僕はもういけない。僕は空の星となって、母様と一緒に君をまもり……」
星の手を握っていた優の手が、力なくすべり落ちていく。地に落ちた手と、優の体はピクリとも動かなくなった。
「優? ねぇ、返事をして。ねぇってば」
どれだけ体をゆすってみても、兄は微動だにしない。口元に顔を寄せてみたが、吐息も途切れている。息をしない体が何を意味するのか、世間知らずな星でも理解できてしまう。
ただひとり、自分を愛してくれた双子の兄は天に召されてしまったのだと。
「いやよ……。いや~~っっ!!」
たったひとり生き残った星。
半身を失った悲しみと絶望が、星の体を支配していく。
激しい慟哭と共に、自分の力が一気に解放されていくのを感じたが、止めることはできなかった。
その後のことは、星はほとんど覚えていない。
兄の力を受け継ぎ、陰陽師として目覚めた星の力の暴走により、鬼が逃げていったと救助に来た別の陰陽師たちから聞いた。陰陽師たちに追われた鬼は、海を渡っていったらしい。
生きる希望を失い、力なくうずくまっていた星だったが、やがてゆっくりと顔をあげた。
「兄様の仇……できるのは私だけ、だわ」
哀れな少女の悲しき決意だった。
和国では女の陰陽師は跡を継ぐことができないため、どのみち生きる場所はない。ならばわずかな可能性を求めて、庸国へ行こう。兄の仇もおそらく庸国にいる。
ほどなくして、庸国の皇帝が天御門家の陰陽師を求めていると知り、星はその報せに飛びついた。女ひとりが海を渡るのは危険すぎるため、男の姿に、兄の優の姿となって。
「私、今日から男になるわね。天から私を見守っていて、兄様」
兄の仇を討つ。
それがひとりぼっちになった星の、かすかに残った希望であり、生きる意味だった。
海に浮かぶ島国である和国には、数々の陰陽師たちが存在している。
陰陽師はそれぞれが得意とする術で流派が分かれており、除霊や祓い術に長けた一族、交霊術に優れた一族、占いを生業とする一族、神寄せをする一族などがある。
天御門家は、優れた封印術を施すことでその名を知られていた。
天御門家当主の家に待望の跡継ぎが生まれたのは、真夜中のことだった。
数日間の難産の末に生まれた子は、男女の双子。双子は天御門家一門にとって不吉の象徴である。
「天御門家に双子はいらぬ。妹のほうを……消せ」
天御門家当主は自らの娘を死なせるという非情な決断をした。
誰ひとり反対できぬ中で、双子を産んだ母だけは夫である当主の足元にすがりついた。
「わたくしはまもなく天に召されます。あなたの妻を哀れと思うならば、どうか娘を生かしてくださいませ」
最後の言葉を遺し、母は静かに息を引き取った。
妻の遺言を無視できなかった天御門家当主は、双子の妹を別宅で秘かに育てることとした。情が移っては困るからか、娘に名前さえつけてやらずに。
一方双子の兄は、「優」という名を与えられ、天御門の跡継ぎとして大切に育てられていった。
***
「星、また夜空を見ているのかい?」
「まぁ、兄様。来てくださったのですか?」
星は夜の空を眺めるのが好きな娘だった。いつも星々ばかり見ているので、兄の優が「星」と呼ぶようになったほど。
「兄様って呼ぶのは止めておくれ。僕と星は双子なんだから。二人きりのときは、名前で呼ぶ約束だろう」
「そうだったわ、優。でもね、時には『兄様』って呼ばせてほしいな」
父と母の愛を知らずに生きてきた星にとって、甘えられるのは双子の兄である優だけだ。優も妹が愛情を欲しがっていることを誰より知っていた。
「いいよ。兄様って呼んでも」
「ありがとう。お空にいらっしゃるお母様に毎日語りかけているのよ」
秘かに育てられた星は、時折訪ねてくる兄の優だけが世界のすべてだった。
双子の兄の優は妹を慈しみ、陰陽師の知識や術を教え、土産として書物や菓子を運んでくれた。
「星は覚えるのが早いなぁ。僕より優秀だよ」
「優が教えるのが上手いのよ」
「おだてても今日の書物はこれだけだぞ」
「わぁ、ありがとう。これって庸国の本?」
