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 十二月二十四日の夜、僕の町では四年ぶりに雪が降った。
 もちろん一瞬だけ雨が雪に変わることなどはそれほど珍しくなかったが、カーテンを開けて眺める外の景色が別世界に見えるほど雪が降るのを見たのは実に久しぶりだった。
 雪の一粒一粒が大きくて、ふわふわしていた。
 こういうのを、ぼたん雪というらしい。
 さっきリビングのテレビでアナウンサーが説明していた。
 部屋の窓を開けて一粒手に取ってみる。
 外はいつも以上に静けさが増しているような気がした。
 ・・冷たい。
 掌に乗った雪は、よく見ようと顔に近づける頃には既に水滴に変わっていた。
 雪片が大きいほど溶けやすいというのはどうやら本当らしい。
 綿あめもそうだ。
 大きい方が口の中で良く溶ける。密度の問題なのだろうか。
 よくわからないが、そういえばあの日未羅に一口貰った綿あめは一瞬で無くなったな。
 掌の水滴を眺めながら、僕はなぜか花火大会の時のことをぼんやりと考えていた。浴衣姿の未羅、とても綺麗だった。
 未羅自身は街並みやら屋台やらに夢中で気付いてなかったかもしれないが、すれ違う人がみな未羅の方に振り返っていた。
 そんな人々の目に、誇らしさを感じると同時に突発的な独占欲が芽生えたのを今でも覚えている。
 だから僕はあえて未羅の少し後ろを歩くことによって振り返る人々の視線を遮っていた。
 そんな舐め回すような眼で僕の恋人を見るんじゃない、とでも言わんばかりに。
 今となっては懐かしい。
 記念日の日以来、こんな感じで未羅と過ごした日々のことを今まで以上に思い出すようになっていた。
 それも何故か笑顔ばかり。
 記念日以降の未羅はまた花火大会以前みたいによく笑うようになっていて、その笑顔をまた見れるようになったことが、僕はたまらなく嬉しかった。
 思い出す原因の一つはこれだろう。
 これだけ聞くと、ただののろけ話に聞こえるかもしれないが、ただ実際のところそんな単純な話ではなかった。
 不思議なことに未羅のその笑顔を思い出すたびに、逆に僕は心に影が伸びているような感覚に襲われた。
 まるで暗い夜道で人の気配を感じるような、そんな漠然とした不安に襲われるようになっていたのだ。
 この胸に引っ掛かる違和感は何なのだろう。
 なにか重要な事を忘れている気がする。
 答えがそこまで出かかっているような感覚はするのだが、するだけで結局この一か月以上もの間何も答えは出ていなかった。
 気が付くと、掌の水滴は既に蒸発していたので、気持ちを切り替える為に首を横にブルブルと振り、布団に入った。
 明日はこんなこと忘れて純粋に楽しめるといいな。
 そう思いながら、僕は深い眠りに落ちていった。
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 クリスマス当日、昨日閉め忘れたカーテンの隙間から差し込む日差しで目が覚めた。
 よほど快眠だったのかいつもより体が軽い。
 窓を開けると、世界は真っ白な雪に覆われていて、家の近くでは、早々に近所の子供たちが雪遊びをしていた。
 十センチ近く積もっているようだ。
 風が吹いているのに不思議と寒さを感じさせない子どもたちの無邪気な姿を眺めながら、起きたての体に外の空気を目一杯ため込み、そして吐き出す。
 吐き出された息は朝日にキラキラと輝き、そのまま風に乗って流されていった。
 まるでサンタのソリが通った跡みたいだった。
 良いクリスマスになりそうだ。そんな予感がした。
 ダイヤこそ乱れているが、電車は動いているようだった。
 これなら、早めに出れば集合時間の三時には間に合いそうだ。
 ツリーの点灯式は夕方の六時からなので、待ち合わせ時間は少し遅めに設定して、集合場所はちょうど二人の乗り換えが重なる駅にした。
『そっちは電車動いてる?』
 メッセージを送ると二十分後に、
『うん、大丈夫だよ』ときた。
『遅延とかあるだろうし、道も凍ってるかもしれないから気を付けて』
と送ると十分後に、
『ありがとう』と返ってきた。
 何もかもが順調な一日だった。
 昨日までの不安は、最近まで半年近くも距離を置かれていた事実から来るものだったのかも知れない。
 きっとその期間があまりにも長かったせいで慣れてしまい、またすぐその状態に戻ってしまうのではないかという恐怖が僕を襲っていたに違いない。
 そう自分の中でケリをつけると昨日までの不安がまるで嘘だったかのように心が軽くなった。
 朝食を軽く済ませ、昨日の夜から既に準備していたモッズコートを片手に家を飛び出す。
 イヤホンを耳にはめて、いつもよりアップテンポな曲を流しながらバスに飛び乗った。
 駅に向かう途中、雪だるまを作る子供、愛犬に服を着せて散歩する老人、転ばないように慎重に自転車をこぐ人、様々なものが前から後ろに流れていったが、どの光景もすべて輝いて見えた。
 なんていい日なんだろう。
 しかし本番はここからだ。
 ここで満足するのはまだ早いぞ、と自分に言い聞かせて、これから待ち構えている、ただでさえ良い日を素晴らしい日に変えてくれるであろう一寸先の未来に心を躍らせた。