小笠原先輩のお葬式の日、空は厚い雲で覆われていて、午後からは雪が降る予報が出ていました。
会場には、お父さんお母さんと一緒に出向きました。二人は喪主である小笠原先輩のお父さんと少し話をして、焼香を終えたら帰りました。わたしは告別式が終わるまで葬儀場にいて、火葬場への出棺にもついていきました。船井先輩、長野先輩、安木先輩も一緒です。小笠原先輩のお父さんが許可してくれました。
火葬前の棺に、わたしは思い出の品を何も入れませんでした。俊樹くんは一緒に遊んだゲームソフトを棺に入れて、嗚咽を上げて泣いていました。船井先輩も、長野先輩も、いつも無表情な安木先輩すら涙を流していました。それなのにわたしは、一滴も涙をこぼしていませんでした。
棺が炉に収められた後は、火葬が終わるのを待つために畳張りの休憩室に通されました。火葬場まで同行しているのはほとんど親族の方だったので、わたしや船井先輩たちは浮いていました。わたしたちは部屋の隅に集まり、ぽつぽつと話をしていました。小笠原先輩との思い出や、小笠原先輩とは何の関係もない最近観た映画の感想とかを、主に船井先輩と長野先輩、たまに安木先輩が話し、わたしは話を振られた時以外、言葉を忘れてしまったかのように黙っていました。
そのうち、わたしは「トイレに行ってきます」と言って休憩室を出ました。でもトイレには行きませんでした。みんなとは一緒に居たくなくて、だけどどこに行きたいわけでもなくて、ふらふらと外に出ました。
そして、先に外にいた小笠原先輩のお父さんと目が合ってしまいました。
お父さんは驚いていました。自分が外にいるのに、外に出てきた人間を奇妙に感じるのは、自分自身のことも奇妙だと思っているからです。お父さんもきっとわたしと同じように、何の理由もなく外に出たのでしょう。
「お疲れ様」
お父さんがぎこちなく話しかけてきました。あまりこの場に相応しい台詞だとは思えませんが、そのまま対応します。
「そちらこそ、大変ですよね。お疲れ様です」
「ありがとう。でも大丈夫だよ。いつかこういう日が来るだろうと思って、ずっと前から準備はしていたから」
お父さんの唇から、タバコの煙のように白い息が吐き出されました。
「あの子は、幸せだったと思う」
自分に言い聞かせるように、お父さんが滔々と語り始めます。
「君という人間に会えて、君を愛することが出来て、きっと幸せだった。百年かけたって出会えない人は出会えないものに出会えて、本当に楽しそうだった。あの子の最後を彩ってくれた君に、改めてお礼を言いたい。ありがとう」
お父さんが深々と頭を下げました。わたしはどう反応すればいいか分からず、ぼんやりとお父さんを眺めます。やがてお父さんが背中を起こし、困ったようにぎこちなく笑いました。
「我慢しているなら、泣いてもいいよ」
我慢。わたしは我慢しているのでしょうか。分かりません。
「考えてなかったんです」
思い浮かぶ言葉を、思い浮かぶ端から声にします。
「初めてお見舞いに行った時、覚悟しておいてくれって言っていましたよね。でもわたしは、こうなることをあえて考えてないようにしていました。だから今はぽっかりと空白が生まれて、感情が追い付いていないのかもしれません」
お父さんが「そうか」と呟きました。そして喪服のポケットに手を入れて、いかつい顔を曇天の空に向けます。
「私は、ずっとこの日のことを考えていたよ」
お父さんが目を細めました。眩しいわけがないのに。
「あの子の病気が分かってから、ずっとだ。その時が来たらどう現実を受け止めようかと考えて、元からあまりベタベタした関係は築いていなかったから、それを保つことにした。あの子への態度を変えてはいけない。今より距離を詰めてはいけない。そうやってダメージコントロールのことを考えて、今日まであの子に接してきた」
お父さんの肩が震え始めました。寒さではない。聞いたわけでもないのに、それが分かります。
「でも」
しわの寄ったお父さんの目尻から、大粒の涙がこぼれ落ちました。
「やっぱり……ダメだなあ」
お父さんが両手で顔を覆いました。そして唸り声を上げて泣き始めます。わたしはお父さんが泣き止むまで何も言わず、ただじっと隣に立ち続けていました。
