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 「おはようございます」
 「おはよう優子。今日も早いね」
 「はい。早めに来たくなったので」
 「お、そんなにここが好きになったか?」
 「はい、好きです」
 「そうかそうか! 良かったなぁ二ケェ!」

師匠がキッチンの方へ大きめの声で彼を呼ぶと、ハンカチで手を拭きながら苦虫を潰したような顔で彼が出てきた。

 「なんて? 師匠声でかすぎて逆に聞き取れないっていつも言ってんじゃん。おぉ!? 優子! お、おはよう」
 「おはようございます」
 「よかったな、ニケ。今日から優子は3日連続出勤だ」
 「そ、そうなんだ。店も儲かるね」
 「そうだなぁ!」

あからさまに何かを楽しむ師匠は、私を見ては彼の方もジロジロと見てニヤニヤしている。これがこの前彼の言っていた師匠のムカつく顔だろうか。確かに人を煽るには最適な表情をしている気がした。

 「なんだよ師匠」
 「別にぃ? あ、そうだ。オレ、部屋ですることあるんだったぁ! 2人に掃除任せるわぁ!」

師匠は私たちにそう言い残し、そそくさと2階へ登っていった。階段を駆け上っていく足音すら、何かを楽しんでいるように聞こえてきたのは私の思い過ごしだろうか。

 「何だあのムカつく話し方」
 「何だか今日の師匠、楽しそうですね」
 「舞い上がりすぎてトラブルとかにならないといいけどね」
 「ふふ、本当に」

私たちが掃除をしていると、今日出勤予定の仲良しコンビである風花さんと真希さんが一緒にバーへやって来た。

 「おはようございまぁす!」
 「はよござまーす」

いつも通りの華やかな服装の2人。2人とも流行の服装やメイクなんて微塵も興味を持たないような、自分たちのこだわりを貫いているスタイルがいつもとても格好いいと思って私は彼女たちを見ている。

 「おはようございます」
 「あ、優子ちゃん。おはようー」
 「おはよー、あれ、優子ちゃん。なんかメイク変えた?」
 「はい。目元と口元に新しい色を取り入れてみました」
 「やっぱり! それめっちゃ可愛い! 私にも今度そのメイク教えてよ!」
 「ええ、もちろんです」

風花さんはそう言うと、私の顔にスマホのカメラを向けた。ほぼ目の前にあるそれを見て私の顔は自然と力が入った。写真を撮られる事なんてもちろんないし、そんな至近距離でレンズを向けられるものだから、私はどこを見れば分からなくなった。

 「やったー! 優子ちゃんの顔、参考にさせていただきます!」
 「恥ずかしいのであまり多くは撮らないで下さいね」

優子の整った顔に合ったメイクしてんだからあんたが参考にしてもしょうがないでしょ、と風花さんとは正反対のテンションで言う真希さんの声や私の声には聞く耳を持たず彼女はカシャカシャと写真を撮っていく。流行を取り入れてみたメイクに反応するところが意外だったけれど、2人とまじまじと話す事が出来て嬉しく思えた。
 私は普段から人と話すのが苦手だったけれど、この前の京子さんと公園で仲良くなった日や、最近ニカさんと気軽に話す事が出来るようになってから、以前のような執拗に壁を作る意識みたいなものが少し薄れてきたように思えた。それを表情に出すのは相変わらず難しいけれど、人と会話をするのが以前よりも楽しんで出来ている気がするのは彼や彼女のおかげだ。

 「優子ちゃん、会うのちょっと久しぶりだけどメイク以外も変わらなかった?」
 「そうですか? 特に何も変わりませんよ」
 「そうなんだ? 彼氏でも出来たのかなって思うぐらい、雰囲気が柔らかくなった気がしてさ。あ、ごめんね。前の優子ちゃんを悪く言ってるつもりはないよ」

女の人の勘はやはり鋭い。彼氏ができたわけではないけれど、私の中で大きく変わった事はある。

 「優子、今日もここに灰皿、2枚いる?」
 「え? あぁうん。2枚お願い」
 「はーい。うわぁ! 真希いたんだ! お、おはよう」

驚いて飛び跳ねていたニケさんは、真希さんの姿に驚く前に何か違和感を感じていたような顔に見えた。私、何か変なこと言ったかな。そう考えていると、

 「優子ちゃん、そういう事ね」

真希さんが私の右肩に手を回してニシシと笑っていた。それはまるで師匠が私と彼を見るような目をしていた。

 「おぉ、おはよう。みんな揃ったね。今日も賑やかになりそうだな」

師匠がへへへと笑いながらのしのしと2階から下りて来た。今日の師匠は普段よりも煌びやかな金色のネックレスをぶら下げている。しばらく私は、さっき彼が見せた表情の違和感を考えていると、突然その答えを導く事が出来てしまった。

 「ん? 優子、顔赤いけど大丈夫か?」
 「はい、問題ありませぬ」

心の中で慌てふためきながら返事をしたものだから、不覚にもちょっと噛んで武士みたいな言い方をしてしまった。師匠は特に不思議に思っているような顔をしてなかったので少しほっとした。

 「そっか。それなら良かった。みんな、今日もヨロシクね」

みんなには多分、私が噛んだ事は気付かれていない。が、私の近くに再び真希さんが来た。顔が徐々に熱くなっていくのが自分でも分かった。

 「私はお似合いだと思うよ。姉目線で見守ってるね。私、口めっちゃカタいから安心して♪」

彼女は私にしか聞こえないぐらいの小さな声で私の耳元で囁き、風花さんの隣に行ってお酒の蓋を開けた。

 「風花ぁ! そろそろ春だねぇ!」
 「何言ってんの? 来週はゴールデンウィークだよ。寝ぼけてんの?」

風花さんが鈍感な人でよかった。真希さんと再び目が合うと、ニヤっと笑ってウインクをされたので私は咄嗟に目を逸らした。逸らした流れでニケさんの方へ視線を向けると、テーブルを拭く彼の顔が赤くなっている気がした。それにつられるように私の心臓も一層慌ただしく音を鳴らす。恥ずかしいけれど、私の中ではそれよりも嬉しさがそれを圧倒した。
 
 彼の物語を読む習慣がついてちょうど1ヶ月程が経った5月の夜。窓から外を見ると、いつものように優しく光る月が今日も私を、私たちを見守りながら夜の空に浮かんでいる気がした。