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 翌日の記念日、やっぱり空人君は私を放ってはおかなかった。
 一緒に帰ろうと言ってきたのだ。
 振り切るのが難しいと判断した私は、今日こそは別れを切り出そうと思った。
 そして、寒空の下二人で気まずい状態のまま歩いていると、そのチャンスはすぐに訪れた。
「なあ、もう僕の事嫌いか?」
 少し前を歩く空人君が唐突に呟いた。
 どんな顔をしていたかは分からない。
 数か月間待ち望んでいた時が、想像もしないタイミングで突如目の前に現れ、私は息をのんだ。
 「うん」というだけで良かった。
 それであとはおとなしく“運命”を待つだけだったのに、思い出すのは一周目と二周目のどちらも含めた空人君との愛おしい思い出ばかりだった。
 そしてそれらを目の前にして、その二文字を言うのは到底不可能だった。
 こんな眩しい思い出ばかりを貰っておいて、嘘をつくのは空人君に失礼だ。
 そんな恩を仇で返すような事はやっぱり良くない。
 そもそも嘘をつくという行為自体あまり私には向いていない。
 空人君のこととなれば尚更だ。
 目の前にその機会が訪れて、ようやく自分の間違いに気付いた。
 そもそも、“運命の日”は一緒に居れない。
 だからその前に別れる。
 そんな単純な思考自体間違っていた。
 でも、そこでズルズルと後退するような一年前のような私ではなかった。
 別れを切り出すのは不可能だと分かった瞬間、過ちを生かし次の策を考えた。
 もっと冷静沈着に考えて、判断材料を揃える用意周到さ。
 それに加えて、“その日”以外は嘘偽りなく過ごす真っ当さが私には必要だった。
 嘘をつくのは最後の一瞬だけでいい。
 そう思い直した私は記念日という喜ばしい日を素直に楽しみつつ、どうするかの判断材料を揃えることだけに徹した。
 私を家まで送ってくれた空人君に対し別れを告げ、自分の部屋で息を整える。
 まずは前提の疑問について考えた。
 それは、一周目の火災のような危機に陥った場合、空人君は命を懸けてまで私を助けるのかということだ。
 そして、その答えはほぼ確実にイエスだった。
 空人君は「未羅に痛みを感じさせない存在になりたい」と言った。
 これは心だけではなく物理的なことも当てはまるに違いない。
 心から嬉しく思いたかったが、「目的を達成しなければならない」というこの状況において、その考えは非常に危険だった。
 前々から決まっていたことだが、やはりクリスマスの日に一緒に居ることは危険すぎる。
 次に考えたことはその日までの一か月をどう過ごすのかということについてだ。
 これは、空人君の意見をそのまま反映させようと思った。
 もし自分に“悲惨な運命”があるとしたら、空人君はその日までは可能な限り楽しむらしい。
 “最後の晩餐”みたいに。
 正直そう言ってくれて安心した。
 なぜなら、私もそうしたかったからだ。
 自分のこの感情は間違ってないと誰かに言ってほしかった。
 そして、もう一つ考えなければならないことがあった。
 それは、運命の日をどこで過ごすかということ。
 それはつまり自分が“どのような事故に遭うか”というところに直結してくる。
 なにも巻き込みたくないのは空人君だけではない。
 お母さん、お父さん、友達、巻き込みたくない人などいくらでもいた。
 その感情に基づいた結果、家に籠るというのは良くないことに思えた。
 お母さんは一日中家にいるし、マンションで起こる“事故”と言ったらろくなことがない気がした。
 火災、ガス漏れ、爆発、どれも他人をも巻き込むようなものばかりだった。
 つまり、私は人知れず“事故に遭う必要”があったのだ。
 その為に誂え向きの場所に私は心当たりがあった。
 あそこなら、きっと一人でも大丈夫って思える。
 私は自分の最後に相応しい場所を心に決めた。