会場には、お父さんお母さんと一緒に出向きました。二人は喪主である小笠原先輩のお父さんと少し話をして、焼香を終えたら帰りました。わたしは告別式が終わるまで葬儀場にいて、火葬場への出棺にもついていきました。船井先輩、長野先輩、安木先輩も一緒です。小笠原先輩のお父さんが許可してくれました。
火葬前の棺に、わたしは思い出の品を何も入れませんでした。俊樹くんは一緒に遊んだゲームソフトを棺に入れて、嗚咽を上げて泣いていました。船井先輩も、長野先輩も、いつも無表情な安木先輩すら涙を流していました。それなのにわたしは、一滴も涙をこぼしていませんでした。
棺が炉に収められた後は、火葬が終わるのを待つために畳張りの休憩室に通されました。火葬場まで同行しているのはほとんど親族の方だったので、わたしや船井先輩たちは浮いていました。わたしたちは部屋の隅に集まり、ぽつぽつと話をしていました。小笠原先輩との思い出や、小笠原先輩とは何の関係もない最近観た映画の感想とかを、主に船井先輩と長野先輩、たまに安木先輩が話し、わたしは話を振られた時以外、言葉を忘れてしまったかのように黙っていました。
そのうち、わたしは「トイレに行ってきます」と言って休憩室を出ました。でもトイレには行きませんでした。みんなとは一緒に居たくなくて、だけどどこに行きたいわけでもなくて、ふらふらと外に出ました。
そして、先に外にいた小笠原先輩のお父さんと目が合ってしまいました。
お父さんは驚いていました。自分が外にいるのに、外に出てきた人間を奇妙に感じるのは、自分自身のことも奇妙だと思っているからです。お父さんもきっとわたしと同じように、何の理由もなく外に出たのでしょう。
「お疲れ様」
お父さんがぎこちなく話しかけてきました。あまりこの場に相応しい台詞だとは思えませんが、そのまま対応します。
「そちらこそ、大変ですよね。お疲れ様です」
「ありがとう。でも大丈夫だよ。いつかこういう日が来るだろうと思って、ずっと前から準備はしていたから」
お父さんの唇から、タバコの煙のように白い息が吐き出されました。
「あの子は、幸せだったと思う」
自分に言い聞かせるように、お父さんが滔々と語り始めます。
「君という人間に会えて、君を愛することが出来て、きっと幸せだった。百年かけたって出会えない人は出会えないものに出会えて、本当に楽しそうだった。あの子の最後を彩ってくれた君に、改めてお礼を言いたい。ありがとう」
お父さんが深々と頭を下げました。わたしはどう反応すればいいか分からず、ぼんやりとお父さんを眺めます。やがてお父さんが背中を起こし、困ったようにぎこちなく笑いました。
「我慢しているなら、泣いてもいいよ」
我慢。わたしは我慢しているのでしょうか。分かりません。
「考えてなかったんです」
思い浮かぶ言葉を、思い浮かぶ端から声にします。
「初めてお見舞いに行った時、覚悟しておいてくれって言っていましたよね。でもわたしは、こうなることをあえて考えてないようにしていました。だから今はぽっかりと空白が生まれて、感情が追い付いていないのかもしれません」
お父さんが「そうか」と呟きました。そして喪服のポケットに手を入れて、いかつい顔を曇天の空に向けます。
「私は、ずっとこの日のことを考えていたよ」
お父さんが目を細めました。眩しいわけがないのに。
「あの子の病気が分かってから、ずっとだ。その時が来たらどう現実を受け止めようかと考えて、元からあまりベタベタした関係は築いていなかったから、それを保つことにした。あの子への態度を変えてはいけない。今より距離を詰めてはいけない。そうやってダメージコントロールのことを考えて、今日まであの子に接してきた」
お父さんの肩が震え始めました。寒さではない。聞いたわけでもないのに、それが分かります。
「でも」
しわの寄ったお父さんの目尻から、大粒の涙がこぼれ落ちました。
「やっぱり……ダメだなあ」
お父さんが両手で顔を覆いました。そして唸り声を上げて泣き始めます。わたしはお父さんが泣き止むまで何も言わず、ただじっと隣に立ち続けていました。