『――人斬り龍胆。噂を聞いて来てみれば、ずいぶんと優男だな』
『・・・』
龍胆は顔を上げた。
『・・・誰だ、貴様は?』
当時、十九歳の青年の頬には、返り血の花びらが散っていた。いや、顔だけではない。無数の惨殺死体が足元に転がっている。
人通りの少ない路地裏。
右手の刀には、べったりと赤黒い人間の油が付着し、辺りには血臭が立ち込めている。
『名乗るほどのもんじゃない。おせっかい焼きの旅の坊主さ』
男はそう言って、編笠の先をつまむと、くいっと持ち上げる。四十も半ばだろうか。目尻のシワが妙に人懐っこく、この場に似つかわしくない穏やかな笑みを浮かべていた。
坊主らしく、漆黒の法衣を着ている。袈裟も、袖の先も、年季が入っているのか、ところどころ破れていた。
坊主はおもむろに目を閉じる。次にまぶたを開けたとき、龍胆はぎょっとした。
――暗闇の中、らんらんと光る青い瞳。
(もののけかっ!?)
龍胆は身構えた。人間相手なら負ける気はしないが、果たしてこの刀で妖かしが斬れるのかと思考を巡らす。
坊主はのらりくらりと口を開いた。
『俺は屍食鬼。・・・死体を喰うバケモンだ』
『鬼、なのか。あんた』
脂汗がたらりと流れる。坊主――鬼は、ゆっくりとした動作で龍胆の足元に転がる死体へ手を伸ばした。
『お前さんが斬ってくれたおかげで、俺は今夜の晩飯にありつけたわけだ。俺は生きた人間は喰えない。死期が迫っている者なら、話は別だが』
そう言って、鬼は地面の赤い血を指に絡める。飴をしゃぶるように、その唇へ持っていった。
『あんた・・・。それでも坊主なのか?』
龍胆は思わず口走っていた。
おぞましい光景だ。疑問が次々に湧いてくる。
『なぜ、仏に仕える身でありながら、鬼になった? なぜ、死体を喰うことに抵抗がない?』
『お前さんがそれを聞くのかい?』
鬼は顔をあげると、きょとんとした様子で首を傾げた。
『二束三文の金で人に雇われ、明日の食料のためなら人だって殺す。俺となにが違う?』
『・・・・・・』
龍胆はしばし口をつぐんだ。ぷいっと顔をそらす。
『鬼のくせに説教か。鬼なら鬼らしく、大人しく死体でも喰っていろ!』
踵を返し、青年はその場を後にしようとした。――だが、後ろからぐいっと首根っこを掴まれると、勢いよく壁に叩きつけられる。
凄まじい腕力だ。
『ガッ・・・!?』
うめき声を上げた。
その首を締め上げ、鬼はずいっと顔を近づける。
『年寄の話は聞くもんだぞ、小僧』
その瞳は、嘲笑しているかと思いきや、恐ろしいほど真剣だった。首の拘束を緩められ、龍胆はその場に崩れ落ちる。激しく咳き込んだ。
鬼は続ける。
『お前さんのその穢れきった肉体は、血を浴びすぎて徐々に妖気を帯び始めている。――あと一人でも人を斬ったら、俺と同じく屍食鬼になるぞ』
『・・・・・・なに?』
――鬼になる? 俺が?
龍胆は目を見開く。血で汚れた両手が目に入った。
『鬼は辛えぞぉ。特に屍食鬼は、生きているのか、死んでいるのかもあやふやだ。そのくせいつも空腹だ。四六時中、飢餓に苦しむことになる』
『ふふ・・・はははっ!』
急に、龍胆は笑い始めた。
『ならば今までと何も変わらないじゃないか』
いつも腹をすかせていた。満腹になるまで飯を食ったことはない。
心が満たされたことも。
『やれやれ。若造はまだわかってないねぇ』
坊主は深々とため息をつく。ふと、なにか思いついたようにぽんと手を叩いた。
『この穢土から遠く離れた村がある。花散里という、小さな村だ』
『・・・そんな場所を俺に紹介して、なんとする?』
『別に。だがあそこに行けば、お前さんを変える出会いが待っているかもしれん』
鬼は密かにほくそ笑む。
――恋をすれば、人は変わるからな。
『その村に、雪という親をなくしたばかりの娘がいてな。お前さんに世話してほしいんだ』
『鬼が人間の娘の心配か? しかも俺に頼むのか。・・・鬼畜め』
龍胆は眉をしかめる。坊主は『気まぐれだ』とほがらかに笑った。
刹那、凄まじい突風が龍胆の視界を塞いだ。
『――・・・?』
眼を開ければ、鬼の姿はなかった。
『・・・』
龍胆は顔を上げた。
『・・・誰だ、貴様は?』
当時、十九歳の青年の頬には、返り血の花びらが散っていた。いや、顔だけではない。無数の惨殺死体が足元に転がっている。
人通りの少ない路地裏。
右手の刀には、べったりと赤黒い人間の油が付着し、辺りには血臭が立ち込めている。
『名乗るほどのもんじゃない。おせっかい焼きの旅の坊主さ』
男はそう言って、編笠の先をつまむと、くいっと持ち上げる。四十も半ばだろうか。目尻のシワが妙に人懐っこく、この場に似つかわしくない穏やかな笑みを浮かべていた。
坊主らしく、漆黒の法衣を着ている。袈裟も、袖の先も、年季が入っているのか、ところどころ破れていた。
坊主はおもむろに目を閉じる。次にまぶたを開けたとき、龍胆はぎょっとした。
――暗闇の中、らんらんと光る青い瞳。
(もののけかっ!?)
