長い間眠っていた気がする。どのくらい眠っていたのだろうか。何か夢を見ていた気がするが、思い出せない。
ゆっくりと目を開くとそこは真っ白な無機質な空間にただ一人取り残されている僕。
「ここはどこ・・・」
どうやら話すことはできるらしい。
永愛(とあ)、やっと目を覚ましたのね」
その声の方を向くと、泣いている母の姿が目に映る。
「あなた学校の帰りに事故に遭ったまま五ヶ月も眠っていたのよ」
覚えているのは学校の帰りに横断歩道を渡っていたら、突然耳に鳴り響いたけたたましいクラクションの音と目がチカチカするほどのヘッドライトの光。
「そうか僕は事故に遭ったんだ。五ヶ月も眠ったままだったのか」
事故がつい昨日のように感じ、未だ半年が過ぎている実感がしない。
「本当に生きててよかった。あなたまで失ってしまったら、私はこの先生きていけなかったかもしれないわ」
大袈裟に感じるかもしれないが数年前に父が事故で亡くなってから母さんは一人で僕を育ててくれた。
「お医者さん呼んでくるわね」
そう言い母さんは病室を出て行ってしまった。

"コンコン”病室のドアがノックされる。
「どうぞ」
「永愛、目覚ましたんだね!よかった・・・」
ドアの先にいたのは中学の頃から付き合っている僕の彼女の岸峰香澄(きしみねかすみ)
「香澄。心配かけてごめん」
「もう本当だよ。この五ヶ月間生きた心地がしなかったよ」
香澄とは小学校の頃からの同級生で中学二年生の時に僕から告白して付き合うことができた。今互いに高校二年生だからもう三年近く付き合っていることになる。
「ごめんね、うちの学校部活動盛んだからなかなかお見舞い来れなかったや」
そう、僕たちは高校が別々。香澄は昔から運動神経が良く小学生の頃からしている水泳で特待生として私立の強豪校に入学した。僕は小学生の頃から本を読むのが好きでその影響もあってか気付けば勉強が好きになっていた。その結果、高校は全国でも有名な進学校に通っている。互いに高校は違えど、一週間に一回は絶対会うようにしていた。
「いいよ、香澄が気にすることじゃない。もうすぐ母さん戻ってくると思うけど久しぶりに会っていく?」
三年も付き合っているとなると互いの家族とも顔を合わせている。彼女は普通の四人家族の長女で、確か小学生の妹もいる。
「んー、会いたいけど実は、おつかいの途中だからすぐに戻らないとなの」
「そっか。じゃ僕が退院したら母さんと三人でまたご飯でも食べよう!」
「わかった。なら、早くリハビリして退院しないとだね」
「頑張ります・・・」
「それじゃもういくね。妹が苺食べたいってうるさくて。退院したらすぐに会いにいくから!」
笑いながら病室を出ていく彼女。彼女といると気持ちが自然と明るくなる。

「意外と元気そうだね。ところで、自分の名前はわかるかな?一応頭を打っているから確認だけ」
大橋永愛(おおはしとあ)です」
「大丈夫そうだね。怪我もそこまでないからリハビリを頑張れば、一週間で退院できると思うよ」
白衣を着た先生らしき人が目を見て話しかけてくる。少し心配している様子。
事故に遭ったものの実際、頭を打ったぐらいで体に大きな損傷はなかった。
「先生、僕リハビリ頑張ります。よろしくお願いします」
「無理のない程度に頑張ろうね」
始めは大変なんてレベルではなかったが、二日目から少しずつ歩けるようになり一週間で無事退院まですることができた。
お世話になった病院に別れを告げ、母さんの車に乗って五ヶ月ぶりの我が家へと帰る。五ヶ月という空白の期間は僕からしたらつい昨日のように感じるが外に出ると、事故に遭う前とは景色が全く違っていた。それもそのはず、事故に遭ったのは五月。今は紅葉が綺麗に見えるシーズンだから景色が違って見えるのは当然だ。肌寒い空気感にはまだ慣れない。

