特別棟の四階は、もうすでに物置と化した教室や使われなくなって行き場をなくした楽器たちの墓場と化した部屋しかなく、普通に学校生活を送るうえではまず来ないフロアだった。
 だがそこに用がある人にとっては頻繁に訪れる場所でもあった。
 ちなみに、僕も用がある側の人間なのだが、つまりは僕のような人間にとっては恰好のさぼり場なのだ。
 先生たちがたまに巡回で廊下を通ることはあったが、ただでさえ薄暗く物で生い茂った部屋には廊下からの死角が非常に多く、静かに寝転んで読書をしていれば、まずばれることはなかった。
 そういう好都合な条件が揃っていたので、一年の頃はだるいと感じた時や体育の授業の時に頻繁にそこにお世話になったわけだが、今年に入ってすぐの頃にそこでイチャイチャしていたカップルが先生に見つかり、全校集会を開いた挙句、見回りも厳しくなり一つ一つの部屋に入ってくるようになってしまってからは、行かなくなってしまっていた。
 約半年ぶりにそこにやってきたわけだが、トイレの前にまだ冬野の姿はなかった。
 ホームルームが終わった直後僕らは目配せをして、わざとタイミングをずらし教室を後にしたのだ。
 当然僕が先に出たので、先に着くのは当たり前だ。
 待っている間、吸い込まれるように自然と足が向かったのは階段の方から三つ目の部屋、“文化祭の墓場”だった。
 文化祭でしか日の目を見ることがない大道具や、毎年新規作成されるうえに、捨てるのが勿体ないという理由で増え続け、とりあえず放置されている手作りの巨大な文化祭オブジェなどが乱雑に置かれている。
 そう、ここは僕が気に入って入り浸っていた場所だ。
 半年ぶりに来たがその内見は全くと言ってもいいほど変わっておらず、相変わらず埃っぽい。
 それぞれ物の位置もその時のまんまだ。
 無造作に置かれた姿形が様々なオブジェたちの間をすり抜け、一番窓際にある鍵盤が所々欠けているオルガンの裏側を覗くと、そこには人一人が寝そべる事が出来るくらいのスペースが姿を現す。
 ここもあの時のままだった。
 午後になると太陽の光が当たるその場所で僕はよく寝転がり本を読んだり音楽を聴いたりしていた。
 だめだ。
 やはりここに来ると無性に寝転がりたくなってしまう。
 そこはまるで今でも僕を歓迎しているように見えた。
 これはもはや自分の部屋のベッドを見ると急に飛びたくなりあの感じと限りなく近いだろう。
 本来の目的を忘れ、なんとなく寝そべってみる。
 やはり落ち着く。
 少し肌寒くなってきた秋の空気に日光が合わさり、絶妙な温かさをキープしている。
 イヤホンを装着し頭の後ろで手を組み目を瞑るとものの数秒で眠気に襲われた。
 どれくらい経ったのだろう。
 完全に眠りに落ちたわけではないので、そこまで時間が経っていないことは確かだが、聞いていた音楽は気付くと別の曲へと変わっていた。
 意識がだんだんとはっきりとしてきた。
 それは、日光で照らされて若干赤く染まっていた瞼の裏側が急に真っ暗になった気がしたからだ。
 最初は曇ってきたのかと思ったが、体は未だ日の光を感じ取っているので、どうやらそうではないらしい。
 あまりの心地よさで目を開ける事すら躊躇したがゆっくりと開けてみた。