横浜から横須賀までの時間、そして駅からの帰り道、先生は若林さんとの一件を話してくれた。

 先生は私と若林さんとの確執を当時から気づいていた。

「昔、俺が許せないと怒った『結花と一緒にいると病気が感染する』って……あれな、若林のグループの誰かが言い出したというのまでは、絞り込めていたんだ」

「じゃあ、先生はそれを理由に、若林さんを後任に選んだってことですか?」

 もちろん、あの言葉や噂で私がどんどん追い込まれていったのは本当のことだし、千佳ちゃんも許せないと今でも言ってくれている。

 でも今の私にとって、あれはもう遠い過去の話なんだと消化しつつある。

 今さらそれを理由になにかを起こすという気持ちは消えてしまっている。

「結花は本当に優しい子だな……。あの当時のことが関係しているかと言ったら……、イエスは半分だ」

「半分……?」

 先生は握っている私の手に力を込めた。

「前にも話したよな。結花が2年2組に戻って来るというのは、俺との約束だってこと。それなのに、俺は結花が安心して戻ってこられる環境を十分に用意してやれなかった……。もし、若林たちの暴走が分かっていれば、それを先に摘み取っておく必要があった。俺にはそこの配慮が欠けていた……。だから、結花がいなくなったあと、ゼロからやり直しだと思って、あの学校を辞めた」

 うん、以前にも話してくれた。

 でも、先生にそこまでの責任はないと私は返したの。

「それは結花だから理解してくれたまでだ。他の連中はまだ誤解したままだろう。だからこそ、俺の後任に若林を指名した。そして、今日の引き継ぎであの当時の真実を全て話してきた。教師の責任とはどう言うものなのか。ただ受験を成功させることだけじゃない。生徒の人生を預かっているんだとな。俺は若林に約束をさせた。『第二の原田を担当している生徒から絶対に出すな』とな。その意味はあの教室の当事者でないと分からないだろう」

 第二の私……。その意味が理解できる人は確かに限られる。

「若林たちが大きな勘違いをしていたのを今日俺も知ったよ。あの病気で結花を勝手に亡き者にしていた。それに絶望した俺が結花の後を追った。ひどい話だ。俺まで勝手に消されていた。佐伯に話を聞けばそんなことはなかったとすぐに分かるのにな。ドラマの見過ぎだって言ってきた」

 あの頃、社会問題になるくらいに話題となったドラマのテーマが先生と生徒の恋愛だったはず。

 あれはラストシーンが大きく論争となったのを覚えている。それこそ悲恋か成就かと大騒ぎ。

 もちろん私は当時も蚊帳の外だったけれどね。

 つまり、「先生と生徒は幸せには結ばれない」という勝手な思い込みを修正させるために、一番影響力のある彼女に敢えて私の姿を見せたんだ。

「若林な、あいつの気持ちも当時から知っていたよ。それがあいつが結花にライバル心を持ったきっかけだからな」

 あの2年生最初の学級委員決めの時からだって……。

「俺が生きていた。もう同じ学校の担任と生徒じゃない。仕事の同僚ならその先は大人の話だ。でも、とうの昔に俺は結花を選ぶと決めていた。だから若林に事実をきちんと認識させるために結花を見せる必要があったんだ。会いたくもない人に会わせて、辛い思いをさせてごめんな……」

 そうだったんだ……。これを言葉にすると「因果応報」ってことなのかもしれない。

 でも、若林さんも私と同じ女の子なんだ。

 きっと、今度こそ先生に、生徒の立場ではない気持ちを伝えようと思っていたのだと思う。

 でも先生は若林さんに最後までその発言チャンスすら与えなかった……。

「先生……?」

「ん?」

「私たち、恋をひとつ消してしまいました。償っていかなくちゃいけませんね。どうしていけば……」

「それはとても簡単なことさ」

「えっ?」

 先生は立ち止まって、私の顔を覗き込んで笑った。

「俺と結花が幸せになることだ。今はあいつにとってショックかもしれない。でも、そのうちに分かるときが来る。少なくとも俺は2年2組の生徒にはそう教えてきたつもりだ。あとになって理解することも人生のなかではたくさんあるとな。だから俺の仕事は今度こそ結花にいつも笑っていてもらうための環境作りだ」

「先生……。私、涙もろいですよ?」

「それは悲しませて泣かせたんじゃない。結花の涙もろさは俺もよーく知ってる。心配するな。もう結花を傷つけるやつは出てこないし、俺がさせないよ」

 いつものように、私をぎゅっと最後に抱きしめて、先生はお家に帰っていった。