家に着き自分の部屋に五ヶ月ぶりに入るが、ほとんど前とは変わっていなかった。ただ一つを除いては。
割れている写真立てを手にする。飾られている写真は僕と香澄が高校生になったばかりの時に互いの高校の制服を着て僕の家の前でピースしている写真。気に入っていた写真なので、結構ショック。
「永愛。入っていいかしら」
母さんの声がしたので、扉を開け部屋に入れる。
「あ、写真ごめんね。その、掃除している時に落として割ってしまったの。大切にしていたものなのにごめんなさい」
申し訳なさそうにしている母親。でもどこか上の空のような表情。
「いいよ。高校卒業したらまた制服で香澄と二人で写真撮るからさ」
「そ、そうね。それまで別れないといいけどね」
「別れる気ないので大丈夫ですー!」
母さんの顔は笑って見えたが、少し違和感のある笑顔だった。 
「今日の夕飯は何がいい?」
「じゃあ、母さんのハンバーグがいいな」
「お、任せときな!できたら呼ぶわね」
嬉しそうにキッチンに向かっていく母の後ろ姿。やはり自分の家は落ち着く。

昨日の夜は僕が目を覚ましたことが嬉しかったらしく普段は飲まないお酒を飲んで、安心したのか母さんは泣いてそのまま眠ってしまった。風邪をひかないように毛布をかけておいたので多分大丈夫だろう。今日から学校に登校するが母さんを起こしたくはないので静かに支度を済ませ家を出た。お昼は学食でも買って食べればいいだろう。
「永愛!おはよう!」
「おはよう香澄。あれ朝練は?」
「彼氏が今日から登校復帰するんだよ?今日はいいの!」
「そっか、ありがと。なんだか制服着るのも久々って感じがしないな」
「確かに昨日も着てたって感じだね」
こうやって二人で朝歩くのも香澄が部活の朝練があるから事故に遭う前でも滅多になかったので新鮮。割と二人とも学校は近いので歩いて通学している。
香澄の制服姿も久々に見たかもしれない。たまに帰る時はいつも部活のジャージだったから..."やっぱり可愛いな"とつい思ってしまう。
「なに!なんか付いてる?」
「いや、なんでもないよ」
「永愛が楽しそうならいいけどね。来週さ部活オフだから一緒に帰らない?」
「いいよ、じゃ僕こっちだからまたね」
「またね」
学校が違うのは少し寂しいが、大学は二人同じところへ行こうと決めているのであと一年の辛抱。
振り返り彼女を見るが、もう行ってしまったみたいだ。

自分の記憶では一週間前にきたはずなのに実際は五ヶ月経過している学校。恐る恐る自分の教室の扉を開く。
「み、みんなおはよう」
クラスメイトの視線が一斉に自分に向く。
「と、永愛ー!目覚ましたんだな!」
真っ先に寄ってきたのは僕の唯一の親友・立花薫(たちばなかおる)。薫とは幼稚園、小学校と同じでいつも一緒に遊んでいた。中学校だけは学区が違くて離れてしまったが高校で再会し、こうして親友としてそばにいてくれる。
「見舞いにも行ったけど全然目覚さないから、本当に不安だったんだぞ!」
「心配かけてごめん。ただいま」
「おかえり。これで安心して夜以外も寝ることができる」
「普通に寝れてるじゃん。それに授業中寝るな!」
二人で笑い合っていると他のクラスメイトたちも僕達の周りに集まり始め声をかけてくれた。中には泣いてくれた子もいた。
本当に優しい人たちばかりで幸せだなとつくづく実感する。

