お世継ぎ誕生にまつわる夜伽(よとぎ)の真実。
 それを知った私は、もうこれ以上驚く事実は大奥には隠されていない。そう思っていた。

 しかしそれは甘かったようだ。

 (とばり)様の夜伽用の布団を堪能(たんのう)し、不敬(ふけい)であったと至極反省する私は、現在場所を移動し、()かずの()として名を()せ、人々を恐怖に(おとしい)れる宇治(うじ)の間にいる。

 お(なつ)さんが数日前遺体で発見された場所だ。

「――というわけで、この下は様々な場所に繋がる通路となっている」

 手燭(てしょく)で一枚の畳を照らした帷様が話を締めくくった。
 どうやら帷様が言うには、照らされた畳の下には落とし穴ともなる、秘密の地下通路があるそうだ。

 何者かに襲われた時、部屋を暗くしたこの部屋に逃げ込む。そして敵を穴に落とし自らが逃げる。もしくは自らが穴に逃げ込み、地下通路を通り安全な場所に逃げ込む。こんなふうに防衛のためとして存在する穴は、正輝や私にとってみれば珍しい物ではない。

「確かに服部家にもこのような仕掛けは至るところにあります」

 正輝は畳の(へり)を確かめるように触れながら、私が思っていた事を口にする。

「隠し扉や抜け道など、私達でも把握しきれないくらい多くの仕掛けがあるそうで。まぁ、それこそ我が家の強みでもあるのですが……」

 補足といった感じで正輝は続けた。

 私は迷子になるから勝手に開けるなと言われている、服部(はっとり)家に隠された数々の仕掛け扉や板貼りの箇所(かしょ)を思い浮かべる。

 (良く神隠(かみかく)しにあったなんていうけど)

 家で行方不明になる多くの人は、仕掛けられたからくりから脱出出来ず、野垂れ死んだ人。幼い頃は本気でそう思っていたものだ。しかしどうやらそれは多大なる勘違いのようである。

「普通の屋敷には、このような仕掛けなどないのであろうが、お前たちや俺のような特殊な環境で育った者にとっては馴染み深いものではあるな」

 (確かにどこの屋敷にも、こういうのはあるわけじゃないもんね)

 思い返せば、様々な場所に潜り込んだが、落とし穴のある屋敷や寺は、あまり多くは存在していなかった事を思い出す。

「俺は試した事はないが、ここも服部家の何処かに繋がっているとか」

 帷様が真面目な顔でおかしな事を口走る。

「ははは、ご冗談を……って案外ありそうだな」

 何か思う事があったのか、正輝が真に受けた顔になる。

 (流石にそんなこと、あるわけないじゃない)

 そんな正輝に呆れつつ、私は口を開く。

「つまり『宇治(うじ)の間の前に幽霊が出た時。それは不幸が起こる前兆』なんていう(うわさ)を流したのも、わざとって事ですか?」
「そうだな。俺が産まれた時には(すで)にあった噂だが、人を寄せ付けない為に流したのであろう」

 蝋燭(ロウソク)の炎でゆらゆら揺れる影を顔に映す、帷様が私を見て頷く。

「まぁ簡単だけど効果的。よくある手段ですよね」

 正輝が知ったような口調で呟く。

「つまり、この下を通れば、お夏さんをこっそり殺害して帰る事も可能ってことですね」

 私は横道に逸れがちな会話を、本線に戻す。

「そうだな」

 どこかゆるい雰囲気を醸し出していた帷様が表情を引き締める。

「そもそもお夏が殺害された日。お前が騒ぎの中心となり、貴宮(たかのみや)を含む多くの者が御殿(ごてん)の一室に集まっていた。よってこの場所の警備が手薄になっていた事は確かな事実だ」

 帷様の言葉に私は頷く。

 (最初は私も騒ぎに便乗して、宇治の間に忍び込んだ美麗様がお夏さんを殺害した)

 そう思っていた。

「でも、私と共に御殿を見廻りしていたお(せん)ちゃんが幽霊を見たのは、騒ぎの前でした」

 (だとすると、一体どうやって御殿内を巡回する私達の目を避け、この部屋に忍び込んだのか)

 それがずっと謎だったのだ。

「間違いなく、美麗はこの通路の存在を知っているのだろうな。何故ならば、度重なる幽霊騒ぎのせいで、多くの御広敷番(おひろしきばん)達が大奥内を巡回(じゅんかい)していた。よってあの日に限り、安易(あんい)に外をうろつくのは難しかったはずだ」

 (けわ)しい顔をした帷様が断言した。

「外を歩くのが難しかったとなると、お夏さんも秘密の通路を使い、この部屋に来たという事でしょうか」

 (でも、お仙ちゃんが見たのはきっとお夏さんだと思うんだよなぁ)

 幽霊騒ぎのせいで、幽霊に見えただけ。実際はお夏さんが宇治の間に侵入(しんにゅう)したのをお仙ちゃんは目撃したのだと、少なくとも私はそう思っている。

「いや、お夏はここを使ってはいないだろう。着飾った美麗とは違い、お夏の着物は御目見得以下(おめみえいか)のお仕着(しぎ)せに指定されている藍色(あいいろ)だ。よって、多く存在する者の中の一人に紛れる事など容易なことだ」

