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 夏休みが開けて一週間が経過したが、冬野は既にクラスの輪の一部となっていた。
 というより、クラスの輪の中心にいた。
 クラスのコミュニケーション能力に長けた人によって構成された男女混合の五人グループに加わり、六人グループになっていた。
 もちろん壱もその中にいて、リーダーのような存在を担っている。
 そんな派手なグループの調和を保ちつつ、僕との時間もしっかり確保するなんて器用な奴だ。
 冬野も壱のことを頼りにしているようで、学校の施設の案内は、壱にお願いしているらしい。
 クラスでは、早くも付き合っているのではないかといううわさが流れ始めていて、校内一の美男美女カップル誕生とまで謳われていた。
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 ある日、壱の職員室への所用でいつもより帰りが遅くなった。
 普段は混んでいるバスが空いており、最後部の座席に壱と並んで腰を掛けた。
 そして、たわいもない会話から冬野の話題になった。
「彼女、すごいよな。
もうクラスの中心にいるし、愛想いいし、なにより常に一歩引いてるのがおしとやかって感じだよな」
「壱の口からおしとやかって言葉が出てくるとは思わなかった」
 僕が馬鹿にすると、壱が小突いてくる。
「クラスの中心にいるのは、壱のおかげじゃない?」
 僕が本心を言うと壱は首をかしげたので、壱がうまくサポートしているからだと補足し、ついでにクラスが噂してることも伝えると
「そりゃないな」
と即答された。
「彼女、お前のこと気になってるみたいだぜ」
 壱の唐突な一言に、一瞬動揺して会話が途切れてしまった。
 そして景色に固定していた視線を壱に向け、再確認するように尋ねる。
「冬野さんが、僕に?」
「そう。
お前、授業中も休み時間もずっと本読んでるだろ。
だから気づかないかもしれないが、彼女俺らと一緒にいるとき、よくお前の方見てるんだよ。
多分お前が唯一クラスでまだ話したことない人だから、余計気になるんだろうな」
 おそらく違う。
冬野はクラスの人の力関係とそのバランスを察する能力に長けているのだ。
 だからこそ一週間でここまでクラスに馴染むことができたに違いない。
 クラスの中に図らずとも発生している人々の上下関係を即座に把握して、その力と力の隙間にうまく入り込む。
 それができるということは、冬野は視野が広くとてつもなく器用だということを意味する。
 だからこそ、クラスにいながらどの派閥にも属さず誰からも影響も受けない、完全なる独立を果たしている僕が、よほど異物に感じられたのであろう。
 そうでなければ僕を気にする理由がない。
 バスから降り、すでに傾いている日を背に浴びながら駅に向かう途中、僕は文庫本と携帯を机の中において来てしまったことに気が付いた。
 授業中に、物語に出てきた言葉の意味を調べるために、机の中でコソコソ検索していたらそのまま忘れてしまったらしい。
 最悪だ。
 明日から土日休みだからさすがに丸二日学校に携帯を置きっぱなしにするのは不安が大きい。
 それに文庫本は土曜日の暇つぶしに読む予定だったので、渋々ひとりで学校まで引き返すことにした。
 壱と別れ一度降りたバスに再び乗り込む。
 いつも朝に眺める景色を夕方に見ると別の場所のような気がして、胸がざわついた。
◆◇◆◇
 学校付近のバス停に着いた時には、すっかり夜になっていた。
 敷地内には暗くなるまで練習していた野球部の生徒などがちらほら見られたが、校舎は既に人気がなく静まり返っている。
 廊下の電気も消えており、あるのは月あかりと廊下の端にある非常口のマークの明かりだけだ。
 上履きを床に落とした音が闇に吸い込まれていき、普段と違う雰囲気をまとった校舎に若干気圧される。
 このまま進んだら、元に戻れないような気がする。
 そんな予感がした。
 意を決して足を前に進める。
 コツコツとなっている自分の足音は教室に近づくにつれて自然と抜き足になっていき、やがて目的地の扉の前にたどり着いた。
 パタパタとカーテンがはためく音が聞こえる。
 どうやら、窓が開けっぱなしになっているらしい。
 そして三階に位置する僕の教室には、扉の外からでもわかるくらい月あかりが差し込んでいた。
 昇降口とは異なる幻想的な雰囲気に包まれていることに安堵を覚え、ガラガラと扉を開けた。