それからは普段通り授業を受け、あっという間に放課後になっていた。何気ない日常だが、この日常が危うくなくなるとこだったと考えると本当に助かってよかったと心の底から思う。これからはもっと一日一日を大切に生きなければいけないなと心に刻む。
帰り道は何事もなく一人でのんびりと歩いて帰った。公園の木が風に揺られながら意気揚々としている姿はまるで生きているかのようにも見えるほど立派。事故に遭ってからというもの自然と今まで意識していなかった”命"のありがたみを考えるようになった気がする。そんな日常の数々の"命"を見たり考えているうちに家に着いてしまった。
「ただいま」
「おかえり、朝起きれなくてごめんね。学校はどうだった?」
夕飯の支度をしていたのだろうか、包丁をそのまま手に持っているので若干"ドキッ"としてしまう。
「みんな心配してくれたよ。それにいつも通りの日常で安心したかな」
「永愛が元気そうで母さんも嬉しいわ」
そう言い残し再び夕飯の支度に戻っていく母。部屋に入る前に手洗いうがいを済ませ、父さんの仏壇の前に座る。
「父さん退院した日に挨拶できなくてごめん、落ち着いてから父さんと話したかったからさ。僕も父さんと同じで事故に遭ってしまったよ。危うく母さんを一人残していくところだったから今は正直ほっとしてる。多分だけど父さんが『まだこっちに来るなって』助けてくれたんだよね。ありがとう」
「永愛・・・」
どうやら後ろで母さんが聞いていたらしく、目が少し涙目になっていた。
"ありがとう、僕を育ててくれて。見守っててくれて"きっと天国にいる父さんにも聞こえていたはず。

数日が嵐のように過ぎ、今日は香澄と放課後一緒に帰る日。一週間ぶりに香澄に会うので楽しみで仕方がない。帰りの挨拶を終え急ぎ気味にいつもの別れ道へ向かう。途中でおばあさんに道を尋ねられたり、友達に絡まれたりしたがなんとか目的地まで時間通りに到着することができたので一安心。どうやら彼女はまだ来ていないらしい。待っている間に鞄にいつも入れて持ち歩いている文庫本を手に取り読み始める。今読んでいる小説は付き合っている二人のお話だが、彼女がまさかの余命宣告をされてしまうという内容らしい。正直この手の作品は好きではない。余命宣告を受けているということは少なからず、ヒロインは死んでしまうだろう。どんなに最後で主人公が前を向き始めたところでバッドエンドに変わりはないのだから。それでも惹かれて買ってしまうのは、なぜなのだろうか。やはり最愛の人の死は人の涙線を潤わせるからなのかもしれない。もし僕がこの作品の主人公の立ち位置だったと考えただけでも、背筋がゾッとしてしまう。香澄がこの世からいなくなるなんてとても考えられないし、生きていく自信がない。
三十ページ読んだところで香澄からもうすぐ着くと連絡が入り小説を鞄にしまう。

「ごめんね!待たせたよね」
走ってきたのか、前髪がぐちゃぐちゃになってしまっている。
「五分くらい前に着いたところだよ」
待たせていたと香澄に思って欲しくはないので、少し嘘をつく。
「絶対嘘だ!だって、鼻の先とか頬っぺた少し赤いよ?寒い中待っててくれたんでしょ」
「ごめん。だいぶ前からいました」
「永愛は優しいなぁー。そんな優しい嘘をつくなんて永愛らしいよ」
嘘だとバレてしまいさらに頬が赤くなっている気がした。
「さて帰ろうか!」
「そうだね」

こうやって放課後一緒に帰るのは本当に数ヶ月ぶりではないだろうか。僕達は放課後は特に忙しかったのでなかなか時間が合わなかった。僕が帰るのが早い日は香澄の部活が遅かったり、逆に香澄がオフの日は僕が勉強会と称した名門大学に合格するための授業があったりと本当にすれ違っていた。
中学の頃は下校時間が統一だったため毎日一緒に帰ることができた。毎日学校指定のジャージ姿で手を繋いで帰っていたのを思い出す。
「ねぇ永愛。たまには手繋いで帰ろうか」
僕の考えていることが伝わったかのようなタイミングで話してくる彼女。
「いいね。久しぶりだな、香澄と手を繋いで帰るのは」
そっと彼女の手を握る。その手は小さくもわずかな温もりが感じられた。中学生の頃に比べると柔らかさが増したのではないかと思うほどぷにぷにしていて気持ちがいい。
「永愛の手少し冷たいね」
「外で待ってたからね」
二人で手を繋いで笑いながら家へと足を進める。

