「お父さん、お母さん……」

 二人を前に、それ以上言葉が出なくって……。

「いいのよ結花」

 結局、お母さんが涙顔の私を抱きしめてくれた。



 あれからあっという間の2か月。

 2月最後の夜、お父さんも早く帰ってきて、お母さんの手料理を家族三人で一緒に食べた。

「結花、これをあなたに渡します。これでお母さんたちの第一の子育ては終わり」

 手渡されたのは、私の名前が書かれた母子手帳だった。

 それを見ても、私の存在が産まれる前から綱渡りだったことがよく分かる。

 なかなか妊娠しなかったこと。何度か流産しかけた上に早産で生まれたこと。保育器に入っている私のために、毎日欠かさずに何度も母乳を搾って病院に届けてくれていたなんて、私はもっと早く知っていなくちゃならなかったのに。

「あんな小さくても、一生懸命生きてくれた……。本当に……、よくここまで……大きくなってくれた……。花嫁姿を見られるなんて夢みたい。ありがとう結花……」

「お母さん……。泣かないで……。私までまた泣いちゃう」

「ははは……そうだよね。結花の涙腺の弱さは私の遺伝よね」

 お母さん……。こんなに泣いているお母さんを見たことがなかった。

「佳織、これからはそっと見守る第二の子育てになるんだ。それにこの子も忘れてはいけない。俺たちと一緒に天国に逝くまでは、こいつはここに居るんだ」

 お父さんは、もう一つの母子手帳を指さした。

 私の生まれる3年前。男の子だったそうだ。お兄ちゃんがいたんだ。あれから少し話も聞いた。

 妊娠後期での死産だったと。お母さんは毎日泣いて過ごした。だから、私の妊娠が分かったとき、命をかけても今度こそ無事に産むと決めてくれた。

「結花、本当ならまだ行かせたくはない。だが、陽人君は結花を十分に任せられる。この機会を逃すと、結花の幸せを奪ってしまうことになる。彼は結花を幸せに出来る男だ。明日からは二人で、一歩ずつ歩いて行くんだ。彼と巡り会ったこと、一緒に歩んだことを感謝していくように。たまには喧嘩もするだろう。それすら、きっと宝ものになる。結花……」

「はい……」

「結婚……おめでとう。幸せになれよ」

「お父さん……!!」

 幼い頃に、夜遅くなったお父さんを玄関で待っていた。そんな私をお父さんは抱き上げて、いい子だと頭を撫でてくれたっけ。

 外出先で疲れてしまっても、お父さんの背中が私のベッドになった。

「手間のかかる子ほど可愛いとか、可愛い子ほど早く行ってしまうと言うのは本当だったな。あっと言う間だったよ」

 お父さんも私のことを抱きしめてくれた。陽人さんのそれとは違う。でも、きっと私が抱きしめられることで落ち着くというのは、この二人がいつも私のことを抱いて落ち着かせてくれたからに違いない。

「これまでありがとう。心配もたくさんかけてごめんなさい。必ず幸せになります。でも、時々はお母さんの料理を食べて、お父さんと一緒にテレビを見たいな」

「時々は顔を見せてくれな」

「うん、お休みのときには帰ってくる」

 その日、本当に十数年ぶりに家族三人でお風呂に入った。もちろん狭いよ。お父さんに背中を洗ってもらって、お母さんには髪の毛をお願いした。

「今度は、孫と一緒に入るのを楽しみにしてるぞ」

「うん、できることなら早い内に頑張ってみようと思う」

 私の部屋はそのままだけど、三人で川の字に布団を敷いた。

「やっぱり、寂しいもんだな。娘の嫁ぐ前日というのは」



 お母さんは、私が幼かった頃からの出来事をいくつも話してくれた。

 初めて立ち上がった日と、最初の一歩が出た日のこと。

 風邪をこじらせて、夜中に病院に行ったこと。

 幼稚園でいじめられて、しばらく通園バスに乗れず、お母さんに手を引かれたり、お父さんの背中で通園したこと。

「結花は覚えていないと思うよ。正直ね、結花は手のかかる子だった。でもね、その分みんなに優しくて、人の心の痛みが分かる、本当に素敵な子になってくれた。先生もそんな結花のことを好きになってくれたのよ。それを忘れないでね」

「うん」

 私だけじゃない。先生だって何度も傷付いて、それでも私を選んでくれた。

「その恩はずっと忘れないよ」

「そうだな。それでいい」

 口数が少なくなったお父さんも肯いていた。

「まさか結花が担任の先生と初恋を成就させるなんて、想像もしていなかったわぁ。茜音も菜都実も驚いてたもん」

「私って、そんなに出来の悪い子だったの?」

「いろいろ有りすぎて覚えきれないくらいね」

 三人での話はいつまでも終わらなくて、気がつけば東の空がうっすら明るくなっていた。