高校三年生の夏。誰もいない教室で放課後を共にしていた、私と彼のこと。


「進路希望を出してないのお前らだけだぞ」と担任に言われた挙句、今日中に出すようにと急かされた。

担任に限ったことではないが、三年生を受け持つ教員たちは、ことあるごとに「受験生であることを忘れずに」と言う。

気を引き締めて一年を過ごしましょうとか、課外や模擬テストには積極的に参加しましょうとか。三年生になった途端そんなことばかり言われるようになり、私は辟易していた。



高校生最後の年だ。受験生と言えど、もっと華のある毎日を送れるものだと思っていた。

勉強だの受験だの、たった一言で楽しみを奪うような言葉ばかり並べる教員たちは、いったいどういう気持ちなんだろう。生徒全員にどこかの大学に入ってほしいとでも思っているのだろうか? 

何十年も前に教員自身も味わったはずの苦痛は美化されて、「あの時頑張ったから今の自分がいる」とか、そういう過去に仕上げられてしまったのだと思う。だから他人事みたいに言えるんだ。


大人にとって、私たちこどもは、過去を再現するための道具にしか思われていないような気がしてならない。


そう思うのは、私が尖っているから、だろうか。


一学年三クラスあるわが校は、例年、一組が国公立進学コース、二組が専門学校進学コース、三組が私立進学コースで分けられている。


コースの希望調査が行われたのは二年生の冬だった。私はその頃も今と変わらず、将来やりたいことも極めたいことも見つかっていなかった。

仲の良い友達がみんな国公立進学コースにするというので成り行きで同じコースを選んだ。国公立がダメでも、勉強さえしておけば私立大学も受験できるしどこかしらには受かるだろう、と、そんな安易な思考ゆえのことだった。


私は酷く後悔していた。

学校で言われる言葉、なされる行動。そのどれもが私だけを置いて行くような感じがして、辛かったのだ。