(たぬき)ちゃんを部屋まで送り届けようとしたところ。

「誰に見られるかわからないから」

 狸ちゃんはそう言って、緊張した面持ちになった。それから付け足したように口にする。

「それにちょっと一人になりたいし。話を聞いてくれてありがと」

 気丈にも笑顔でそう口にした狸ちゃんを私は、彼女が暗闇に紛れて見えなくなるまで戸口から見送った。

 そして狸ちゃんが帰ったあと、私は早速お(なつ)さんが残したという手紙を(とばり)様と確認した。

 そこには狸ちゃんが知らせてくれた事。それから、美麗(みれい)様の指示でやったとされる、伊桜里(いおり)様への数々の嫌がらせが記されていた。
 中でも一番衝撃的だったのは、「伊桜里様の履く下駄(げた)鼻緒(はなお)に切り込みを入れた」と(しる)されていたことだ。そしてそのせいで転んだ伊桜里様が、流産してしまったと(つづ)られていた。

 全ては美麗様に指示を受けた事だけれど、罪は(つぐな)いたい。そしてお夏さんは、歳の離れた弟が病気で、安くない薬代を稼ぐ為大奥に入った。だからお金の為に美麗様に従うしかなかったと追記してあり、手紙を読み終えた私は何とも言えない気持ちに包まれた。

 そしてこれらが本当ならば、美麗様はきちんと裁きを受けるべきだと、書簡を読み終えた今、私は強く思う。

「疲れたな」
「……はい」

 手紙を読み終えた帷様と私はぐったりとした顔を見合わせる。

「美麗はここから逃げ出す事ができぬ。一先ず、今日は休むか」
「そうですね」

 私達はどんよりとした空気を纏いながら、就寝準備に取り掛かる事にした。無言で布団を中二階から下ろし、一言も会話を交わすことなく、黙々と寝床を整える。

 それから私は杜若(かきつばた)の鮮やかな絵が眩しい屏風(びょうぶ)を挟んで敷かれた、片方の布団に(もぐ)り込む。
 湿った布団はとても冷んやりとしていた。それがまた私の心にお夏さんや、狸ちゃんの事を思い起こさせ、暗い気持ちに拍車をかける。

「消すぞ」
「はい」

 いつも通り帷様が灯りを消してくれる。それからモゾモゾと帷様が布団に潜り込む音が暗闇に響いた。

 そして室内を静寂が支配する。

 私は疲れた体と心を休ませようと目を(つぶ)る。しかし何だか目が冴え、眠れそうもない。だから思い切って帷様に声をかけることにした。

「帷様、もう少しだけお話をしてもいいですか?」
「あぁ、大丈夫だ」

 帷様からすぐに返事が帰ってくる。

「細工された下駄の鼻緒が千切(ちぎ)れ、伊桜里様がその……」

 言い出してはみたものの、事件の被害者でもある帷様にこの先を続けてよいか悩み、口を閉じる。

「子が流れてしまった件がどうした?」

 帷様が淡々とした口調で、今なお苦しまれているであろう件を言葉にした。その事を意外に思いながら、聞かれた件について話そうと、私は口を開く。

「細工したのはお夏さん。けれど細工するよう指示を出したのは美麗様です」
「そうのようだな」
「でも美麗様がお夏さんを脅していたとされる証拠は、今のところお夏さんの手紙だけです。だとすると、美麗様は罪に問われないのでしょうか?」

 鼻緒を切った実行犯であるお夏さんのほうが、より罪が重くなるのだろうか。

 (だとしたら、なんだかな)

 冤罪(えんざい)をなくす為にも、犯した罪を裁くにはきちんとした証拠が必要だ。けれど、私は「伊桜里様の鼻緒を切るように」とお夏さんに指示を出した美麗様に対する罪のほうが、より重いと感じている。

「もし美麗が伊桜里の件で無罪になるのだとしたら、とても後味が悪い」

 まさに今感じる気持ちはそれだと、私は布団の中で頷く。

「お夏が残した手紙。それが事実であるかどうかを精査(せいさ)し、もし事実だった場合、伊桜里の件について関与していたという証拠になるだろう。しかし、直接伊桜里を殺害したわけではない」

