電話で話し始めてすぐ、わたしはベロニカさんが小笠原先輩の言っていた「サボテンを育てているメキシコ人」であることに気づきました。

 亡くなった小笠原先輩のお母さんの親友で、小笠原先輩の親代わりみたいなところもある人。小笠原先輩が語っていた背景をベロニカさん自身から語られ、いったいどんな試練が用意されているのだろうと話しながら緊張していました。ところが言い渡された試練は、ベロニカさんの家で一泊すること。わたしは「それだけですか?」と尋ね、ベロニカさんは「それだけよ」と答えました。

 ベロニカさんの家は、海岸のすぐ傍にありました。海があり、砂浜があり、背の低い堤防があり、その奥に家が建っている形です。玄関の前には大きな丸いサボテンの鉢植えが置かれていて、家の中にもあちこちに色々な種類のサボテンが飾られていました。一階のリビングは広々としており、海を臨むテラスに出るための大きなガラス戸を通して、夕日に輝く水平線が綺麗に見えました。

「私は夕食の準備をするから、適当にくつろいで」

 ベロニカさんがそう言ってキッチンに引っ込みます。わたしたちは少しリビングで雑談をした後、ガラス戸を開けてテラスに出ました。テラスにも家を守る緑色の兵士みたいに、縦に長い大きなサボテンの鉢植えがいくつか並んでいます。

「綺麗だね」

 海風にたなびく髪を抑えながら、長野先輩がうっとりと目を細めます。アウターのファーコートを脱いでしまったので少し寒く、わたしはセーターの首元を軽く上げました。船井先輩がテラスの手すりに身を乗り出します。

「毎日この景色を見られるの、すげえいいな」
「そうかな。砂とか塩害とか大変そうだし、僕はあまり住みたくない」

 安木先輩の言葉に、船井先輩がむっと顔をしかめました。

「ロマンのないやつだな」
「でも僕の思考の方が普通だと思うよ」
「そうとも言えないだろ。なあ」
「私もたまに来るのはいいけど住みたくはない」

 賛同を求めて話を振った長野先輩から否定を返され、船井先輩が怯みました。そしてわたしに助けを求めて来ます。

「どっち派?」
「わたしはどっちでも……ただ」

 わたしは海を見やりました。そしてこの家を訪れて、リビングから夕焼け色の大海原が見えた時に真っ先に考えたことを口にします。

「小笠原先輩は、こういうの好きだと思います」

 シンと、場が静まり返りました。みんなが同じ意見であることがその反応から伝わります。もしこの場に小笠原先輩がいたら、わたしたちは今ごろ砂浜に立っているでしょう。そこに海があるのに見ているだけなのは勿体ないとか、そんなテキトーな理由で。

「最後の試練」安木先輩。「一体、何なんだろうね」

 波の音が、少し大きくなった気がしました。船井先輩が口を挟みます。

「この家に一泊しろって試練なんだから、一泊させたいんだろ」
「それって試練なの?」
「今までの試練もクリアは別に必要なかったって、お前が言ったんじゃねえか」
「でも何かに挑ませる形ではあった。それに僕は言ったのはミッションをクリアする必要がないって話であって、クリア条件がないってことじゃないよ。長久保さんも場合によっては再試合だったって言ってたでしょ」
「じゃあ、最後の試練にクリア条件があるとして、達成できなかったらもう一泊するのか?」
「分からない。終わりは迎えるけど、真のエンディングにはたどり着けなかったみたいな感じになるんじゃないかな」
「真のエンディングねえ」

 船井先輩がちらりとわたしを見やりました。最後の試練がその名の通り何かの試練だとして、はっきりしていることが一つだけあります。プレイヤーは間違いなく、他の試練に挑戦していないわたしです。

「ま、考えすぎてもしょうがないでしょ」

 長野先輩が話を締めました。考えすぎないでいいよ。そう言って貰えているのが分かり、嬉しさと申し訳なさを同時に感じます。いつの間にか、海を覆う夕焼けはほとんど夕闇になっていて、黒く染まる空に水平線が溶けかけていました。