公園の前を通りかかると小学生たちがサッカーをしているのが見える。
「サッカーとか懐かしいな。香澄からボール取ることできなかった記憶しかないや」
「よく中学の頃は公園でサッカーしてたね。たまにはしてみる?」
「いや、勘弁してください」
公園を通り過ぎようとしたところで、何やら視線が...ふと公園をみるとさっきまでサッカーをしていた少年たちが皆こちらを見て何かを話している。
「あの人・・・」
ここからでは遠くて何も聞き取ることができなかったが、きっと手を繋いで歩いている僕達を冷やかしているのだろう。小学生から見たら僕達は外で手を繋ぐ恥ずかしい奴らと認識されるのかもしれない。
「サッカー頑張れよ!」
声をかけてみたが、もちろん返事が返ってくることはなかった。

もうすぐ別々の道に分かれる場所まで来ていたみたいだ。ゆっくり歩いていたこともあってか外はすっかり夕日が沈んでしまっていた。
「ねぇ、たまには写真撮らない?二人で自撮りだけど」
「いいけどなんか永愛らしくないね」
笑っている彼女を横目に、お気に入りだった写真が割れてしまったことを思い出し新たな思い出の写真としてこの瞬間を収めておきたい。携帯のカメラを内カメにしてシャッターを切る。あまりいい写真とは言えないが自然な笑顔の僕と香澄がそこには写っていた。
「何このなんとも言えない顔は!でもいいね!」
「後で香澄にも送っとくね」
「うん、大事にするね」
どうやら話しているうちに分かれ道についていたみたい。
「じゃ、またね。今度はいつ会えそう?」
「そうだなー、部活があるからまだわからないや」
「わかった。会えそうな時連絡して」
「うん。バイバイ!」
夜に溶け込んでいく彼女の後ろ姿を見送りながら僕も暗闇へと足を進める。

あと家まで数分というところで、ピタリと足が止まる。今日は香澄と一緒に帰ってきたので普段下校する道とは違った道から帰っていた。永愛の視線の先にあるのは、至って普通の交差点。だが、妙に胸騒ぎがするのは気のせいだろうか。いや、気のせいじゃない。ここは僕が事故にあった交差点に違いない。一瞬の出来事で事故の記憶は曖昧だけれどこの風景だけはなぜか覚えていた。
季節は秋なのに背中がびっしょり濡れているのがわかる。全身から冷や汗が止まらない。
"なぜ...ここに花束が添えられている"交差点の端には二つの花束。そして一枚の写真。
「もう半年も経つのね。ここで事故が起きてから・・・」
誰かがそんなことを話しているのが聞こえてきたが、僕はあえて聞こえないふりをしてその場から逃げるように走り去った。
怖かった。僕が考えていることが当たって欲しくないと願いながら急いで帰宅し母さんを探す。

「母さん、聞きたいことがあるんだけど!」
普段とは違う表情なのが感じ取れたのか母さんは覚悟決めたかのように口を開く。
「何を聞きたいのかはわかっているわ。いずれバレるとは思っていたから」
「ぼくは・・・僕はあの事故で死んだんだよね・・・」
互いに無言の時間が続く。それは時間にして一分もなかったが一時間いや、それ以上かと思うほどの体感だった。
「・・・そうね。本来ならあなたが亡くなっていたの。でもね、あなたは助かった」
母さんの言っている事がいまいち理解できなかった。"本来ならあなたが亡くなっていた?"ということは僕の代わりに亡くなった人がいるということなのか...
その言葉を頭の中で繰り返していくうちにいくつか疑問が浮かんでしまう。どうして彼女は僕が病院で目を覚ました瞬間に誰も連絡をとっていないはずなのに現れる事ができたのか、普段は決して別れる際"バイバイ"なんて言わない彼女。
「永愛・・・もうわかったかもしれないと思うけどあの事故で亡くなったのはあなたではなくて"香澄ちゃん"よ」
「嘘だ!!僕は事故に遭ってからも香澄にあっていたんだよ!そんなわけない!」
「そうね。きっと永愛を心配して戻ってきたのかもしれないわね」
「そ、そんなこと・・・ねぇどうし、て香澄が亡くなったこと、黙ってたの」
もう涙が止まらず溢れ出してくる。手にはさっき撮ったばかりの笑顔の二人が携帯に映し出されていたが、画面は透明な水滴で見えなくなっていた。

