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 二周目現在、驚きの連続で終わりを迎えた花火大会の余韻を私たちは“特等席”に座ったまま確かめていた。
 夜空に漂う花火の煙を見つめて、それがだんだんと薄くなっていくことに、言い表せない虚無感というか悲哀というか、そういうものを抱いた。
 きっと空人君も同じことを感じていたと思う。
 でも、お互いにその感情を表に出すことはなく、ただ純粋に一緒に入れる時間を長引かせようとしていた。
「あ、またひとつ消えた」
 私は屋台の光がぽつぽつと消えていくのを数えていた。
「あ、ほんとだ。
花火大会ってあっけないよなぁ。
あんなに賑わってても花火さえ終わっちゃえばみんな片付けることに必死だもんな」
「ほんとだよね。
少しくらい余韻を楽しませてくれればいいのに」
「まあ、それは屋台に限らずだよな。
見物客も余韻なんて楽しんでる暇がない。
こうやって見てれば分かるけど、もうみんな帰ることに必死になってる。
きっと空気が余韻を楽しむことを許してくれないんだろうね。
時間の流れというか、そういう絶対に逆らえないものがそうさせるんじゃないかな」
 空人君の言葉に私は息がしづらくなった。
「・・・今日は楽しかったよ」
 話題を変えるついでに空人君の肩にすり寄った。
 見た目よりがっしりした体に安心感が込み上げる。
「それは僕も、楽しかった」
「私はもう悔いがないよ」
「なんだよその死ぬ間際みたいな感想。
まあ、その言い方を借りて言うなら、一つだけ悔いがあるかな」
 空人君はそう言って笑った。
「何を悔やんでるの?」
「浴衣を着てこれなかったこと」
「もぉー、さっきも言ったじゃん。
空人君が浴衣着たら絶対良くないこと起きるから別にいいんだよ」
「良くないことってなんだよ」
「えー、ドジして鼻緒が切れるとか」
「なんだそれ」
 二人の控えめな笑いが煙の消えた夜空に響いた。
「・・でも、来年は絶対浴衣でこよう。」
 空人君がベンチに置かれた私の手を上からキュッと握り、そう言った瞬間、屋台の明かりが完全に消えて町が夜に包まれた。
「・・本当に後悔してる?浴衣の事」
「うん」
「じゃあ償いの機会が欲しい?」
 私は空人君の肩から頭を起こした。
「償い?」
 空人君は息をのんだ。
「・・じゃあ、チャンスをあげる」
 そういって私は空人君にグイっと近寄り、肩に手をまわした。
 空人君は“償いの意味”を理解したようだった。
 暗くて表情はよく見えないが、息遣いで真剣なのが伝わってきた。
「ふふっ・・さあどうする?空人君」
 私がそう言った後、彼は迷うことなく私を引き寄せた。
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 今日の思い出だけでこの先なにがあっても乗り越えていける気がする。
 こう思ったのは紛れもない事実だった。
 だって、今日の私は心から笑えた。
 演技で“笑ってるように”見せることは一度もなかった。
 ほんのひと時だったけど私は“運命”から解放された。
 花火大会から帰ってきて、お風呂に入り上がった体温を夜風で覚ましていた。
 時計を見ると午前一時を回っている。
 ベランダから見える景色はいつも変わらずそこにある。
 何があろうとも、私をここで待っていてくれる。
 最近はなぜかベランダから外を眺めることが多くなった。
 きっと今の私は無意識にこの不変性を求めているのだろう。
 たとえ私が死んでもここにある。
 そう言った何かが私は欲しいんだ。
『・・でも、来年は絶対浴衣でこよう。』
 空人君の言葉が頭の中に響いている。
 ・・・ほんとに来年も行けたらいいな。
「大丈夫。・・・きっと、大丈夫」
 そうやって口にしてみても、私は目からこぼれ落ちる大粒を止めることは出来なかった。
 みんなの夏が始まった頃、人知れず私の夏は終わっていった。