空人君は自分の名前が好きではない。
それは恐らく“二周目”でも同じだろう。
先日、文化祭の出し物に関する署名を一人一人行うときに確信した。
私よりも前に署名した人たちの名前を眺める。
“葉山アキト”。
これが空人君の署名だった。
その字を見て、思い出す。
愛おしくてたまらない“一周目”の記憶を。
それは、十月九日。
屋上で二人当てもなく話していた時の記憶。
早帰りで、なんとなく別れるのが惜しかった二人は壱也君の秘密の場所を借りて、気の向くままに文字占いをしていた。
———————————————————
「はい、ここに空人君の名前書いてみて」
屋上に放棄された一つの机を挟み、ペンと紙切れを空人君に渡した。
「占いとか、あまり信じないけど・・・」
空人君はそう言いながら渋々自分の名前を書いた。
“葉山アキト”。
この特徴的な文字の並びは、今までにも何度か見覚えがあった。
「・・ねぇ、空人君さ。
なんでアキトって漢字で書かないの?」
その質問に対して、空人君は聞かれるのを予想してたかのように分かり易く嫌な顔をした。
「んー・・やっぱり聞くよなぁ。
できれば答えたくないんだけど・・」
空人君は控えめに言った。
私の要望に応えるのは初めてだったので、少し驚いたのと同時に、やきもちに似たような感情を抱いたのを覚えている。
「ふーん、そっか。
じゃあ無理には聞かないよー。
なんかごめんね」
私が素っ気なく返すと、
「い、いや。
別に言ってもいいんだけどさ・・」
と空人君は尻すぼみする声で言った。
これが狙いだった。
空人君は私の不機嫌な態度に弱いことを、私は知っていた。
それを利用するのはずるいかな。
「じゃあ教えて」
私がコロッと態度をひっくり返すと、空人君は「騙された」とでも言いたげに、ため息をついた。
今までにも何度か同じようなことがあったが、どうやら空人君は耐性を身に付けていないらしい。
「・・自分の名前、好きじゃないんだ、僕」
その一言の後、空人君は自分の名前に対する思いを一通り打ち明けてくれた。
駄洒落が由来であることに納得していないこと。
“空”を“アキ”と読むことに対して思うこと。
一つ一つ、丁寧に話してくれた。
正直名前にこだわりがあるようには見えなかったので、少し意外だった。
でも、自分がほんとに嫌いなものについて話すという行為は勇気がいる事だ。
きっと、他の人に話したことはないのだろう。
「こんな話、誰にもしたことないや」
空人君はどこか照れ臭そうだった。
「それって、壱也君にも?」
「うん、もちろんない」
それを聞いたとき、空人君の中での“私”という存在の立ち位置が分かった気がして、それが私の中での空人君の“それ”と一致していることに喜びを感じた。
そして、話してくれたことに対する“対価”を払いたいと思った。
「でもね・・だからこそ私は空人君のこと、見つけられたんだよ?」
もう後には引けなかった。
「え?」
顔を上げ、逸らしていた目を合わせてきた。
「空人君が“空っぽ”だったから、色がなかったから、私はあなたに気付けたの」
空人君は、私の口調で話の方向性を理解したらしく、息をのんだ。
「私ね、この学校に来る少し前までは満たされていたの。
何をするときでも周りには常に誰かいて、私が何か言えばみんなが賛同してくれて、私が居なければそのグループは成り立たなくって、つまり私に無いものはなかったの。
でも転校がきっかけで私には何もなくなった」
「・・・冬野」
空人君はずっと真剣なまなざしで私を見つめていた。
「その時思ったの。
私を今まで満たしていたものは何だったんだろうって。
でも、その答えを見つけられないまま先を急いでしまった私は“不正解”を導き出してしまった。
素の自分を偽り、みんなの望む私でいることが正しいんだって、そう決め付けちゃったの。
だからこの学校に来て、今のクラスに初めて入った時まず始めにしたことが、誰が私に好意を寄せているかを見定める事だった。
今思えば、最初から満たされてなんかなかったんだと思う。
でも、認めたくなかった。
そう考えれば、私たちって似てるかもね」
「確かに・・・似てるね」
そう言った空人君は微笑んでいた。
「だからこそ、教室に入ったとき真っ先に目に留まったのは、空人君だった。
空人君が私と同じで“空っぽ”だったから。
今思えば、あれは共鳴と近い何かだったと思う。
今こうやって『前の自分は空っぽだった』って素直に認める事が出来るのは、空人君と出会えたから。
そのおかげで今こうして空人君の魅力に気付く事が出来たの。」
「え・・魅力って・・」
「だから、だからね?空人君。
・・・その名前、私は空人君の為だけにある気がするの」
———————————————————
これが、私と空人君の“本当の始まり”だ。
その後は・・・まあ雰囲気に流されて、私から好きって言った気がする。
帰る頃には手を繋ぎ、肩を寄せ合っていた。
二周目現在、私は自分の部屋で壱也君からの“0518”というメッセージとカレンダーを交互に見つめていた。
かれこれ二時間近くはその状態を続けていた。
今日は十月八日。
“二周目”に入ってから今までの出来事と“一周目”の出来事を照らし合わせると、詳細な流れは異なっていても、重要なポイントは同じ結果を辿っていることに妙な不安を覚えた。
重要な部分で正しい選択が出来ていないのではないか。
そう感じつつも、どうしても空人君の名前に対する思いを変えてあげたいと思っている自分がいる。
・・お願いです。
どうか、今回だけ。
今回だけでいいので、自分の意志で“一周目”をなぞらせてください。
神様ではない何かにそう祈った私は、スマホを手に取り空人君にメッセージを送った。
