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いつの間にか眠っていたボクは、久しぶりに、本当に久しぶりに黒猫になっていた。ホットカーペットの上にいるような心地良く温かい太ももの上で寝ていたボクは、そのまま目線を上にやると優子もすーすーと寝息を立てて気持ちよさそうに眠っていた。眠っている顔を初めて見たけれど、やっぱりびっくりするぐらい可愛い。見つめていると、どんどん心臓の鼓動が速くなっていく。このタイミングで黒猫になった事をボクは後悔した。壁にかかっている時計を見ると15時を回っていた。再び人間に戻るには普段通りならまだまだ時間がかかりそうだ。彼女と話したい事がたくさんあるのに。言葉を交わせないもどかしさが心の中を独り占めする。優子の寝息だけが耳に入る部屋で、ボクは師匠がいなくなった事を改めて思い出してみると、悲しい気持ちと寂しい気持ち、これからどうなっていくのだろうという不安で怖い気持ちなんかが荒い波になって胸に勢いよく押し寄せてくる。漠然とした恐怖が心の中にそびえ立っている。これまでは当たり前のように側にいた存在がいないのは、こんなにも辛いという事をボクは初めて知った。唯一ボクの心が落ち着いていられるように思えるのは、この優子の体温の温もりだ。もしもここも無くなってしまったら、いよいよボクは壊れてしまう気がした。そんな優子にしばらく身を委ねていると、彼女はもぞもぞと動き始めてうーんと体を伸ばしら指で目を擦りながら少しずつ目が開いた。。太ももの上にいるボクを見た優子は一瞬驚いたようにびくっと足が跳ねた。
「おぉ、キミはあの公園の」
ボクを見た優子は、それからは驚く事なくボクの毛並みをあの優しい手触りで撫で始めた。この家の中にいるのに公園にいた黒猫だと優子はどうして思ったのかはボクには分からなかった。
「久しぶりだね。まさかこんな場所で会うなんて」
黒猫の状態で優子に会うのも本当に久しぶりだった。あの時の記憶を思い返すだけでも体全体が熱くなる。あの公園にいる白猫と仙猫さんにもずっと会っていない。元気にしているかな。また会いに行かなくちゃ。そんな事を考えながら僕は優子の綺麗な瞳をじっと見つめた。
「キミがここにいる事、何でか分からないけれど違和感に感じないや」
優子の笑顔を見ると、さっきまで押し寄せていた心の中の荒波が嘘のように落ち着いた。それどころか、柔らかくて暖かい春の風が吹いたように心が穏やかになった。
「ふふ、やっぱりキミは可愛いね」
もふもふとボクの毛並みを優しく撫で続ける優子。目の前にいたニケという「人間」が突然いなくなり、目を覚ますと黒猫がいた現実。それを彼女はどう解釈しているのだろう。今は聞く術の無いそんな疑問が頭に浮かぶ。
「私、今日からここに住むんだ」
優子は唐突にそう言った。窓の外を見つめながらも、彼女の言葉は確実にボクに向けられているのが伝わってきた。。ボクはそれを受け止めるようにじっと彼女の顔を眺める。
「今ね、ここに住んでる私の大切な人が寂しい思いをしてるんだ。キミによく似ている可愛らしい人だよ」
優しく暖かい瞳がボクに向けられる。優子はいつからこんな瞳をするようになったのだろう。そこにはもうロボットみたいな無表情の優子はいなかった。むしろ、窓から彼女に差す光が相まって聖女という表現が相応しい程に神々しく見えた。
「その人はね、私なんかよりずっとしっかりしていてね、いつもとっても優しいんだ。けれど、今その人の心の中には大きな穴がぽっかりと空いていると思うんだ。だから私がその穴を埋めてあげるんだ」
ボクの頭を撫でながら話す優子の声は、子守唄のように心地よくボクの耳に届いている。ボクの小さくなった心臓が再び少しずつ脈を強く打ち始める。彼女から聞こえるボクについての話。彼女がボクの事を話してくれているだけでボクの心の中は嬉しさで全てが満たされる。
「私、いつからかその人を見ていたんだ。ネコの世界にもあるのかな。あのネコをいつまでも見ていたいって思う気持ち。あ、そういえばキミはあの公園にいる白猫とお似合いだと思うよ」