「母さんもね香澄ちゃんが亡くなったと知った時は頭がおかしくなりそうだったわ。娘みたいな存在だったからね。それに永愛は五ヶ月もずっと眠ていたわけじゃないの」
ずっと五ヶ月眠っていたものだと思い込んでいた。でもそれはどうやら嘘だったらしい。なぜそんな嘘を母さんやお医者さんはついたのだろう。
「あなたは事故が起きた次の日には目を覚ましたのよ。頭を軽くぶつけただけで体に怪我は一切なかったの。でも、なぜだか分かる?あの日あなたは香澄ちゃんと一緒に帰っていたんだけど、運悪く横断歩道を渡っている時に居眠り運転した車が突っ込んできたの。それで香澄ちゃんはあなたを歩道に突き飛ばした代わりに・・・即死だったの。そのことを目を覚ましたあなたに話したら、奇声をあげてそれからパタリと目を覚さなくなってしまったのよ。だから私と先生は次あなたが目を覚ましてもすぐには話さないようにしようと決めていたの」
真実を聞いてもまだ香澄がこの世にはもういないなんて考える事ができない。ただその現実だけが重くのしかかる。
「永愛。明日でちょうど事故が起きて半年なの。だからお墓参りに行ってあげてほしい。辛いとは思うけど、香澄ちゃんはあなたに生きて欲しくて助けたのだから・・・」
僕が目覚めた時に思い出そうとしていたのはこのことだったのか。香澄はまた僕がショックで意識を失う事がないように僕だけの前に現れたのかもしれない。
「僕よりもよっぽど君の方が優しいじゃないか・・・」
涙を堪えながら呟くが、この声が君に届くことはきっと...

翌日は朝から花屋さんでお墓参りの花を選ぼうと思い訪ねてみる。正直たくさんありすぎてどの花がいいのか全くわからないし、体は生きているけど心は死んでいる。そんな気分だった。
ネットで調べてみると、供える人の好みでもいいらしくどれにしようか店内を歩き回る。
数分探しているとある花に目が惹かれる。控えめな見た目だけれど、繊細で美しい。"彼女に似合うかもな"と思いレジに向かう。
「お兄さん、彼女さんへのプレゼントですか?」
店員さんに尋ねられるもうまく言葉が返せない。以前ならすぐに返事ができたが、今は無理だ。
「まぁ、そんな感じです」
なんとか返事をする事はできた。店員さんには愛想のない客と思われてしまうかもしれない。でもそんな相手を気遣う事ができるほどの心の余裕はなかった。
「いい花を選びましたね!」
「え?」
ただ綺麗で彼女に似ていたから選んだ。それだけのことなので少し戸惑ってしまう。
「このカスミソウの花言葉は『感謝』ですよ。彼女さんのこと愛されているのですね。素敵ですよってどうされましたお客様!」
泣くつもりなんてなかった...昨日で涙は全て出し切ったと思っていた。店員さんが目の前にいるのに涙が止まらない。
香澄と同じ名前の花を選んでいたこと、そして花言葉が...とうに僕の心は限界を迎えていたみたいだ。
「すいません、亡くなった彼女を思い出して・・・」
「それは大変失礼いたしました。プレゼントなんて・・・」
「いえ、これは僕からの最後のプレゼントなので何も間違ってないですよ。今からこの花を供えに行くところです」
「そうですか。きっと彼女さんも喜ばれると思いますよ」
「はい、名前も香澄と同じだったのできっと・・・」
店員さんにお金を支払い店を出て、お墓に向かう。