 帷様が言葉を切り、少し()を空ける。

「となると、伊桜里の件で美麗を重い罪にするのであれば、美麗自身に自白させるのが手っ取り早いだろうな」
「もし、美麗様が関与していないと主張し続けたら、どうなるんですか?」

 私が疑問を口にすれば、「それは……」と帷様は言葉を濁した。

「ただ一つ言える事は、伊桜里は子を失い、失意のあまりこの世を去ったと言われている。もしそれが事実だとしたら、美麗は三件の殺人に関与している事になるということだ」
「三件……伊桜里様とお腹にいたお世継(よつ)ぎ様、そしてお夏さんですね?」
「あぁ、そうだ。胎児は人ではないという者もいるが、俺はそうは思わない」

 帷様が淡々とした口調で話す。

 (きっと怒りを堪えているんだ)

 その気持ちは痛いほどよくわかる。だからますます美麗様を許せない。そう思う気持ちがより一層強くなる。

 (悪人はその罪の分だけきちんと裁きを受けるべき)

 ありったけの正義感に駆られた私は掻巻(かいまき)の下に隠れた両手をギュッと握る。

「お前は美麗がお夏を殺害したのは何故だと思う?」
「口封じだと思います」

 帷様に問われ、私は即答する。何故なら狸ちゃんがそう口にしていたからだ。

「口封じか」
「はい。お夏さんが残した書簡に目を通した限り、お夏さんは伊桜里様の鼻緒に細工をしたことを、とても後悔しているように感じましたし」
「悔やんでも悔みきれない。そう書かれていたからな」

 帷様の言葉に頷く。

「だから、もしかしたら岡島(おかじま)様あたりに事実を告発しようとしていたのかも知れません。けれどその事を美麗様に気づかれてしまった。だから、殺されてしまった」
「なるほど」

 私は脳裏にお夏さんの顔を浮かべる。
 彼女のやった事は許せない。

 けれど人の弱みに付け込み、お夏さんや狸ちゃんを自分の手先のように意のままに動かしていた美麗様だって同じくらい悪い。そして、悪事が露見した時に自分だけ「知らない」と逃げ切るつもりなのだとしたら、なおさら許せない。出来たら全ての罪を認めさせ、償って欲しい。
 その為には彼女に弁解の余地を与えないよう、しっかりと証拠固めをしておく必要がある。

「美麗様が盗みの指示を出していた件はどうなりそうですか?」
「明日、正輝(まさき)に出入りの者を調べるように指示するつもりだ。だからそこから何か判明するといいのだが」

 帷様の声は沈んでいる。あまり良い結果が出ると期待していない時の声だ。

 (確かに美麗様の共犯となる人物は、証拠もなしに口を割る事はないか……)

 となると、美麗様が外と繋がる商人に売った品の行方を追うのが一番だ。けれど購入した人物が盗品と知っていた場合、なかなか表には出てこないだろう。

 (むしろ盗まれた物は、もう江戸にはないかも)

 だとすると盗品の行方を追うのも一筋縄でいかない、骨の折れる作業に違いない。

 私は美麗様に自白を迫るための証拠はないか、目を瞑り思考を巡らせる。

 (狸ちゃんは伊桜里様に、くすねている所を見られたと言っていたけど)

 だとすると狸ちゃん経由で伊桜里様は美麗様の悪事をご存知だった、という可能性が高い。

 (伊桜里様と美麗様の関係が良くわからないけど)

 それでもみんなが口を揃え、「正義感の強い」と証言する伊桜里様のことだ。何かしら美麗様の件で動いたりはしなかったのだろうか。

 そこまで考え、私はふと思い出す。

「私達が探している、伊桜里様が残したと思われる書簡。それはもう破棄されてしまったのでしょうか?」

 (もしかして、その書簡に美麗様の悪事が記されているかも知れない)

 私は望みをかける気持ちで帷様にたずねる。

「伊桜里が亡くなり、書簡が残されていたと噂になる。となれば、伊桜里を(おとし)めようとしていた者からしたら、その書簡に自分の名が(しる)されているかも知れないと考える筈だからな。となると、既に誰かに破棄されてしまっている可能性はある」

