帰りの飛行機の中で、これまでのことを思い浮かべてはひとつずつ心のなかで整理していく。
時間はたっぷりあるから。
初めて先生に出会ったのは本当に偶然のことだったよね。
それまで、周りの子たちの「若くて格好いい先生がいる」という話だけは聞いていたけれど、自分には関係ない話題として聞き流すだけだったよ。
自分のクラス担任になったと分かっても、きっと私のことは目立たない生徒の一人として埋もれてしまうんだと思っていた。これまでもそういう生き方をしてきたんだもの。
当時の私は明確な目標を見つけられていなかったから、高校も将来の進路を見据えて選んだわけじゃない。
小学生の頃から、クラスの中で私はいつも目立たない存在。
みんながやりたくないものは、あとでこっそり引き受けたりした。教室の中でそれが私の存在理由になるならと。
両親にとっても、私は育てやすい娘ではなかったと思う。
引っ込み思案の、何かに長けているわけでもない。友達を作ることも苦手でグズな私に腹が立ったこともあったに違いない。
私も、自分のことを「ドジでのろまな亀」だと思っていたのだから。
小島先生にも、きっとその延長でしかないと思っていた。
でも神様は私に光をくれた。先生の存在がいつからか、私の心の中で少しずつ大きくなっていった。
きっかけは忘れもしない。始業式の放課後、教室に忘れ物を取りに戻った時だったね。
先生の隣に立って廊下を歩いたとき、これまでにない安心感を感じた。
皮膚が弱くてお化粧ができない私に、先生は初めて「そのままでいい」と笑ってくれた人だったよ。
修学旅行。雨の中、先生の腕の中で大泣きした私をぎゅっと抱きしめてくれて、翌日には二人だけの秘密も作ってくれたね。
入院が決まったとき、もう学校に戻ることはできないと思った。
そのまま退学するんだと、先生に病状を告げた。きっと消えてしまうだろう私。それが私にできるせめてもの事だと思ったから。
でも先生は違った。「必ず帰ってこい」と私の手を握ってくれたね。
こんな私でも復帰を待ってくれる人がいるなら頑張ると教室に帰ることを約束した。
きつい投薬と長引いた入院期間。それ以上に先生の前に二度と帰れなくなる恐怖にも必死で耐えた。
病室に先生が私のために勉強を教えに来てくれる。最初は申し訳なく思ったことも、すぐに私の唯一の楽しみになった。先生が帰るまで寝るなんてできなくなっていたからね。
そして、私はいつからか芽生えていた自分の気持ちに気付いてしまった。決して口にしてはいけない言葉。
「先生が好き……」
知られてしまっても、私は構わない。
でも先生には迷惑をかけてしまう。そんなことは絶対に出来なかった。
あの手紙は、そんな中で最初で最後と決めた我がままだった。
こんな生徒がいた。それを覚えていてくれたらそれでいい。そう思って、結果は分かっていても渡してしまった。
返事を貰えたとき、内容は予想どおりだったけれど、嬉しかった。
私が知る限り小島先生では初めてのこと。
私のために時間を割いてくれた。それだけで十分。生徒と先生は決して褒められる恋愛関係ではないのだから。
3年生になって担任の先生から外れる。数学の時間がある日だけでも先生に心配をかけたくないと必死で通った4月。
だけど身体と心は限界だった。
「先生、約束を守れなくてごめんなさい……」
最後の日、何度窓辺で呟いたかな……。
せめてもの救いは、先生が担任の時じゃなかったことかな。
情けない顔を見せたくなくて、退学の申し出も、数学がなく先生が研修の日を周りには黙って選んだ。
お母さんたち、茜音さん、菜都実さん、千佳ちゃん、他にも大切な人たちに支えられて、文字どおり歯を食いしばって生きてきた。
私の居場所を作ってくれた大好きな人たちのおかげ。いつの間にか、一人でも歩ける力をつけて貰っていた。
『原田……、元気だったか?』
1年間、堪えてきた気持ちが、あの夜のたった一言で崩れていった。
もう駄目。自分に嘘をつき通すことは出来なかったよ。
『原田が好きだ』
それが聞けただけで、私は十分だった。
同時に禁断の場所に足を踏み入れてしまった。両親は頭を抱えてしまうだろう。叱られて、別れさせられてしまうと。
それなのに……。
『結花の気持に素直になりなさい』
私がいつも困らせてしまった、お母さんとお父さん。心配もあったと思うのに、黙って見守ってくれた。
そして、ついに私は人生の目的地を見つけることが出来た。
『前に言っていたよな。ペンギンになりたいって。おまえはペンギンにも白鳥にもなった。もうドジでのろまな亀でも、みにくいアヒルの子でもない』
初めてお互いの肌を重ねた夜、囁いてくれたよね。
それはね、あなたがいてくれたからだよ……。
この先の人生で振り返れば、ここはゴールではなくてスタート地点でしかないと思う。
でも、ようやく報告できるようになったよ。こんな私でも……ね。
「幸せになります」……って。