「お、おはよう」

バッグの中にある持ち物を整え、ハンドミラーでメイクの違和感がない事を確認して今日も仕事のスイッチが入った瞬間、キッチンの方から控えめでオドオドしながらもどこか優しさが伝わってくる私のお気に入りの声がした。声が聞こえた方へ振り向くと、そこには普段とは違うグレーのスーツを身に纏ったニケさんがいた。ここに勤めてから彼を知って数年になるけれど、未だに彼の年齢は聞けていない。もちろん本人には聞きづらいし、師匠や他の女の人たちに聞いても変に勘繰られたりしたくはないので気が引ける。ただ、彼の表情や彼の普段の振る舞いで私より年下だろうなと勝手に思っている。そういえば最近、彼とやたら目が合ったりするのは気のせいだろうか。目が合うと私自身も慌ててしまうのでなるべく合わせないようにしている。

 「おはようございます。今日はグレーのスーツなんですね」

体に無駄な力が入りながら私がそう言うと、彼はあからさまに動揺してぎこちなく体を動かして私に背を向けた。彼は確実に私よりも体に力が入っているように見える。

 「う、うん。今日は僕の誕生日だからこれを着ろって師匠が……」

彼はモジモジしながらかっちりとしたスーツを揺らしている。そうか、今日は誕生日だったんだ。私の心臓がどくんと大きく動いた。

 「そうだったんですね。おめでとうございます」
 「あ、ありがとうございます」

彼の口は背中にあるのだろうか。ニケさんは私に背を向けたまま私に礼を言った。ほんの出来心で少しからかってやろうと珍しく思った私は、彼の向いている方へ回り込んだ。彼と目が合う私は、表情筋が筋肉痛になりそうなくらい力が入っている。

 「おいくつになられたんですか?」

勇気を持ってそう尋ねると、ニケさんの顔が途端に赤くなった。何なら耳も赤くなっている。

 「じ、17です……」
 「そうですか。17歳にしてはそのスーツがよく似合っています」

予想通り年下だった彼を意地悪にも少し上から目線のような言い方で言ってしまった。口に出した言葉をすぐに後悔した。私の馬鹿。ニケさんの黒い目がぐるぐると回っていた。どうしよう、明らかに困らせている。少し心配になりそうな程ぐるぐる回っている。

 「バーカ! まだ16だろ」

遠くから聞こえた師匠の声でニケさんは正気に戻ったようで目のぐるぐるが一瞬にして止まった。

 「う、うるさいな! 16も17も変わらないだろ……!」

それにしても驚いた(おそらく表情には出ていない)。彼はまだ16歳なのか。弟がいた事はないけれど、年齢を知ったニケさんをまるで弟を見るような目で見てしまう自分がいた。身長は私よりもずっと高いのに。

 「ハハ! まぁ確かにあまり変わらないな。お前に関してはまだまだガキだし」

今日のニケさんはずっと顔が赤い。原因の7割くらいは私にありそうなので静かに反省。私は人間の感情にどんな意味があるのかあまり詳しくは分からない。ニケさんの顔が赤くなるのが不快感の表れならば、私はあまり彼と話さない方がいいのかもしれない。いつものクセで私は物事を悪い方向へ考える。