茜華(せんか)玉泉(ぎょくせん)の里の上空を飛んでいた。清らかな水が流れ、豊かな緑を花や果実、色鮮やかな建物の(かわら)が彩る鳳凰(ほうおう)族の里は、高みから見るとなお麗しい。生まれ育った郷里の美景が誇らしくて、茜華がはばたかせる翼にも力がこもる。

 晴れた青空に映える茜華の翼の色は、燃えるような赤。鳳凰の翼は五色──青、白、赤、黒、黄を帯びるというけれど、特に全身を染めるのは炎の色だ。陽光を浴びた彼女の全身は、さらに金色にも銀色にも輝いて、翼を動かすたびに地上に万華鏡の煌めきを振り撒いていることだろう。
 喩えるならば、大空を翔ける孔雀。けれど、翼はより大きく、頭にいただく飾り羽も、長い尾羽も、宝石で飾ったように煌びやかで。華奢な爪も嘴は金色に、優美な長い首は虹色に光り輝いて。地上のどんな鳥よりも、もっとずっと眩しく輝かしく神々しい──それこそが慶事をもたらすと伝えられる霊鳥、鳳凰の姿だった。

 鳳凰族は、人の姿と鳥のそれと、ふたつの形を自在に行き来する。日常の生活は、人の手があるほうが何かと便利だけれど、一族の者たちは頻繁に空の散歩を楽しむものだ。
 遥かな高みから見下ろす雄大な眺めは翼を持つ一族の特権。羽根が風を孕む感覚は楽しいし、舞うように素早く身体を(ひるがえ)せば、自らのはばたきが生み出す極彩色のただ中を飛ぶこともできる。首を巡らせて見下ろす何もかもが輝きを帯びて、玉泉の里に宝石の雨が降るかのよう。

 そんな、鳳凰だけに許された空からの絶景を、心行くまで目に焼き付けようと。茜華は長い間翼を動かし続けた。

(最後かもしれないもの。しっかりと見ておかないと。玉泉の里の、すべて……!)

 茜華は間もなく、夏霄(かしょう)の国の後宮に収められる。玉泉の里は、夏霄の広い領土の片隅に位置しているのだ。文化の高さと軍の精強を誇り、栄華を極める夏霄の都には、各地から珍しい品が献上される。宝物や珍味は言うにおよばず、中には生きた鳥や獣だって。人と鳥の姿を行き来し、さらには煌びやかな羽根を持つ鳳凰は、まさに高貴な人々が愛玩するのにうってつけの珍鳥だった。
 いくら姿は美しくても、空を飛ぶことができたとしても、鳳凰はか弱い種族だ。嘴も爪も猛禽の鋭さはないし、翼も弓矢で容易く貫かれる。五色の羽根は目立つことこの上ないから間諜(スパイ)にも向かない。強大な夏霄の国の保護がなければ、鳳凰族はとうに狩られ尽くしていたことだろう。──だから、求められるままに特に美しい羽根の者を差し出すのもしかたのないこと。玉泉の長の一族の姫として、茜華にできることがあるなら願ってもない。

(大丈夫。私は誰より舞いが得意だもの。この羽根だって、とても綺麗。女でも、誤魔化せるはずよ)

 茜華が煌めきを振り撒いて飛ぶ眼下では、姫が舞っているのに気付いた里の者が見上げたり手を振ったりしている。愛しい民に応えるように、茜華はより大きく翼をはばたかせた。

      * * *

 茜華が翼を休めたのは、日が沈み始めてからやっと、だった。空が彼女の名の茜色に染まるころ、残照によって赤い翼をいっそう深い色に燃えさせて、彼女は里長の屋敷に降り立った。
 人から鳥へ、鳥から人へ。姿を変えて空の散歩を楽しむ一族のために、中庭は広く取られている。特に、姫である茜華の帰還を待って、そこには衣装を携えた侍女たちが待ち構えていた。広げられた内衣(したぎ)の中に飛び込むように、茜華は翼を腕に戻す。ふ、と身体が重くなった感覚と共に、裸足の足が白い石畳に着地する。

