砂浜に立ってすぐ、ここを選んで正解だと思いました。

 目覚めたての太陽が青空の低い位置に浮かんでいて、波立つ大海原に光の欠片をまき散らしています。夜は空が輝いていて海は静かでしたが、今は逆です。あの星々が全て彗星となって流れ落ちても絶対に足りない量の輝きが、水面をキラキラと埋め尽くしています。

「エンディングにはちょうど良さそうだね」

 長野先輩がしみじみと呟きました。船井先輩がひとさし指で空を示し、そのままその指を垂直に下ろしていきます。

「こう、スタッフロールが流れてきそうだよな」
「そうだね」
「そんで俺らは砂浜を走って」
「それは分かんない。何そのイメージ。アニメとか?」
「いきなりハシゴ外すなよ」
「分かんないものは分かんないんだからしょうがないでしょ」

 いつもの下らない言い争いが始まりました。宝箱を抱えてどうしたものかと立ちすくむわたしに、安木先輩が声をかけてきます。

「洋楽でも流そうか?」
「……どうしてですか?」
「宝箱を開けるきっかけが掴めないんだよね。だったら何か区切りのあるものを使って合図にすればいい。この場合、雰囲気のある洋楽を流して終わったら開けるのが綺麗かなと思って」

 AのためのBのためのC。みんながみんなであることが嬉しくなり、わたしは笑ってしまいました。そして顔を上げて海を見やり、高らかに宣言します。

「開けます」

 船井先輩と長野先輩の口論が止まりました。わたしの手元に三人分の視線が集まります。わたしは宝箱の蓋に手をかけて、ゆっくりと上に引っ張りました。

 宝箱が開きます。紫色のクッションが敷き詰められた上に、四つ折りの紙が置かれています。紙を手に取り、宝箱を砂浜の上に置いて、後ろから見ているみんなに見えるようにしながら震える手で紙を開きます。

 背後から、誰のものか分からない盛大なため息が聞こえました。


『おめでとう! ここまで辿り着いた友情が君たちの宝だ!』


「……っざけんな!」

 船井先輩が砂浜に右足を叩きつけました。そして砂浜に座ってがっくりと肩を落とし、長野先輩と安木先輩もその両脇に腰を下ろします。三人とも、昨日の試練にかけた労力を一気に思い出したように、疲れ切った顔をしていました。

「何がシチュエーションに気をつけろだよ。これならどこでも一緒だろうが」
「いや……電車でこれ出てきたらヤバいでしょ。どうすんのよ、この脱力感」
「僕は正直こんなものじゃないかなとは思ってたけど……こんなものであって欲しくはなかったよね」

 三人が口々に小笠原先輩の文句を言い合います。わたしは小笠原先輩をフォローしたい気持ちはありつつ、みんなが文句を言いたくなる気持ちもわかるのでひたすらに戸惑いました。とりあえず紙をまじまじと眺め、最初に目にしたメッセージ以外は何も記されていないことを改めて確認し、紙を畳み直して砂浜から拾い上げた宝箱に戻そうとします。

 突風が、わたしの手から宝箱を落としました。

「あっ!」

 千円以下で買えそうな玩具の宝箱とはいえ、小笠原先輩が遺してくれた大切なものです。わたしは慌てて宝箱を拾い上げようとしました。落とした拍子に中から飛び出したクッションをつまみ、宝箱に戻そうとして――

「――えっ?」

 宝箱を抱えて固まります。長野先輩が「どうしたの?」と言って立ち上がり、宝箱を覗いてわたしと同じように固まりました。船井先輩と安木先輩もわたしのところに寄ってきて、言葉を失い立ちすくみます。

『誕生日おめでとう』

 メッセージの書かれたポストカードと、サイズ差のあるシルバーリングが二つ。左手で宝箱を支えながら右手で小さい方のリングを摘まみ上げると、内側にわたしのイニシャルが刻んであるのが見えました。大きい方はどうか。わざわざ、確認するまでもありません。

「そっか、誕生日だったね。おめでとう」

 長野先輩がお祝いの言葉をくれました。安木先輩がポツリと呟きます。

「これ、弟くんは宝がプレゼントだって知ってたね」
「だろうな。一日で試練を全部クリアして、ドンピシャ誕生日になったのはたまたまだろうけど、さすがにタイミングが良すぎるわ」

 船井先輩が腕を組んで頷きます。長野先輩が横から宝箱を奪い取り、わたしの左手をフリーにしました。

「指輪、嵌めてみたら?」

 促されるまま、シルバーリングを左手の薬指に合わせます。リングはぴったりと指に嵌りました。まるで生まれた時から身に着けていたみたいな金属の輪を前に、わたしはベロニカさんの言葉を思い出します。

 ――大丈夫だと思ったら渡して、って頼まれたの。

 海に身体を向けます。左手を水平に突き出し、指を大きく開きます。薬指と小指の間に見える太陽の光を受け、キラキラと輝くリングを眺めながら、海風を胸いっぱいに吸い込みます。

 大丈夫。

 わたしは、大丈夫です。

「おがさわらせんぱーーーーーーーい!」

 お腹にグッと力を入れ、わたしは、水平線に向かって大声で叫びました。

「シェイシェ――――――――――――イ!!」

 肺の中の空気を全て使い果たすまで、ずうっと声を出し続けます。使い果たした後は両腕を大きく広げ、背中から後ろに倒れ込みます。船井先輩が倒れたわたしを覗き込んできました。

「なんで中国語なんだよ」
「最後の言葉がそれだったんです」
「……マジで?」
「あいつ、ほんと……」

 長野先輩が額に手をやりました。砂の混ざった風に顔を撫でられ、わたしは目をつむります。再びまぶたを上げたわたしの目に映った空は、どこまでも限りなく澄んでいて、このまま空を泳いで飛んでいけるような、そんな気がしました。