香澄のお墓まではバスで二十分とそこまで遠くはなかった。
カスミソウを手に香澄のお墓へと足を進める。『岸峰家之墓』と書かれている墓石を見つける。確かに香澄が亡くなった日は半年前の今日と記載されていた。そっと、カスミソウと線香を供え手を合わせる。
「香澄。昨日母さんからやっと本当のことを聞いたよ。僕を助けたことで君の未来を奪ってしまってごめん。僕、この先どう生きていけばいいかわからないよ・・・」
一人で墓石に向かって話していると、肩に温かな温もりが。振り返るとそこには今にも消えそうな香澄の姿。
「永愛、ごめんなんて言わないでよ。私が勝手にしたことだからさ。私こそごめんだよ、永愛」
「どうして、香澄が謝るのさ」
「また永愛には辛い思いをさせてしまうでしょ?お父さんが亡くなった時も毎日辛そうだったのをみてたから。未来がなくなるのも辛いけれど、残されてしまう人が辛いのもよくわかる。これからどうしていけばいいかわからなくなるってことも」
確かに父さんが死んだ時はしばらくの間母さんも僕も死んだように生きていた。残された人たちはその辛さと向き合って生きていかなければならない。死ぬまで消えることのない想いと共に。
「ねぇ香澄、僕はこの先どう生きていけばいい?君のいない日常なんて考えたこともなかった。どうしたら・・・」
続きを言いかけたところで香澄に抱きしめられる。温かいけれど今にも消えてなくなりそうなほどの優しいハグ。
「頑張れなんて言わない。でも少しずつでいいから私ができなかったことを代わりに永愛がして。仕事・結婚・旅行とか私も永愛としたい事がたくさんあった。だからたまにでいいから私のことを思い出して一緒に連れて行って欲しいな」
「あぁ、絶対に忘れはしないし必ず君を連れていくよ。頼むもう少しだけ側にいてくれ!」
もう彼女の体は透明になりかけている。そろそろお別れの時間が近いようだ。
「ねぇ永愛。私に告白してくれて、楽しい日々を過ごさせてくれて本当にありがとう!出会えてよかったし最後に好きになったのが永愛でよかったよ。そろそろお別れみたいだね。私の分まで幸せになってくれると嬉しいな。先に天国で待ってるからおじいさんになったらたくさん話聞かせてね」
「必ず君に会いに行くからそれまで待ってほしい。いい報告が君にできるように頑張ってみるからさ・・・さよなら香澄」
心残りがあるような顔をして消えていく香澄。彼女のあの顔は嘘をついた時する顔だった。
カスミソウが風に揺られ優しい香りが僕の周りに漂う。まるで香澄が隣にいるような気がした。

帰りは家まで歩いて帰ることにした。最後にあの事故が起きた交差点に寄ろうと思ったから。
最後に香澄に会えて気持ちをぶつける事ができたからだろうか、今朝よりも足取りが軽いような感じ。
三十分くらい歩いて目的の交差点へ辿り着く。半年経った今でも花や食べ物が供えられているのは、それほど香澄がみんなから好かれていた証拠。供物を見ていると一枚の写真が飾られているのに目が惹き寄せられる。手に取り見てみるとそれは、"あの日"二人で撮った自撮り写真だった。本来は映らないはずの香澄がそこにはちゃんと写っているが、これは僕しか知らない小さな"奇跡"。裏返してみるとそこには文字が書かれている。

永愛へ
『私こそ"感謝"してるからね!私の名前の由来はカスミソウから取った名前だからもちろん花言葉は知ってるよ。ありがとう、大好きだよ』
岸峰香澄

「だよね、知ってるよね。名前だもんね。でも、僕カスミソウ知らなかったんだよ。なぜかその花に惹かれたんだ、君に似ていたからだよね」
一人その場で話している様子は周りの人からすると不思議だったかもしれないけれど、気になんてならなかった。空から香澄が見守ってくれているはずだから。帰ろうと思い交差点を後にしようとするが、なぜだか不安な衝動に駆られる。
交差点に目を向けると横断歩道を歩いている小学生の女の子。手には苺とパセリを袋に入れて持っているので多分おつかいだろう。
すると、奥から車が猛スピードで交差点に向かってきているのが見えた。自然と体は動いていた。なんの迷いもなく交差点に飛び込んで女の子を突き飛ばす。次の瞬間体に途轍もない衝撃が全身を駆け巡った。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」
薄れゆく意識の中目を覚ますと、女の子が泣きながら呼びかけているのがうっすらぼやけて見える。
"そうか無事だったのか"と安心していると...僕の名前を呼ぶ声が。
「永愛お兄ちゃん!死なないでよ。お願いだからお姉ちゃん、永愛お兄ちゃんまで連れていかないで!」
"あぁこの子は香澄の...そうか彼女は知っていたのか僕も死ぬことを。だから僕にしか見えなかったのか"そのまま僕の視界からは光が消えてしまった。