✳︎

 忙しい日々が続き、息抜きをしたい自分がいる事に気づいた私はいつものあの公園へと向かった。またあの黒猫がいたら嬉しいなと考えていた矢先、私の思いが通じたのかその黒猫が公園にいた。温かい陽の光が差すベンチの上で気持ちよさそうに眠っている。私は無意識のままその黒猫に吸い寄せられるようにそのベンチに座った。隣に座っても黒猫は一向に起きる気配が無かったので、私はひょいと黒猫を持ち上げて私の膝の上に乗せた。思いの外、黒猫は軽かった。そして暖かかった。黒猫が息をする度に、その小さなお腹が膨らんだりへこんだりしている。それがとても愛らしかった。サラサラの黒い毛並みを撫でると、黒猫も気持ちよさそうな表情になった。次の瞬間、不意に目を覚ました黒猫が私を確認すると奇声を上げて飛び上がった。その反応がやっぱり人間っぽく見えたのは気のせいではない。怯えるような目で私を見る黒猫に心の中で謝ってから、私はトートバッグに入っていた本を開いた。それからしばらく百合かもめさんの物語の世界に入り込んでいた私は、黒猫の視線に気づいて現実の世界に引き戻されたような感覚になった。本心は分からないけれど、黒猫は私の膝の上に戻りたそうな顔をしているように見えた。

 「ん? おいで」

私が手招きをすると、黒猫は催眠術にかかったように私の元へ来て再び膝の上に乗った。ある意味、とてもあざとい黒猫だ。この黒猫は間違いなく自分が可愛いということを自覚しているな。私はそう確信した。

 「フフ、キミ。あったかいね」

私は黒猫の毛並みを再び撫でた。やっぱりこの毛並みを触っているだけで、私の中に溜まったストレスが消えていくように深呼吸をする事が出来る。新鮮な空気を吸う事が出来る私は随分と心の中に余裕が出来る。この黒猫の存在は、私が自分で思っているよりも私の中で大きなものになっているのに気づいた。黒猫の方も、とても気持ちよさそうな表情で鳴き声を漏らしていたので何だか私まで嬉しくなった。

 「キミ、鳴き声も可愛いな」

癒しの毛並みを撫でながら、私は再び百合かもめさんの物語の世界へと入り込む。視界の端っこには、何も言わずに私をじっと見つめる黒猫の姿が映っている。

 「私、本を読むのが好きなんだ。自分では経験したことのない「恋愛」の話が特に好きでさ。ま、猫のキミには「恋愛」が何かも分からないだろうけどね」

 この黒猫に聞いてもらいたかったのか、何故か私無意識で黒猫にそう言った。どうしてそんな事を言ったのか自分でも分からない。ただ、私が発した言葉を聞いた黒猫は、視線を私の顔に移しては何とも言えない表情で私を見ていた。寂しそうな興味がありそうな。それでいてどこか羨ましそうな。そして、何かを伝いたいような顔をしているようにも見えなくなかった。それから私は何も話さずに黒猫の毛並みを撫で続けた。黒猫の方も泣き声を出さずにじっとベンチに寝そべっている。5分もしないうちに黒猫は目を閉じていてお腹をゆっくりと上下に動かしていた。それを見た私は、なるべく物音を立てずに本をバッグにしまい、黒猫を起こさないようにゆっくりとベンチから立ち上がった。

 「それじゃあね。また来るよ」

再びうたた寝を始めた黒猫に小さく呟いてから公園を出た。やっぱり私の心や体は、公園に入る前と比べて格段に軽くなっていた。この心身の憩い場である公園が無くなってしまったら私はどうなってしまうのだろうとさえも思うようになった。あともう1つ。本当に不思議だけれど、あの黒猫の黄色い目をじっと見つめていると何故か私の頭の中にニケさんの顔が浮かんだ。その理由はどうしたって分からない。分からないけれど、そういえば最近彼を目で追う自分がいる。何故なのだろう。それもまた分からない。分からない事だらけで、軽くなった心がまたモヤモヤと曇り出した。けれど、その雲間からは暖かい陽の光のような優しくて明るいものが私の心を照らすように輝いていて、胸の辺りがじんと暖かくなった気がした。いつもは冬の夜のように冷たい心の中が、まるで季節を越えて春を迎えたように暖かかった。分からない事だらけでも1つだけ確かなことがあるとしたら、今から師匠のバーに行くのが楽しみになっている自分がいるということだ。