ふふふと笑う優子の顔が見たくなって目線を再び優子の方へ向けた。
「お、図星だな」
と、今度は悪戯っぽく笑う顔をボクに向けた。ボクの心の中は、春の優しい風が吹き抜けたように暖かくなっている。
「私ね、ついこの前まで人間が嫌いだったんだ。自分の為だけに行動して、他の人が転んでいても手を差し伸べない人間たちの世界が。自分さえよければいい。自分が一番可愛い。そんな人で溢れ返っている。人間の世界は大変だよ」
そう言って優子は口を閉じた。コポコポと、愛嬌のある加湿器の音だけが部屋に聞こえる。話を聞いているよと合図を送るようにボクは尻尾をゆっくりと振った。
「でも、私は師匠と出会ってニケさんと出会った。京子さんや美咲さん、風花さんと真希さん。4人も友達ができた。みんなが私を変えてくれた。私は生まれて初めて人が好きになった。生きていてよかったと思った。ここはね、私のとっても大切な場所なんだ」
優子の優しい言葉と手がボクを包み込む。目元がじんと熱くなったのが分かり、ボクは涙が出てきそうになった。猫の姿でも涙は出るのだと、ボクは初めて知った。
「正直、私の心の中にも大きな穴は空いている。彼と同じぐらい、とても大きな穴が空いている。でも、挫けていたらあの人も悲しくなると思う。心配になると思う。だから私は、あの人がまた帰ってきた時にみんな笑顔で迎えたい。そう思ったんだ」
優子の声が徐々に震え出した。ボクの背中にある優子の手も少し震えている。
「えへへ、何でネコのキミにこんな話したんだろうね。人間のことなんてキミには関係ないのに」
優子の目から流れる涙を止める術が無かったボクは、自分の出来る精一杯の温もりをと、そっと再び優子の太ももの上に寄り添うように乗った。すると優子は、ボクの体を全身で強く抱きしめてから、泣き崩れるようにその場でうずくまった。
「ありがとう。少しこのままでいさせて」
優子はそう言って涙を流したまま眠りについた。ボクもつられて瞼が閉じていった。
いつの間にか眠っていたボクは、久しぶりに、本当に久しぶりに黒猫になっていた。ホットカーペットの上にいるような心地良く温かい太ももの上で寝ていたボクは、そのまま目線を上にやると優子もすーすーと寝息を立てて気持ちよさそうに眠っていた。眠っている顔を初めて見たけれど、やっぱりびっくりするぐらい可愛い。見つめていると、どんどん心臓の鼓動が速くなっていく。このタイミングで黒猫になった事をボクは後悔した。壁にかかっている時計を見ると15時を回っていた。再び人間に戻るには普段通りならまだまだ時間がかかりそうだ。彼女と話したい事がたくさんあるのに。言葉を交わせないもどかしさが心の中を独り占めする。優子の寝息だけが耳に入る部屋で、ボクは師匠がいなくなった事を改めて思い出してみると、悲しい気持ちと寂しい気持ち、これからどうなっていくのだろうという不安で怖い気持ちなんかが荒い波になって胸に勢いよく押し寄せてくる。漠然とした恐怖が心の中にそびえ立っている。これまでは当たり前のように側にいた存在がいないのは、こんなにも辛いという事をボクは初めて知った。唯一ボクの心が落ち着いていられるように思えるのは、この優子の体温の温もりだ。もしもここも無くなってしまったら、いよいよボクは壊れてしまう気がした。そんな優子にしばらく身を委ねていると、彼女はもぞもぞと動き始めてうーんと体を伸ばしら指で目を擦りながら少しずつ目が開いた。。太ももの上にいるボクを見た優子は一瞬驚いたようにびくっと足が跳ねた。
「おぉ、キミはあの公園の」
ボクを見た優子は、それからは驚く事なくボクの毛並みをあの優しい手触りで撫で始めた。この家の中にいるのに公園にいた黒猫だと優子はどうして思ったのかはボクには分からなかった。
「久しぶりだね。まさかこんな場所で会うなんて」
