日付が変わる頃、わたしたちは空き部屋に布団を敷いて眠りました。

 一日中イベント続きで疲れていたのか、びっくりするぐらい早く眠れました。そして翌朝は気持ちよく起きられました。小笠原先輩がいなくなってから寝入りも寝起きもすっきりしないものだったので、久しぶりに身体が軽くなりました。

 全員が起きたら、リビングでベロニカさんが用意してくれた朝食を頂きます。トルティーヤを切って揚げてチップスにしたものをトマトソースと一緒に煮込んだ、チラキレスと呼ばれる料理。メキシコの朝食の定番で、ベロニカさんが作ったものには目玉焼きが乗っていましたが、他にも色々な具材が乗ることがあるそうです。とても美味しくて、いつも食べている朝食よりだいぶ量は多かったのですが、綺麗に平らげてしまいました。

 食後はベロニカさんがコーヒーを出してくれました。至れり尽くせりです。船井先輩が椅子の背もたれに身体を預け、大きく息を吐きました。

「こういうメキシコ流の健康的な朝を過ごしているから、ベロニカさんはとても美人なんですね」
「そんなことないわよ。私だって普段はパンだもの。今日みたいな休日は昼まで寝て食べないこともよくあるわ」
「え?」
「今日はおもてなしだから特別。外国人だから変わった生活を送っているはずだと思い込むのは、あまり良くない偏見ね」

 船井先輩が肩をすくめて縮こまりました。わたしは、口にはしなかったけれど船井先輩と同じようなことを考えていたので、同じように小さくなります。ベロニカさんが両肘をテーブルに乗せ、組んだ手の裏に顎を隠しました。

「さて、これで試練は終わったけど」ぐるりと、テーブルに座っているみんなを見回します。「どうだった?」

 試練という言葉を聞き、わたしは主旨をようやく思い出します。完全に旅行気分になっていました。ベロニカさんの隣に座っている安木先輩が声を上げます。

「ただの感想でもいいですか」
「どうぞ」
「楽しかったです。小笠原が僕たちを楽しませたいなら、それは成功していると思いました」

 安木先輩らしからぬシンプルな言葉を聞き、安木先輩の向かいに座っている船井先輩が目を見開きました。ベロニカさんがそんな船井先輩を見やって尋ねます。

「あなたはどう?」
「どうって言われても……俺も安木と同じです」
「私もです。楽しかったなっていうのがやっぱり一番ですね」

 船井先輩の言葉に、長野先輩も乗っかります。残るはわたしだけ。いきなりハードルが急上昇したのを感じながら、わたしをじっと見つめる正面のベロニカさんに向かって口を開きます。

「わたしも、楽しかったです」

 考えていないわけではない。きちんと考えて、こうなった。それを伝えるため、わたしはベロニカさんの大きな瞳をしっかりと見やりました。ベロニカさんがわたしから目を逸らし、コーヒーを一口飲んで独り言のように呟きます。

「なら良かったわ」

 椅子を引き、ベロニカさんが立ち上がりました。そしてそのままリビングを出て行きます。船井先輩がわたしにねちっこい視線を送ってきました。

「……やっちまったか?」
「わたしのせいみたいに言わないで下さいよ」
「でも一番責任が重いのは確かじゃない?」
「そもそも僕たちは試練のプレイヤーじゃないからね」

 長野先輩と安木先輩まで。さすがにひどくないですかと思いつつ、何も言い返せずに黙りました。やがてベロニカさんがリビングに戻ってきてわたしはまず安堵し、次に両手で抱えているものを見て驚愕します。

 ベロニカさんが椅子に座りました。そして持ってきたものをテーブルに置き、固まっているわたしに微笑みかけます。

「これが、宝よ」

 ベロニカさんが持ってきた、ファンタジーに出てくるような宝箱を模した玩具を手に取ります。サイズは両手に収まるぐらい。材質はプラスチックで塗りはところどころ甘く、正直とても安っぽいですが、その安っぽさにリアリティを感じます。小笠原先輩はそういうところは拘らなさそうです。

「大丈夫だと思ったら渡して、って頼まれたの」

 ベロニカさんが、テーブルに頬杖をつきました。

「その時は意味が分からなかった。でもあなたたちに会ってよく分かった。若い頃はそれだけで不安定なものよね。二十歳そこそこの頃の少しバランスが崩れたらどうにかなりそうな感じなんて、とっくに忘れていたわ」
「わたしたちはバランスを崩しそうにないから大丈夫、ということですか?」
「いいえ」

 はっきりと否定を返されました。ベロニカさんが目だけを動かして、わたしたち全員をざっと見やります。

「バランスを崩して、派手に転んでも、また立ち上がる強さがあると思った。そういうことよ」

 温かい言葉が、耳から胸にすとんと落ちました。わたしは宝箱を持つ手に力を込めて、明るく返事をしようとします。

「ありが――」
「あ、そうだ。もう一つ伝言」

 出鼻をくじかれました。黙るわたしを意に介さず、ベロニカさんはマイペースに話を進めます。

「宝箱を開ける時のシチュエーションには気をつけて、だそうよ」
「シチュエーションですか?」
「そう。あの子の考えではその宝箱を開けるとエンディングらしいの。だから帰りの電車の中とかじゃなくて、エンディングを迎えるのに相応しい場所で開けて欲しいみたい」
「相応しい場所……」

 わたしの頭の中に、一つの候補がパッと浮かびました。宝箱をテーブルに置き、安木先輩、船井先輩、長野先輩を順番に見やって息を吸います。

「皆さん」

 わたしは右腕を上げ、朝日を受けて輝く海をガラス戸越しに指さしました。

「海、行きません?」