『やっほー!起きてる?』
それは恐らく“二周目”でも同じだろう。
先日、文化祭の出し物に関する署名を一人一人行うときに確信した。
私よりも前に署名した人たちの名前を眺める。
“葉山アキト”。
これが空人君の署名だった。
その字を見て、思い出す。
愛おしくてたまらない“一周目”の記憶を。
それは、十月九日。
屋上で二人当てもなく話していた時の記憶。
早帰りで、なんとなく別れるのが惜しかった二人は壱也君の秘密の場所を借りて、気の向くままに文字占いをしていた。
———————————————————
「はい、ここに空人君の名前書いてみて」
屋上に放棄された一つの机を挟み、ペンと紙切れを空人君に渡した。
「占いとか、あまり信じないけど・・・」
空人君はそう言いながら渋々自分の名前を書いた。
“葉山アキト”。
この特徴的な文字の並びは、今までにも何度か見覚えがあった。
「・・ねぇ、空人君さ。
なんでアキトって漢字で書かないの?」
その質問に対して、空人君は聞かれるのを予想してたかのように分かり易く嫌な顔をした。
「んー・・やっぱり聞くよなぁ。
できれば答えたくないんだけど・・」
空人君は控えめに言った。
私の要望に応えるのは初めてだったので、少し驚いたのと同時に、やきもちに似たような感情を抱いたのを覚えている。
「ふーん、そっか。
じゃあ無理には聞かないよー。
なんかごめんね」
私が素っ気なく返すと、
「い、いや。
別に言ってもいいんだけどさ・・」
と空人君は尻すぼみする声で言った。
これが狙いだった。
空人君は私の不機嫌な態度に弱いことを、私は知っていた。
それを利用するのはずるいかな。
「じゃあ教えて」
私がコロッと態度をひっくり返すと、空人君は「騙された」とでも言いたげに、ため息をついた。
今までにも何度か同じようなことがあったが、どうやら空人君は耐性を身に付けていないらしい。
「・・自分の名前、好きじゃないんだ、僕」
その一言の後、空人君は自分の名前に対する思いを一通り打ち明けてくれた。
駄洒落が由来であることに納得していないこと。
“空”を“アキ”と読むことに対して思うこと。
一つ一つ、丁寧に話してくれた。
正直名前にこだわりがあるようには見えなかったので、少し意外だった。
でも、自分がほんとに嫌いなものについて話すという行為は勇気がいる事だ。
きっと、他の人に話したことはないのだろう。
「こんな話、誰にもしたことないや」
空人君はどこか照れ臭そうだった。
「それって、壱也君にも?」
「うん、もちろんない」
それを聞いたとき、空人君の中での“私”という存在の立ち位置が分かった気がして、それが私の中での空人君の“それ”と一致していることに喜びを感じた。
そして、話してくれたことに対する“対価”を払いたいと思った。
「でもね・・だからこそ私は空人君のこと、見つけられたんだよ?」
もう後には引けなかった。
「え?」
顔を上げ、逸らしていた目を合わせてきた。
「空人君が“空っぽ”だったから、色がなかったから、私はあなたに気付けたの」
空人君は、私の口調で話の方向性を理解したらしく、息をのんだ。
「私ね、この学校に来る少し前までは満たされていたの。
何をするときでも周りには常に誰かいて、私が何か言えばみんなが賛同してくれて、私が居なければそのグループは成り立たなくって、つまり私に無いものはなかったの。
でも転校がきっかけで私には何もなくなった」
「・・・冬野」
空人君はずっと真剣なまなざしで私を見つめていた。
「その時思ったの。
私を今まで満たしていたものは何だったんだろうって。
でも、その答えを見つけられないまま先を急いでしまった私は“不正解”を導き出してしまった。
素の自分を偽り、みんなの望む私でいることが正しいんだって、そう決め付けちゃったの。
だからこの学校に来て、今のクラスに初めて入った時まず始めにしたことが、誰が私に好意を寄せているかを見定める事だった。
今思えば、最初から満たされてなんかなかったんだと思う。
でも、認めたくなかった。
そう考えれば、私たちって似てるかもね」
「確かに・・・似てるね」
そう言った空人君は微笑んでいた。
「だからこそ、教室に入ったとき真っ先に目に留まったのは、空人君だった。
空人君が私と同じで“空っぽ”だったから。
今思えば、あれは共鳴と近い何かだったと思う。
今こうやって『前の自分は空っぽだった』って素直に認める事が出来るのは、空人君と出会えたから。
そのおかげで今こうして空人君の魅力に気付く事が出来たの。」
「え・・魅力って・・」
「だから、だからね?空人君。
・・・その名前、私は空人君の為だけにある気がするの」
———————————————————
これが、私と空人君の“本当の始まり”だ。
その後は・・・まあ雰囲気に流されて、私から好きって言った気がする。
帰る頃には手を繋ぎ、肩を寄せ合っていた。
二周目現在、私は自分の部屋で壱也君からの“0518”というメッセージとカレンダーを交互に見つめていた。
かれこれ二時間近くはその状態を続けていた。
今日は十月八日。
“二周目”に入ってから今までの出来事と“一周目”の出来事を照らし合わせると、詳細な流れは異なっていても、重要なポイントは同じ結果を辿っていることに妙な不安を覚えた。
重要な部分で正しい選択が出来ていないのではないか。
そう感じつつも、どうしても空人君の名前に対する思いを変えてあげたいと思っている自分がいる。
・・お願いです。
どうか、今回だけ。
今回だけでいいので、自分の意志で“一周目”をなぞらせてください。
神様ではない何かにそう祈った私は、スマホを手に取り空人君にメッセージを送った。
『やっほー!起きてる?』