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「あぁ、ごめん未羅。
こんなはずじゃなかったのに」
 腕時計をしきりに見ながら私の手を引く空人君が言った。
「もぉー、何回謝ってるの?
これだけ人が多ければ仕方ないよ」
 花火大会の開催時刻である六時半まではあと数分しかないのに私たちは駅に着いたばかりだった。
 会場周辺の駅における電車の満員状態が続いていたせいで、空人君が予定の電車に乗り遅れてしまったのだ。
「僕がもっと余裕をもって行動していなかったからだ。
これじゃ間に合わない」
 焦る空人君は歩く速度が徐々に早くなっていった。
 人ごみをかき分けながら半ば強引に前へ前へと突き進む。
 六時半まであと三分、二分、一分。
 先にタイムリミットを迎えたのは私の足だった。
「いっ・・痛い。
空人君ちょっと待って」
 履きなれない下駄の鼻緒に、指の間が赤く擦り剝いていた。
 私の声に振り返った空人君は我に返ったかのように青ざめて、すぐに道の端へ私を連れていった。
「いったぁ~。ごめんね空人君。
ちょっと絆創膏貼らせて?」
 石畳の遊歩道にある花壇の淵に座り、絆創膏を取り出そうとした私を、空人君はただ見つめていて、その拳には力が滲んでいた。
「なぁに?落ち込んでるの?
まったく~、可愛いなぁ。
・・大丈夫だよっ。
これはある意味、浴衣を着る女の子の宿命でもあるから。
だからこうやって絆創膏も用意してたわけだし。ねっ?」
 私がそう言った瞬間だった。
――――ドンッドドンッ
 時刻は六時半。
 会場までたどり着けなかった私たちは中途半端な場所から花火を見上げることになった。
 そして、花火により歩道を歩いていた人たちも立ち止まってしまったため、そこから会場まで自力で向かうのは恐らく無理だったと思う。
 私たちがいる場所から見上げる花火は少し歪な形をしていた。
「・・・ごめん」
 カラフルな花火に照らされた空人君の横顔は酷く落ち込んでいた。
 元気付けるためにあえておどけてみたけど、逆効果だった。
 空人君は繊細な一面がある。
 「自分を元気付けるためにおどけた」という意図そのものが伝わってしまい、それがより一層空人君をみじめに感じさせてしまったらしい。
 言ったこと自体は本心なのになぁ。
 そうやって、ただ立ったまま落ち込む空人君の顔を見上げながら、私はどうすれば空人君を喜ばせられるか考えてみた。
 そして、その答えは案外すぐに出た。
「・・空人君。
私はね、正直花火なんてどうでもいい」
「・・え?」
「どうしても償いたい?自分を、許したい?」
 そう言った私を見下げる空人君は息をのんだ。
「じゃあ、チャンスをあげる」
 私はそう言って、服の胸元を掴み空人君を私の顔の目の前まで引き寄せた。
 あまりに近すぎたため、やった自分でも動揺してしまいそうだったけど、もう後には引けなかった。
 そして、照らされて見えた空人君の顔左半分も花火に染まって赤く見えた。
「ふふっ・・どうする?今、みんな花火に夢中だよ?」
 空人君は周りを少し見て、その後迷っているようだった。
 その間、十秒くらいずっと顔は近いままだった。
「でも・・人前だし・・・」
 そう言って、耐え切れなくなった空人君は目を逸らした。
「はぁ・・やっぱ空人君が自分からしてくれるわけないか。
・・でも、足心配してくれたのはすごい伝わったよ。
だから、ご褒美上げるね」
 そう言って、私はあと一歩だった距離を自分から詰めた。

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 私の中で、“私たちのファーストキス”は人ごみの中だった。
 控えめな私たちにしては少し大胆だったかもしれない。
 でも、普段のその控えめな態度が報われたのかもしれない。
 その瞬間私たちを見た人は誰もいなかった。
 付き合い始めて一年近くで、やっとファーストキスと聞けば、みんな驚くかもしれない。
 どうせ「遅すぎない?」とか、「いまどきそんなの流行らないよ」とか言われるんだろう。
 でも何度も言うように、私たちは“控えめ”なの。
 私たちには私たちなりの歩幅というものがある。
 その少しじれったいような速度が私にはとても心地よく感じた。