龍胆は身構えた。人間相手なら負ける気はしないが、果たしてこの刀で妖かしが斬れるのかと思考を巡らす。
坊主はのらりくらりと口を開いた。
『俺は屍食鬼。・・・死体を喰うバケモンだ』
『鬼、なのか。あんた』
脂汗がたらりと流れる。坊主――鬼は、ゆっくりとした動作で龍胆の足元に転がる死体へ手を伸ばした。
『お前さんが斬ってくれたおかげで、俺は今夜の晩飯にありつけたわけだ。俺は生きた人間は喰えない。死期が迫っている者なら、話は別だが』
そう言って、鬼は地面の赤い血を指に絡める。飴をしゃぶるように、その唇へ持っていった。
『あんた・・・。それでも坊主なのか?』
龍胆は思わず口走っていた。
おぞましい光景だ。疑問が次々に湧いてくる。
『なぜ、仏に仕える身でありながら、鬼になった? なぜ、死体を喰うことに抵抗がない?』
『お前さんがそれを聞くのかい?』
鬼は顔をあげると、きょとんとした様子で首を傾げた。
『二束三文の金で人に雇われ、明日の食料のためなら人だって殺す。俺となにが違う?』
『・・・・・・』
龍胆はしばし口をつぐんだ。ぷいっと顔をそらす。
『鬼のくせに説教か。鬼なら鬼らしく、大人しく死体でも喰っていろ!』
踵を返し、青年はその場を後にしようとした。――だが、後ろからぐいっと首根っこを掴まれると、勢いよく壁に叩きつけられる。
凄まじい腕力だ。
『ガッ・・・!?』
うめき声を上げた。
その首を締め上げ、鬼はずいっと顔を近づける。
『年寄の話は聞くもんだぞ、小僧』
その瞳は、嘲笑しているかと思いきや、恐ろしいほど真剣だった。首の拘束を緩められ、龍胆はその場に崩れ落ちる。激しく咳き込んだ。
鬼は続ける。
『お前さんのその穢れきった肉体は、血を浴びすぎて徐々に妖気を帯び始めている。――あと一人でも人を斬ったら、俺と同じく屍食鬼になるぞ』
『・・・・・・なに?』
――鬼になる? 俺が?
龍胆は目を見開く。血で汚れた両手が目に入った。
『鬼は辛えぞぉ。特に屍食鬼は、生きているのか、死んでいるのかもあやふやだ。そのくせいつも空腹だ。四六時中、飢餓に苦しむことになる』
『ふふ・・・はははっ!』
急に、龍胆は笑い始めた。
『ならば今までと何も変わらないじゃないか』
いつも腹をすかせていた。満腹になるまで飯を食ったことはない。
心が満たされたことも。
『やれやれ。若造はまだわかってないねぇ』
坊主は深々とため息をつく。ふと、なにか思いついたようにぽんと手を叩いた。
『この穢土から遠く離れた村がある。花散里という、小さな村だ』
『・・・そんな場所を俺に紹介して、なんとする?』
『別に。だがあそこに行けば、お前さんを変える出会いが待っているかもしれん』
鬼は密かにほくそ笑む。
――恋をすれば、人は変わるからな。
『その村に、雪という親をなくしたばかりの娘がいてな。お前さんに世話してほしいんだ』
『鬼が人間の娘の心配か? しかも俺に頼むのか。・・・鬼畜め』
龍胆は眉をしかめる。坊主は『気まぐれだ』とほがらかに笑った。
刹那、凄まじい突風が龍胆の視界を塞いだ。
『――・・・?』
眼を開ければ、鬼の姿はなかった。