夜の闇に、焔の赤がまるで花のようであった。

 全ての小屋に火が廻り、ばちりばちりと爆ぜているのである。盛りではない。もうすべてを燃やし尽くした後である。黒焦げた柱がむき出しになり、そこにちろちろと赤が残っていた。
 ――可哀想に。
 足元に転がった、黒焦げた死体を見て、女はそう呟いた。この有様では、おそらく生きているものはいないだろう。突然の事であったに違いない。つんと漂う異臭に顔をしかめる。行李を背負い直し、女は焼け落ちた邑に足を踏み入れた。

 海辺の邑であった。漁業を営む者が多く住んでいたに違いない。
 これほどになるまで、火を消す手段はなかったのだろうか。それとも、消えない火であったのだろうか。
 ゆっくりと、女は歩いた。
 浜辺には、焼けた死体がごろりごろりと転がっていた。
 火が付いたものだから。それで、海に逃げ込んだのだ。それでも、間に合わなかったのだろう。
 ――いったい、どれほどの業火が。
 歩くたびに、砂が鳴った。波の音と火の爆ぜる音。そして風の音。

 その音に混じって、小さな声が聞こえた。
 目を凝らす。
 気のせいか。
 いや、確かに聞こえた。
「……て」
 幽かな声であった。
 女は、目を凝らす。
 寄せて返す波、その波に洗われるように、人が、倒れていた。
 裸であった。下半身は焼けただれ、見るも無残な姿であった。
「た……けて」
 美しい娘だ。長い黒髪は先端こそ焦げているものの、夜の闇を溶かし込んだかのようにつやりと輝き、うっすらと開いた瞳は、炎の赤を受けてぬらりと光っている。
 ――生きている。
 しかし、虫の息であるのには間違いない。
 女は逡巡する。助けるのは容易だ。けれど、それをこの娘が望むのだろうか。女と同じ役目を、この娘にも負わせることになる。
 それでも、いいのか。
「娘」
 声をかける。
 娘は、瞳を揺らすことで、その声に反応した。
「生きたいか」
 黒々とした瞳から、すうと涙が落ちる。
「生きて、切り離された水となるか」
 瞳が、揺れた。
「……い」
 ――生きたい。
 声なき声で、娘は呟いた。
 女は行李を背中から降ろすと、中の物を取り出した。さらし布に巻かれた包みである。随分小さい。掌に乗る大きさである。女は慎重な手つきで、その包みをそうっと開けていく。
 現れたのは、ひとかたまりの肉片であった。それを取り出した小刀で小さくそぎ落とす。
 娘の瞳が揺れていた。それを見ないようにして、女はそぎ落とした肉片を彼女の口元に持っていく。
「食え」
 差し出した肉片を、娘は薄っすらと開いた唇で、ゆっくりと、食んだ。
 娘は濡れた瞳で、女を見上げている。
 包みを元に戻すと、それを行李に放り込む。そのまま娘の髪をひと撫でして、立ち上がった。
 火の爆ぜる音が、静かに響いている。薄っすらと紫色に染まる海原を見て、女は細く息を吸い、唇に歌を乗せた。
 高く低く、歌は海に木霊する。海と空の境目が開き、ようようと金色に染まっていく。

 夜明けが近い。長い朝と、夜の始まりであった。