「そうだよ。海の向こうにある庸国はとても大きい国だそうだ。いつか行ってみたい。庸国なら、僕も星も気がねなく暮らせると思うし」
「私も行ってみたい……。優と一緒にどこまでも駆け回りたいわ」
いつか海の向こうに行けることを夢見て、優と星は庸国の言葉を学んだ。天御門家の跡継ぎになる優には叶うはずもない夢だったが、庸国に憧れることが兄妹の希望だったのだ。
閉ざされた館の中だけが星の生きる場所だったが、優がいてくれれば生きていける。いつかきっと優と共に庸国へ。
星のささやかな夢と希望は、鬼の襲撃によって壊されてしまう。
天御門家の本宅が鬼に襲われたのである。突然の来襲に、なす術なく当主は殺されてしまった。優はどうにか反撃したものの、正式な跡継ぎになっていなかった優には防御するのが精一杯だった。
「兄様!」
「星? どうしてここへ」
「優が危ないって空の星々が教えてくれたの。優、一緒に逃げましょう」
「だめだ、星。危ないっ!」
強い風にあおられたと思った瞬間。星の前に飛び込んだ優が苦しそうに顔をゆがめ、ごぼりと吐血した。鬼が投げた刀が優の体を貫いてしまった。鬼が妹を狙っていると気づき、咄嗟に星を守ったのだ。
「優っ!!」
たったひとりの兄を助けるために、掟を破って館を飛び出してきたのに、逆に守られてしまうだなんて。
「優、しっかりして!」
かくりと倒れてしまった兄をどうにか助け起こそうとしたが、優の体からは血がとめどなくあふれてくる。動かせばさらに出血してしまうだろう。
「ああ、どうしたら……」
優を助けたいのに、その方法がわからない。涙だけ流れてくる。泣いたってどうにもならないのに。
「星、僕はもうダメだ。君だけでも生きてくれ……」
「いやよ。優が、兄様がいなくなったら私は生きていけない」
「星は強い子だ。兄様はよく知ってる。さぁ、手をだして……」
言われるまま優に手を差し出すと、優は妹の小さな白い手をぎゅっと握りしめた。
「封印術天の印・解」
優の手から星へ、あふれるほどの熱と愛情が力となって流れてくる。体に力がみなぎるのを感じる。
「僕の力を君にあげる。和国以外の国で幸せになれ……」
「いやよ。私と優のふたりで庸国へ行こうって」
「僕はもういけない。僕は空の星となって、母様と一緒に君をまもり……」
星の手を握っていた優の手が、力なくすべり落ちていく。地に落ちた手と、優の体はピクリとも動かなくなった。
「優? ねぇ、返事をして。ねぇってば」
どれだけ体をゆすってみても、兄は微動だにしない。口元に顔を寄せてみたが、吐息も途切れている。息をしない体が何を意味するのか、世間知らずな星でも理解できてしまう。
ただひとり、自分を愛してくれた双子の兄は天に召されてしまったのだと。
「いやよ……。いや~~っっ!!」
たったひとり生き残った星。
半身を失った悲しみと絶望が、星の体を支配していく。
激しい慟哭と共に、自分の力が一気に解放されていくのを感じたが、止めることはできなかった。
その後のことは、星はほとんど覚えていない。
兄の力を受け継ぎ、陰陽師として目覚めた星の力の暴走により、鬼が逃げていったと救助に来た別の陰陽師たちから聞いた。陰陽師たちに追われた鬼は、海を渡っていったらしい。
生きる希望を失い、力なくうずくまっていた星だったが、やがてゆっくりと顔をあげた。
「兄様の仇……できるのは私だけ、だわ」
哀れな少女の悲しき決意だった。
和国では女の陰陽師は跡を継ぐことができないため、どのみち生きる場所はない。ならばわずかな可能性を求めて、庸国へ行こう。兄の仇もおそらく庸国にいる。
ほどなくして、庸国の皇帝が天御門家の陰陽師を求めていると知り、星はその報せに飛びついた。女ひとりが海を渡るのは危険すぎるため、男の姿に、兄の優の姿となって。
「私、今日から男になるわね。天から私を見守っていて、兄様」
兄の仇を討つ。
それがひとりぼっちになった星の、かすかに残った希望であり、生きる意味だった。