 帷様が私の考えに同意するような意見を口にする。

「正直、普段であれば外に通じる(なな)(ぐち)錠口(じょうぐち)の監視は厳しい。けれど、大奥内の見廻(みまわ)りは御火乃番(おひのばん)任せだから、いくらでも()きはあるっちゃ、ある。それに奥女中の数は多いからね。帷様の言う通り、ただの奥女中ならばウロウロしてたとしても、わりと誰も怪しまない事は確かだな」

 隠し通路があるという畳を見つめたまま、正輝が補足する。

 確かにあの日は帷様が陣頭(じんとう)指揮を取る見廻りがあった特別な日だった。だから御火乃番として参加しているとでも言えば、外をうろつく事も可能ではある。

 (つまりお仙ちゃんが見たのは、お夏さんだった可能性が高い)

 私は今まで抱えていた疑問が一つ解決し、ふぅと息を吐いた。

「この部屋に呼び出したお夏を、秘密の通路から来た美麗が絞殺(こうさつ)した。それは根付の件からも間違いないだろう。問題は、(やつ)がそれを認めるかどうかだが」

 先程の、(つた)の間でのやりとりを思い出したのか、蝋燭の灯りに照らされた、帷様の眉間にシワが寄る。

「すんなりとは」
「認めないでしょうね」

 正輝が私の言いたかった言葉を奪う。

「だから、私がさっき口にした、お夏さんの手紙がこの部屋にあると信じてくれて、それを奪おうと、ひょっこり現れてくれたらいいんですけどねぇ」

 先程()いた、罠に美麗様がかかる事を祈る気持ちで告げる。

「まぁ、気長に待とう。あいつは必ず来る」

 帷様の自信に満ちた声に、正輝と私は同時にうなずいたのであった。


 ***


「――父上は多分、伊賀者(いがもの)に嫁がせたい。そう考えているようです」
「ふむ」
「いいのですか?」

 うつらうつらする頭の中に、正輝の呑気(のんき)な声が響く。

「いいも何も、服部(はっとり)半蔵(はんぞう)正秋(まさあき)がそう考えているのであれば、それが正しい。俺にはそれ以外言えん」

 父の名前が飛び出し、私の意識は嫌でも会話に引きつけられる。

「そうですが。ま、帷様は臆病者(おくびょうもの)ですからね」
「正輝、それは聞き捨てならん。俺の何処が臆病者だと言うのだ」

 帷様の拗ねた声が頭の上から聞こえる。

「だって、同じ屋根の下にいて、手の一つも出さなかったんですよね?」
「いや、正直危ない場面はあった。勿論未遂だったがな」
「その気になったなら、襲っちゃえば良かったんですよ」

 (なんてことを!)

 私の意識は正輝のとんでも発言によって、しっかりと覚醒(かくせい)する。

 そして目を閉じたまま、即座に置かれた状況を確認する。

 先程聞こえた声からすると、距離的に近いのは帷様のようだ。正輝は丁度私の向かい側にいると思われる。そして私が寄りかかっているのは、柱にしては温かい。そして布団ほど柔らかくもない何か……。

 私は一体何に全体重を預け、うっかり寝てしまったのだろう。

「俺も本能に負けそうになった瞬間はあった。しかし無理だ。双子を産みたくないと、そう言われてしまえば我に返るし、手もだせまい」
「あー。結局はそれですよね。俺達はいつだって、それが全ての足枷(あしかせ)となる」

 正輝がうんざりした声を出す。そして「本能に負けそうな時もあった」と暴露した帷様の声は私の真横斜め上から聞こえた。

 (も、もしかして)

 私はうっかり、将軍たる帷様に寄りかかっているのだろうか。

「帷様が早く琴葉(ことは)手籠(てごめ)にして、祝言(しゅうげん)でもあげてくれたら、俺の未来も明るいものになるんですけど。何で勢いのまま襲わなかったんですか?」

 正輝がまたもや、人としてどうかと思わざるを得ない発言を重ねる。

 (しかも俺の未来が明るいって何?)

 正輝の頭の中では、私が帷様に手籠(てごめ)にされると、正輝に明るい未来が訪れる仕組みになっているらしい。

 (えー、どういうこと?)

 私の正常な頭ではもはや理解不可能だ。

「正輝。常々思っていたが、お前の倫理観(りんりかん)はどうかしてるぞ?」

 私は全力で頷きそうになり、何とか堪える。

「そうですかね?ま、双子として生まれたし、ちょっと壊れてるのかも知れません。それに琴葉はまだいい、女だから。俺なんて次男な上に双子ですよ?」
「それは俺も同じだ」

 今度は帷様が訳の分からない相槌(あいずち)を打つ。

 (もしや、正輝がおかしいから、話半分で合わせているのかも知れない)

 それしか帷様が口にした言葉に説明がつかない状況だ。

「全然違いますよぉーー」
「待て、おい、起きろ」

 緊張を(はら)む帷様の声と共に、わさわさと揺すられ、私は今起きた風を装う。

「あれ、私」
「シッ」

 帷様が私の口を片手で塞ぐ。そして、もう片方の手で畳を指差す。

 手燭の灯りを消していたせいか、私は視界からすぐに状況を確認出来ない。暗闇の中。音を(とら)えようとする耳に全神経が集中する。

 (あっ)

 部屋の中央にある秘密の地下通路へ続く畳の下から、明らかに人の動く気配を感じた。

 (とうとうきた)

 私は背後から伸ばされた帷様の手に口を塞がれたまま息を殺す。そして今か今かと、流行る気持ちで畳をじっと見つめたのであった。