一週間後、わたしたちは新宿に向かいました。

 船井先輩がミニバンを借りて、それで移動しました。レンタカーは作戦を実行するクラブの近くで待機。逃亡用です。そして安木先輩と長野先輩が、わたしと小笠原先輩がペアになって、クラブに向かいます。全員大きな鞄を提げているので少し不自然です。なるべく人に見られないように、そそくさと歩きます。

 入口に立つ茶色い髪を逆立てたサングラスの人にチケットを差し出して、まずは安木先輩と長野先輩が中に入ります。時間差で入ろうと決めているので、わたしたちはもう少し後です。そして何人かクラブに入った後、いよいよ小笠原先輩が行動開始を告げます。

「俺たちもいこーか」

 来た。わたしは唾を呑み、このタイミングで言おうと思っていた言葉を口にしました。

「小笠原先輩」
「なに?」
「好きです」
「うん。俺も好きー」

 ――そうです。小笠原先輩はこういう人でした。わたしは笑いました。そして気恥ずかしさを隠すように、少し大股でクラブに向かいました。

 中に入るとすぐに、色とりどりの光で照らされたステージとその奥のターンテーブルが見えました。ステージの周りにはボックスの座席が配置されています。そして既に人が大勢いて、音楽も流れていました。

 わたしたちはまず暗がりに必要なものを設置して、事前準備を整えました。そして、ターンテーブルに向かいます。途中、長野先輩が安木先輩にしなだれかかる形で座っているのを見つけました。知らない男に声をかけられないための策。安木先輩は役得ですけど、ものすごく嫌そうな顔をしていました。

 ターンテーブル近くまで来て、「じゃあ、よろしくねー」と小笠原先輩がわたしから離れました。わたしは「はい」と頷き、リモコン代わりのスマホを取り出します。ネットワークで電子機器が遠隔操作出来る時代。便利になったものです。

 ――音楽が途切れたら、スマホのスイッチを押す。

 心の中でやるべき行動を復唱します。音楽が途切れたらスイッチを押す。音楽が途切れたらスイッチを押す。音楽が途切れたら――

 途切れました。

 小笠原先輩がターンテーブルの電源を抜いたのです。周囲がざわつきます。わたしはすぐ、スマホのスイッチを押しました。


『メスブタおーーーんど!』


 セットしておいたスピーカーを通じて、合成音声が長野先輩の作詞作曲した「雌豚音頭」を歌い始めます。陽気で間の抜けた音楽と無駄に破壊力のある歌詞。クラブにはざわつきすら起きず、ただただ、みなさん呆けていました。

『メッスブタ♪ メッスブタ♪ ブヒッ♪ ブヒッ♪』

 すいません、そろそろフォロー出来ません。本当に、本当に最後に一回だけ言っておきますと、長野先輩はとても可愛らしい女性です。猫の小物を集めています。

『ではこれより、イベントサークル「DRAGON」による強姦被害について、被害女性の証言を流させていただきたいと思います』

 流れ続ける音楽を背景に、吉永さんから聞いた話を再構築して百倍ぐらい大げさにした告発が流れます。場にざわつきが戻ってきました。

 その些細なざわつきを、突如噴き出た火花が喧騒に変えます。

 安木先輩たちがドラゴン花火に火を点けたのです。地面にセットした筒から火花が溢れ出す、簡易打ち上げ花火のようなアレです。噴き出した花火に気を取られていると、また別の場所から火花が上がります。次々と連鎖する花火によって会場に煙が充満し始め、出入口に向かって人々が殺到します。

「おい、警察呼べ!」
「呼べるわけねーだろ! 幹部全員捕まんぞ!」

 残念、もう呼んでいます。サークル幹部と思しき二人の男性の会話を聞きながら、わたしはニヤリと笑いました。そしてとうとう火災報知機が鳴って、室内に雨が降りはじめました。スプリンクラーです。

 ぜんぶやろう。

 小笠原先輩はそう言いました。そうです、ぜんぶやるのです。天国に沢山の思い出を持って行けるように。小笠原先輩が笑って死ねるように。

 わたしたちが思いついたこと。

 やりたいと思ったこと。

 全て、やりきるのです。

 人工の雨粒が髪の毛を濡らします。髪を濡らす水は頬を伝って、涙のように落ちて行きます。本物の涙がいくつか混ざっていることを、わたしは知っています。なぜだか動けなくなって立ち竦むわたしの手を、温かくて大きな手が包みます。

 小笠原先輩でした。

 小笠原先輩はわたしの手を引き、クラブの出入口に向かって走り出しました。そして満面の笑みを浮かべながら、朗らかに言い放ちます。

「上手くいったねえ!」

 わたしは震えそうになる声を必死で抑えながら、出来る限り明るく答えます。

「そーですね!」
「楽しいねえ!」
「そーですね!」
「死にたくないねえ!」

 どさくさに紛れて小笠原先輩が弱音を溢します。小笠原先輩がいつもへらへらしているのは、きっと周りに笑っていて貰いたいからなのです。ならばわたしも笑うしかありません。へらへら笑いながら答えます。

「そーですね!」

 人ごみを抜けてクラブを出ました。走って、走って、船井先輩が待機している車に乗り込みます。安木先輩と長野先輩は既に一番後ろの座席に座っていました。わたしたちが乗った瞬間、船井先輩が車を発進させ、同時に小笠原先輩が叫びました。

「みんな、お疲れー!」

 お疲れ様でしたー。全員がそう答えました。そして何がおかしいのかも分からないままに、しばらくケラケラと笑い続けました。