 確かにそうだ。

 (でももし、伊桜里様の書簡が残されていれば)

 そしてその書簡に美麗様の悪事。せめて美麗様が鼻緒を切るようお夏さんに指示したと記されていたら。

 (お夏さんの遺書と足して二通をもって、美麗様を更に追い詰められる)

 あくまで手紙に美麗様の名が記されていれば、の話ではあるが、何となくその可能性は高い気がする。

 (だって私なら残す手紙には恨みつらみを書き(つづ)るから)

 無駄死になんて絶対にしない。
 最後に何らかの爪痕(つめあと)を残す。

 命の代償としてならば、そのくらいしないと気が済まない。

 (まぁこれは、あくまでも私ならそうするって話だけど)

 何にせよ、その手紙の行方を明らかにするのが、私の本来の目的であったはずだ。

 (帷様が前に進むため。そしてこの国の未来のために)

 私は原点に立ち戻る事にする。

「そもそも、どのような形で伊桜里様は発見されたんでしょう?」

 愛する人の死を思い出させるような質問。それを投げかける事に悪いとは思いつつ、必要に迫られた私は心を鬼にし、たずねた。

「俺のところに上がった報告によると、伊桜里付きの部屋方(へやかた)長局(ながつぼね)で発見したとの事だ。朝を知らせるため部屋を訪れた奥女中が、夜着(よぎ)を頭から被った状態で布団の上に前のめりになっている伊桜里を発見したらしい」
「夜着を被っていたのに伊桜里様だとすぐにわかったのですか?」

 私は疑問に感じた事を即座に質問する。

「女中の一人がその夜着を恐る恐るめくったそうだ。まぁ、そもそも伊桜里の部屋にいる女は、伊桜里である可能性が高い。むしろその女中は(きも)が座っているのだろう。周囲で見守っていた者は、こと切れている伊桜里を見て、へなへなと腰を抜かしたらしいからな」

 (そんなに驚くこと?)

 一瞬そう思ったが、すぐにその疑問は間違いだと気づく。

 (驚かないのは私がくノ一だから)

 普通の人間は、誰かの死に立ち会う機会が少ない。
 私の脳裏に幽霊を見たと言って、腰を抜かしたお仙ちゃんの姿が思い浮かぶ。あの反応がごくごく普通なのだろう。

「それからすぐに岡島に報告したとの事であった」

 私は誇張(こちょう)された事実に人の解釈が足され、まるでそれが事実であるかのように、一気に大奥中に知れ渡る事になった幽霊騒ぎを思い浮かべる。

「だとすると、大奥は大騒ぎになったでしょうね」
「だろうな」
「そして、その噂は美麗様の元にも届く」

 私の脳裏に狸ちゃんの言葉が蘇る。

 『誰に見られるかわからないから』

 先程私を訪れた狸ちゃんは怯えているようだった。
 何故なら私の元を訪れた事を美麗様に知られたくないから。狸ちゃんはお夏さんを殺した犯人が美麗様だと知っている。だから美麗様に目をつけられるのが怖いのだろう。

 (やっぱりちゃんと送った方が良かったかも)

 私は今更後悔する気持ちに包まれる。

 既に光晴(みつはる)様主導の夜回りはお夏さんの事件をきっかけに立ち消えとなってしまっている。だから現在は大奥主導のいつもの夜回りが行われているだけ。

 その事を思い出した私は急に狸ちゃんの身が心配になってきた。

 (あ、でも)

 今はお夏さんの事件を受け、夜回りの人員を増強して行うと、御火乃番|(おひのばん)頭《かしら》であるお(きよ)様が言っていた。

 (それに)

 私が犯人だとすると、流石に今は動かない。
 今捕まれば、お夏さんの事件までもが疑われるからだ。そして何より犯人は、自分の(おび)についていたはずの、根付(ねつけ)がない事に何より焦っているはずだから。

 先ずはその行方を探そうと密かに画策しているに違いない。

 (というか、そうであって欲しい)

 そうすれば狸ちゃんも、大奥もしばらく安全だろうから。

 もはや人の行動心理。それを信じるしかなさそうだ。

「一体、伊桜里様の書簡は何処にきえちゃったのかな」

 私はそれさえあればという思いで呟くのであった。