「──おかえりなさいませ、茜華様」
「ただいま! ねえ、私の羽根、どうだった?」

 鳳凰から人の姿になったばかりの茜華は、一糸纏わぬまる裸だ。彼女の白い肌を手際よく内衣で包み、(うわぎ)を着せて(スカート)を巻き付けながら、侍女たちは大きく頷いて、笑う。

「とても、美しくて見事なお姿でしたわ」
「どんな殿方にも負けないでしょう」
「あれなら、姫君と気付かれることはございませんでしょう」

 口々に言う侍女たちは、茜華の風に乱れた髪を梳いて、簡単に結い上げてくれる。瞬く間にそれなりに姫君らしい姿に仕立てられた茜華は、胸を張った。

「でしょう!」

 人の姿に戻った茜華の手には、鳳凰の飾り羽で織り上げた眩い上衣が収まっている。五彩羽衣(ごさいのはごろも)と呼ばれるその衣は、彼女が鳳凰の姿を取っていた時に纏っていたものだ。

 孔雀や鴛鴦(オシドリ)などと同様に、鳳凰も雌雄で羽根の色が違う。全身を彩る燃えるような赤と眩い五色は同じでも、頭や尾を飾る羽根の長さや豪華さでは、やはり雄──というか男のほうが勝るのだ。それを踏まえてか、夏霄の宮廷も、鳳凰の雄を献上するようにと命じてきている、のだけれど──

「ねえ、兄さまも安心してくれたでしょう?」
「ああ……私が飛ぶよりもよほど活き活きとして堂々として──綺麗だったよ」

 茜華の着付けが終わったのを見計らったのだろう、兄の紅梧(こうご)が微笑んでいた。鳳凰族に共通する細身の整った顔立ちは、やや白い。その理由は、生来の病弱がひとつ。そしてもうひとつは、彼の身代わりに献上されることになった妹の身を案じてくれているからだ。
 兄の罪悪感を吹き飛ばすべく、茜華はあえて明るく笑ってみせる。

「兄様もたくさん羽根をくれたものね。大丈夫よ。人間は鳳凰の羽根しか見ないに決まっているんだから」
「お前の身を守るためなら、私の羽根などすべて抜いても構わない。とても、見事な舞ではあったが──本当に、お前が行くのか?」
「もちろん!」

 紅梧が、もう決まったはずのことを蒸し返すのは、それだけ茜華を愛してくれているからだ。感謝の想いを伝えるために、茜華は兄に思い切り抱き着いた。妹の勢いによろめいてしまうくらいなのに、強大な夏霄の命令を断ることさえ考えてくれるのが、とても嬉しい。こういう兄だからこそ、玉泉の里には必要なのだ。

「兄様を見せ物にするなんて耐えられない。父様や叔父様たちは年配すぎるし、幼い従弟たちも行かせられないでしょう。だから、私しかいないの」

 人の姿の時は、(ほう)を纏えば身体の線はどうにでも誤魔化せる。幸い、鳳凰族は男性もおおむねすらりとして中性的な容姿をしていることだし。そして鳥の姿になった時の羽根についても、五彩羽衣で変装できると確かめられた。

「夏霄の後宮には、これまで献上された鳳凰の子孫もいるはずだし。同族だもの、きっと助けてくれるわ?」
「そうだと良いが。……嫌なことがあったらすぐに飛んで逃げておいで」

 そんなことはしないし、できない。でも、兄がそう言ってくれることが嬉しかった。だから茜華は兄の背に回した腕に力を込めて、その胸に顔を埋めた。

「大丈夫よ。私が舞も得意なのは知っているでしょう? 夏霄の皇帝も、きっと満足させられるわ……!」

 そうして顔を隠さないと、怯えが見えてしまっているかもしれないから。鳳凰の羽根の輝きに相応しく、茜華はこれから常に、堂々と誇らしく美しく振る舞わなければならないのに。一族の姫だなんていっても茜華はまだ十七歳で──立場が重いとか怖いだとか考えてしまうことだって、あるのだ。