「原田結花ちゃんね。松木(まつき)茜音(あかね)です。よろしくお願いします」

 高校を辞めてしばらくの間、私は自宅で療養をしていた。そして体調不調の原因がやはり学校に存在していたことも実感してしまった。

 あの毎日のストレスから解放された体は、お医者さんも驚くくらい、検査の結果もこれまでにないほど回復したのだから。

 夏休みに入る頃には、強い運動などの無理をしない限り自由に外出して構わないとお墨付きももらったけれど、逆に悩んでしまう。


 学生でなくなってしまった私だけど、やはり見た目は高校生だし、私が少し前まで制服姿で通学していたことはご近所も知っている。

 しかも今年が受験だと周りは思い込んでいるから、「受験勉強もせずにぶらぶらしている子」なんていうイメージが知らない間に作られてしまう方が怖い。

 家族はともかく、ご近所ではみんなが私のこれまでのことを理解してくれている訳じゃないから。

 学校の時と同じく、どこからか変な噂が広まって、両親に迷惑をかけることは出来ないと悩んでいたとき、お母さんは私をある施設に連れてきてくれた。

珠実園(たまみえん)っていうの?」

「そう、ここなら結花も安心できると思う」



「こんにちは。ようこそ珠実園にお越しくださいました!」

 初めての場所に緊張していた私を明るい声で出迎えてくれたのは、お母さんと同じくらいの年齢で、そのダークブラウンの瞳からの視線だけでも落ち着けてしまうほど柔らかい雰囲気を放つ優しそうな女の人。

 顔の左右、こめかみと耳の間くらいから三つ編みを垂らしていて、年齢よりもずっと若く見える。

「茜音が人が足りないって言ってたから、この子でよければ使ってくれる?」

「ありがとう、助かるよぉ!」

 こんな素敵な人に知り合いがいたんだと思っていたら、お母さんとその茜音さんは友だち同士の会話そのもの。

 驚く私にふたりは高校時代からのお友だち付き合いなのだと教えてくれた。

「この施設は、今は地区の児童センターも兼ねているんだけど、もともとは児童福祉施設なの。何となく意味分かるかな?」

「はい」

 施設の概要について茜音さんは私のことを病人どころか年下扱いもせずに丁寧に説明をしてくれた。

 きっと、いろんな事情を持った子どもたちのお母さん役をたくさんしてきたのだろう。

「一緒に担当してくれている方がお休みに入ってしまってね。夏休みの間は、みんな学校に行かないから、元気いっぱいの子どもたちの相手をしてくれると助かるんだぁ」

 茜音さんと一緒に所内を歩いてみても、子どもたちが初対面の私にもちゃんと挨拶をしてくれるし、どの子の顔を見ても明るい。

「なかにはね……、傷ついちゃってる子も多いの。結花ちゃんなら、そんな子たちの話も聞けるかなって」

「で、でも、それって難しいって……」

 私だって似たようなものだ。

 病気が発端とはいえ、その後の経過はクラス内での孤立とストレスで症状が悪化、最終的には体調不良を理由に高校を退学。

 簡単な文章で書けばたったこれだけで片づけられてしまう。

「その経験を持っている結花ちゃんだからなの。佳織……じゃなかった、お母さんともその事は相談してきた。もちろん専門的なことはわたしたちがやる。結花ちゃんはみんなと一緒に遊んで、宿題とかご飯の生活を見てもらえればよくて、なにか気がついた時にわたしたちに教えてくれればいいんだよ」

 お母さんと茜音さんがそこまで打ち合わせてくれているとは知らなかった。

 驚いたことに、お手伝いと言いつつも、その分のお給料や交通費もいただけるという。

「茜音先生にいろいろご迷惑をお掛けしてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします」

「うん、決まり。よろしくお願いね。それと、呼び方は好きにしていいよ。ここの先生たちみんなそういう約束なの」

 私はその日から、子どもたちから人生で初めて「結花先生」と呼ばれるようになって、珠実園のお仕事を手伝うことになった。



 毎日、朝の電車に乗って登園。午前中は小・中学生の宿題を見てあげて、午後は園庭で追いかけっこやプールを出して水遊びなどで過ごす。

 最初は子どもたちの元気さに体力がついていけなくて体が悲鳴を上げたけど、数日でそれも慣れた。子どもたちや一緒に仕事をしている先生たちとも仲良くなったし、珠実園に通うこともすぐに楽しくなった。

 なにより珠実園には看護師の資格を持つ先生もいるから、体調管理にも心配ない。


「結花、茜音からお礼の電話があったよ」

「本当に!?」

 そんなことは初めてだった。私はお仕事をしているとの感覚よりも、みんなと一緒に遊んでもらっているだけなのに。

 それに気づいたこともある。きっと私の体を心配していたみんなは、体力づくりにと今回のお仕事を紹介してくれたのだろう。自分でも驚くくらい、病気になる前の学生時代よりも体力に自信がついた気がするのだから。