翌朝、予備校への出勤途中でユーフォリアの前を通ると、お店前の歩道を掃除していた菜都実さんが声をかけてきた。

「昨日はありがとう。結花ちゃん送ってもらっちゃって。旦那が誉めてたよ。今時自分で送っていくなんて学生だってやらないって」

「いや、後で考えると原田には恥ずかしい思いをさせてしまったかと反省したんですが……」

 昨日は急なことで気が動転していたし。なにより俺を待っていてくれた原田に申し訳なかったから。

 でも、冷静に考えれば住宅地で男性に背負われているところを目撃されれば、なにか言われてしまうのは彼女の方だ。

「今日は結花ちゃんお休みだって。でも、帰りに渡すものがあるからいつもどおりに寄ってくれる?」

「わかりました」



 その日、正直仕事にならないと思った。

 あれだけ高熱で苦しそうにしていた彼女を思い出す。……いや、それだけじゃない。

 俺にしがみついて離れないと言った時の腕の力。仮にうわごとだったとしても、原田は気持ちを吐き出したのだから。

 正直驚いた。俺は昨年、かなりひどい形で答えを返してしまったと思っていた。教師と生徒という、目の前にあるタブーだけを気にしすぎて、自分の気持ちを押し殺して、彼女を泣かせてしまった。

 何度あの返事を後悔したか数え切れない。

 それなのに、彼女の純粋な気持ちは失われていなかった。


 もう一度はっきり聞こう。原田家の決意も両親双方から聞くことができた。あとは本人たちの気持ちだけだと。

 その上で俺も態度を決めよう。そう決心して仕事帰りにユーフォリアに寄った。

「いらっしゃい……、あぁ先生。1日お疲れさま」

 原田に紹介されてから、この菜都実さんからも呼び名はすっかり『先生』になっていたっけ。

 逆に俺も菜都実さんのことをすっかり旧知のように呼んでしまっているけれど。それは原田という存在がいてくれたからこそだ。


 菜都実さんはいつものように席に案内するのではなく、すぐに二つの袋を奥から持ってきて渡してくれた。

「これ、きのうの結花ちゃんの着替えなの。お仕事の服で帰ってるから持って行ってあげてくれる? あと、これがそのお駄賃。結花ちゃんと一緒に食べられるように二人分入れてあるからね」

「えぇ? でもそれじゃ」

「大丈夫、結花ちゃんは熱も下がって元気になってるよ。夕飯を持っていかせる話もしてあるから。さぁ、王子様はつべこべ言わずにお姫様のところに行くもんだよ」

 半ば追い出されるように、俺は昨日と同じ道を原田邸に急いだ。

 1階の明かりは消えていたけれど、インターホン上の門灯は(とも)っていて、2階の部屋からはカーテン越しに光が漏れている。

 インターホンを押すと、返事ではなくてカーテンが持ち上がる。

 俺だと分かると、階段を駆け下りる音がしてドアが開いた。

「先生……」

「菜都実さんが夕飯だってさ」

 持っていた袋を持ち上げてみせる。

「はい、聞いています」

 顔を赤らめた原田は、それでも嬉しそうに俺を家に上げてくれた。