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 そして、部屋に籠り始めてからどれくらい経ったか分からくなってきた頃、私は空人君の夢を見た。
 ただ二人で手を繋ぎ歩いている夢。
 横から少し見上げたその顔は笑っていた。
 ある意味名前に似合わないその笑顔を私は横からただ見つめているだけで、音は一切聞こえない静かな夢だった。
 目を覚ますと、まだ朝の五時過ぎで外は薄暗かったが、夢を見た私は何かに憑依されたかのように部屋を出て洗面所に向かった。
 久しぶりに見た自分の顔は別人のように痩せこけていて、髪はぼさぼさだった。
 しかし、今から向かおうとしている場所のことを思うと、そのままでは向かえなくて、髪に軽く櫛を通した後まとめて、唇にはリップを塗った。
 そうしていくらかマシになった自分を再確認し、コートをとって静かに家を出た。
 朝一のバスに乗り、降りたことのない終点まで行くと町の外れまで来て、そこからは地図を見て歩き出した。
 途中開店準備をしているお花屋さんを見かけ、無理を言って“ある花”を一輪だけ買った。
 そうして歩くこと二十分、バスは丘を登っていたため、街を一望できる上り坂に出た。
 朝日を浴びるのは実に久しぶりで少しだけ背筋を伸ばすと、丘の一番上に目的の場所が姿を現した。
 迷路のような敷地内を、お母さんに聞いた情報通りに進み、ついにそれを見つけると、涙がぽろっと零れた。
 そこは、空人君のお墓だった。
 周りと違い少し小さめな空人君の“お家”は、きっと空人君が好きそうなひっそり感があった。
 家から持ってきたお線香に火をつける。
 その香りに目を瞑り、思いを馳せた。
「久しぶり、空人君。
随分待たせちゃったね。
・・怒ってる?」
 「まさか、そんなんじゃ怒らないよ」と聞こえた気がした。
 久しぶりに頬が緩んだ。
「私今日ね、空人君と手繋いで一緒に歩く夢見たんだよ。
空人君、たくさん笑ってたね。
・・・幸せだったぁ。
もしかして、ほんとに空人君が会いに来てくれたのかな?
そうだといいな。
・・・ねぇ、空人君。
空人君はなんであの時私を助けたの?
もし空人君に記憶があって、私の運命を知っていたとしたら、同じように助けてくれた?
今、助けたことを後悔してる?
私ね、分からないの。
空人君が今何を思っているのか知ることが出来ないと、私前に進める気がしないの。
ねぇ、教えて?」
 その問いかけには何も聞こえてくる気がしなかった。
 そして、香りがしなくなったことに気が付き、現実に帰ってくると線香は燃え尽きて灰になっていた。
 それから私は、二日に一回くらいのペースで空人君の元へ通った。
 そこで線香が燃えている約二十分間だけ、唯一私は正気でいることが出来た。
 核心に迫る質問にはいつも返事はないような気がしたが、他愛もない話ではいつも空人君が隣で会話してくれているような気がした。
 事故の日の事、そして私のことをどう思っているか知りたいとは思いつつ、知ってしまえばもうこのような日々を続けることは許されないような気がして、いつも質問に答えてくれないことに内心ほっとしていた。
◆◇◆◇
 そして季節は廻り、コートを着る必要がなくなった頃、私はいつものようにマンションを出てバス停まで向かおうとしていた。
「あ、あの。
もしかして、冬野未羅ちゃん?」
 退院以来、家族以外と言葉を交わすことが全くなかった私は、自分の名前が呼ばれることの違和感にすぐに気が付いた。
 そして呼ばれた方向を向くと、そこには見覚えのない女性が立っていた。
 歳は四十代くらいで顔は酷くやつれていて、私と同じような顔つきだった。
 そして「どなたですか?」と聞くこともせず不躾にその女性を見つめていると、
「あぁ、やっぱりあなたが・・・そうなのね?」
と言いながら近寄ってきた。
 そしてわざわざ目の前まで近寄ってきて深々と頭を下げてこう言った。

「はじめまして。
私、葉山空人の母です」

「え・・・」
 あまりの衝撃に息を忘れた。
 避けられないことは分かっていたけど、ついにその時が来たのだ。
 そして、その時初めて顔がやつれている意味を理解し、私は胃を抉られるような感覚に襲われた。
 一つの紙袋を手に下げた彼女は、頭を下げたまま微動だにせず、それが道行く人々の視線を集めた。
 ほんとは私がそうするべきなのに。
 でも今ここで土下座なんてしたら、空人のお母さんにまで迷惑をかけてしまう。
 そう思った私は、
「・・・どうぞ、中へ入ってください」
と家の中まで案内した。