目的地までの距離を調べると、約六キロメートルあった。
 電車で行きたかったが、事故が今日のいつ起きるか分からない以上、多くの人を巻き込む可能性がある交通手段は避けなければならなかった。
 時計を見ると時刻はまだ午前九時を回ったばかりだったということもあり、悩んだ末歩いていくことを決めた。
 今日という日はまだ始まったばかりだった。
 私の最後に相応しい場所。
 その条件は、周りに誰もいなくて且つ空人君との思い出に浸れる場所ということだった。
 そして、私が思いつく場所でその条件に当てはまるのは一か所だけだった。
 道中、厚着をしてきてしまったために体は温まり、一方で足の指先は感覚がなくなるほど冷えてしまい、体力がかなり奪われた。
 しかし徐々に見覚えのある街並みになってくるとその懐かしさに浸る事ができて、そこからはあっという間だった。
 見覚えのある神社の境内を通り過ぎ、その先の交差点を曲がると細い歩道に入る。
 そして現れる擁壁沿いにその歩道を進むと目的の場所へ続く階段が姿を現した。
 そしてその階段にも雪が積もっていたので、目的地を前にしてくだらない事故を起こさないように、手すりを掴みながら一歩一歩確実に上っていった。
 その場所とは、二周目で空人君と花火を見たあの高台だった。
 空人君との二度目のファーストキスの場所を私は自分の最後の死に場所として選んだのだ。
 五か月ぶりに訪れるその場所には変わらず“特等席”があり、今も私たちを待ってくれている気がした。
「・・ほんとは二人で来れたらよかったんだけどね」
 ベンチに向かいそう呟きながら雪を払い、そして座った。
 そこから見る景色には、あの夏の日に見た、うなされる様な熱気は感じられず、澄み渡った静けさと哀愁に包まれていた。
 昼間だというのに、聞こえるのは自分の呼吸音と枝から雪が落ちる音だけで、目に見えている街並みとは透明な壁で分断されているような気になった。
 後はその瞬間をここで待つだけ。
 この場所に座っているだけの私にどんな事故が起こりうるのだろうか。
 目の前の澄んだ景色をそのまま写し取ったような清い心で考えたが、思いつくのは落雷や高台の崩壊、倒木などのろくな死に方ではなかった。
 その時スマホが鳴り、確認すると空人君からのメッセージだった。
 文面からして空人君は順調に本来の待ち合わせ場所に向かっているようだ。「ごめんね」そう心の中で何度も呟きながら、嘘のメッセージを送った。
 空人君心配するだろうな。
 そのあと、私が事故に遭ったって知ったら、何もかも投げ出して私の家まで来てくれるかな。
 それで・・・私が死んだって知ったら、みじめなほど泣き崩れて悲しんでくれるかな。
 気付くと一筋の雫が私の頬を伝っていた。
 悔いはないし、覚悟はできているはずだった。
 それは間違いない。
 だから死ぬのが怖いという感情ではなかった。
 でもやっぱり、寂しいものは寂しい。
 それは、覚悟や後悔などは全く関係なく、一人になれば誰しもが感じてしまう“孤独”だった。
 この思い出の場所に一人で座り、終わりの瞬間をただ待つだけの私がそれを感じないことなど到底不可能で、寂しくて仕方なくて、涙が滝のように溢れてきた。
「大好きだよ、空人君。
お願いだから、・・・私をいつまでも覚えていてね?」
 この声は誰にも届くことなく、澄み渡った空気の一部となった。
 そして、私はひたすら泣き、泣いて泣いて、それでも尚泣き続けた。
 体力を使ったことで体温が上昇して、眠気に襲われた。
 このまま、凍死するのかな。
 そう思った。
 ついにその瞬間が来たと思い運命に身を委ねたが数時間後に寒さで目が覚め、気付いたら澄み渡った空はもうそこには無かった。
 どうやら、シイナさんの中で凍死は事故に含まれないらしかった。
 寝てる間に再び降り始めた雪が体を濡らしていて、確かに死にそうなくらい寒かったが、あくまでそれは誇張の延長線上でしかなくて、体は至って健康そのものだった。
 「今はその時ではない」と誰かが私の本能に囁いているようだった。
 死に場所さえ自分で選べなかった事実に打ちのめされた私は気付いたらタクシーに乗っていた。
 場所を指定した記憶すら無かったが、運転席のナビを見ると住所は私の家に設定されていた。
 家に帰って私はどうするつもりなのだろう。
 いつの間にか窓の外は吹き荒れる大雪になっていた。
「お客さん、びしょ濡れだけど大丈夫かい?よかったら、これでも使いな。」
 絶望の淵に居るような私を見かねた運転手さんがふわふわのタオルを貸してくれた。
 きっと誰にでも差し出すであろうその優しさも今の私には過剰に染み渡り、また涙が出た。
「・・・優しいですね」
「まぁ、今日はクリスマスだし。
そのくらいの救いがあってもいいでしょう」
 運転手さんは明らかに訳アリな私に事情も何も聞かず、笑顔でそう言った。
「・・・車なかなか進みませんね。
混んでるんですか?」
「まぁ、この雪じゃあなぁ。
みんなゆっくり走らざるを得ないでしょう。
事故にでもあったら大変だ。
・・まいったなぁ、今日は早く上がって、娘たちにケーキ買って帰る約束なのに」
 その一言が私の心臓にズンッとのしかかった。
「ここで降ろしてください」
「え・・でもまだ目的地までは結構距離あるよ。
危ないから、止めときな」
「いえ、親がすぐそこまで迎えに来てるので大丈夫です。
お釣りはいりません。
タオルのお礼です。
ケーキ代の足しにでもしてください。
・・幸せなクリスマスを過ごしてください」
 私はそう言って、運転手さんの返事を待たずにタクシーを降りた。
 運転手さんとは違い、外の世界は私に牙をむいた。
 再び凍えるような風が全身を襲う。
 家まではまだ二キロくらいあり、「丁度良い距離だ」と思った。
 この際、死に場所なんてどうでもよくなっていた私は、全身を吹き荒れる風に委ねて歩き出した。