黒猫の状態で優子に会うのも本当に久しぶりだった。あの時の記憶を思い返すだけでも体全体が熱くなる。あの公園にいる白猫と仙猫さんにもずっと会っていない。元気にしているかな。また会いに行かなくちゃ。そんな事を考えながら僕は優子の綺麗な瞳をじっと見つめた。
「キミがここにいる事、何でか分からないけれど違和感に感じないや」
優子の笑顔を見ると、さっきまで押し寄せていた心の中の荒波が嘘のように落ち着いた。それどころか、柔らかくて暖かい春の風が吹いたように心が穏やかになった。
「ふふ、やっぱりキミは可愛いね」
もふもふとボクの毛並みを優しく撫で続ける優子。目の前にいたニケという「人間」が突然いなくなり、目を覚ますと黒猫がいた現実。それを彼女はどう解釈しているのだろう。今は聞く術の無いそんな疑問が頭に浮かぶ。
「私、今日からここに住むんだ」
優子は唐突にそう言った。窓の外を見つめながらも、彼女の言葉は確実にボクに向けられているのが伝わってきた。。ボクはそれを受け止めるようにじっと彼女の顔を眺める。
「今ね、ここに住んでる私の大切な人が寂しい思いをしてるんだ。キミによく似ている可愛らしい人だよ」
優しく暖かい瞳がボクに向けられる。優子はいつからこんな瞳をするようになったのだろう。そこにはもうロボットみたいな無表情の優子はいなかった。むしろ、窓から彼女に差す光が相まって聖女という表現が相応しい程に神々しく見えた。
「その人はね、私なんかよりずっとしっかりしていてね、いつもとっても優しいんだ。けれど、今その人の心の中には大きな穴がぽっかりと空いていると思うんだ。だから私がその穴を埋めてあげるんだ」
ボクの頭を撫でながら話す優子の声は、子守唄のように心地よくボクの耳に届いている。ボクの小さくなった心臓が再び少しずつ脈を強く打ち始める。彼女から聞こえるボクについての話。彼女がボクの事を話してくれているだけでボクの心の中は嬉しさで全てが満たされる。
「私、いつからかその人を見ていたんだ。ネコの世界にもあるのかな。あのネコをいつまでも見ていたいって思う気持ち。あ、そういえばキミはあの公園にいる白猫とお似合いだと思うよ」
ふふふと笑う優子の顔が見たくなって目線を再び優子の方へ向けた。
「お、図星だな」
と、今度は悪戯っぽく笑う顔をボクに向けた。ボクの心の中は、春の優しい風が吹き抜けたように暖かくなっている。
「私ね、ついこの前まで人間が嫌いだったんだ。自分の為だけに行動して、他の人が転んでいても手を差し伸べない人間たちの世界が。自分さえよければいい。自分が一番可愛い。そんな人で溢れ返っている。人間の世界は大変だよ」
そう言って優子は口を閉じた。コポコポと、愛嬌のある加湿器の音だけが部屋に聞こえる。話を聞いているよと合図を送るようにボクは尻尾をゆっくりと振った。
「でも、私は師匠と出会ってニケさんと出会った。京子さんや美咲さん、風花さんと真希さん。4人も友達ができた。みんなが私を変えてくれた。私は生まれて初めて人が好きになった。生きていてよかったと思った。ここはね、私のとっても大切な場所なんだ」
優子の優しい言葉と手がボクを包み込む。目元がじんと熱くなったのが分かり、ボクは涙が出てきそうになった。猫の姿でも涙は出るのだと、ボクは初めて知った。
「正直、私の心の中にも大きな穴は空いている。彼と同じぐらい、とても大きな穴が空いている。でも、挫けていたらあの人も悲しくなると思う。心配になると思う。だから私は、あの人がまた帰ってきた時にみんな笑顔で迎えたい。そう思ったんだ」
優子の声が徐々に震え出した。ボクの背中にある優子の手も少し震えている。
「えへへ、何でネコのキミにこんな話したんだろうね。人間のことなんてキミには関係ないのに」
優子の目から流れる涙を止める術が無かったボクは、自分の出来る精一杯の温もりをと、そっと再び優子の太ももの上に寄り添うように乗った。すると優子は、ボクの体を全身で強く抱きしめてから、泣き崩れるようにその場でうずくまった。
「ありがとう。少しこのままでいさせて」
優子はそう言って涙を流したまま眠りについた。ボクもつられて瞼が閉じていった。