病院の外に出るなり、凍えるような寒さに襲われ、わたしは首をすくめてコートの襟を立てました。
マフラーをきつめに巻き直して歩きます。まだお正月休み中だからか街を行き交う人々は家族連れが多く、あちこちから寒さをものともしない元気な子どもの声が聞こえてきました。わたしも昔はああだったなあと思いながら、売店で買った缶コーヒーを少しずつ飲んで手と身体を温め、ゆっくりと先に進みます。
飲み終えた缶コーヒーをゴミ箱に捨ててすぐ、駅前の本屋さんに着きました。わたしも何か本を買おうかなと考えながら、コミックス売り場に向かいます。映画になるほどの人気作の最新刊です。どうせ平積みされているに決まっている。そうタカをくくって、大した注意力も払わずに棚を見て行きます。
しかし、見つかりません。
コミックスのエリアを二周したところで、さすがにおかしいと思いました。既刊の並べてある棚で足を止めて、置いてある一番新しい巻を手に取ります。十七巻。初版は三か月前です。
――売り切れちゃったのかな。
わたしは十七巻を持ったまま、レジに向かいました。そして空いているレジにいた若い女性店員に話しかけます。
「あの、すいません」
「どうしました?」
「これの最新刊って、どこにありますか?」
十七巻を差し出します。店員さんが「ああ」と小さく頷きました。
「これなら発売日は来週ですよ」
「来週?」
「はい。来週の水曜日には入荷していると思います」
店員さんがにこりと微笑みました。わたしは「そうですか」と呟き、十七巻を持ってきた売り場に向かいます。本を元あった場所に戻してスマホを取り出し、ネットで十八巻の発売日を確認。店員さんの言う通り、発売日は来週です。
ずっと入院しているから、時間の感覚がおかしくなっているのかもしれません。わたしはLINEを開き、小笠原先輩に通話を飛ばしました。しばらく待っても出なかったので、とりあえずメッセージを残しておきます。
『発売日、まだでしたよ』
スマホをコートのポケットにしまい、本屋をぐるりと見て回ります。気になった本をぱらぱらとめくり、文庫本を一冊買って本屋を出る頃には、病院を出てから三十分以上が経っていました。しかし小笠原先輩からの連絡はなく、送ったメッセージに既読すらついていません。
――寝ちゃったのかな。
思い返すと、小笠原先輩はやたら背中をベッドにつけて億劫そうにしていました。疲れているのか、眠かったのか、何にせよあまり調子はよくなさそうです。早めに戻って引き上げた方がいいかもしれません。
歩幅を気持ち大きくして、病院への帰り道を歩きます。途中ちらちらとスマホを覗いてみましたが、病院に着くまで送ったメッセージに既読はつきませんでした。寝ていたら起こさないで帰った方がいいのかななどと考えながら、エレベーターで病室のある階まで上がります。
エレベーターを下りて、小笠原先輩の病室へと向かいます。薄暗い廊下を歩きながらスマホを取り出し、最後にもう一度だけメッセージに既読がついているか確認しようとしていたら、女性の看護師さんがわたしを早足で追い抜いていきました。何かあったのかなと、わたしは顔を上げて看護師さんが進む先を見やります。
わたしは、足を止めました。
小笠原先輩の病室のドアが、開きっぱなしになっています。さっきの看護師さんはその中に飛び込んでいきました。そしてすぐに部屋から出て来て、やはり早足でわたしの横を通り過ぎていきます。
看護師さんの動きに合わせて、薬の匂いがふわりとわたしの鼻に届きました。背中から聞こえる足音が遠くなっていきます。小さくなる足音とは反対にわたしの心臓の鼓動は、どくん、どくんと、際限なく高まっていきます。
わたしは走り出しました。そして小笠原先輩の病室に駆け込みます。ほんの数秒も走っていないのに、やけに呼吸が上がって頭が回らず、聞こえるものや見えるものを整理するのに時間がかかります。
心電図の音。ベッドを取り囲む白衣の人たち。口に呼吸器をつけ、裸の胸に何かの機械を当てられて目をつむっている、ベッドの上の小笠原先輩。
「あなた――」
「何してるんですか!」
わたしは、叫びました。
声をかけてきた看護師さんではなく、ベッドに横たわっている小笠原先輩に向かって叫びました。小笠原先輩は何の反応も返しません。こけた頬を青白くして、まぶたを下ろし続けています。
「そんなのって……そんなのってないじゃないですか! ズルいですよ! ズルい! ズルいです!」
ベッドに歩み寄り、感情の赴くまま言葉を走らせます。何がどうしてズルいのかは自分でも分かりません。ただこんなのはズルいという気持ちだけが、溢れて止まりませんでした。
「最後の言葉、謝謝ですよ!?」
看護師さんがわたしの肩を掴みました。そして何かを話しかけてきました。わたしには聞こえません。看護師さんの姿も、見えてはいません。
「もっと、あるじゃないですか! 言いたいこと、言わなきゃいけないこと、あるはずじゃないですか! わたしはありますよ! 山ほどあります! だから――」
ピー。
無機質な電子音が、頭に滾っていた熱を瞬時に冷やしました。小笠原先輩の胸に機械を当てているお医者さんの姿が見えるようになります。お医者さんと看護師さんが強い口調で交わしている受け答えが聞こえるようになります。何の意味もない、景色や雑音として。
ずっと蘇生行為を続けていたお医者さんが、汗だくの顔を大きく上げました。そしてわたしの方を見て、ゆるゆると首を横に振ります。
わたしは、思いました。
――嘘でしょ。
マフラーをきつめに巻き直して歩きます。まだお正月休み中だからか街を行き交う人々は家族連れが多く、あちこちから寒さをものともしない元気な子どもの声が聞こえてきました。わたしも昔はああだったなあと思いながら、売店で買った缶コーヒーを少しずつ飲んで手と身体を温め、ゆっくりと先に進みます。
飲み終えた缶コーヒーをゴミ箱に捨ててすぐ、駅前の本屋さんに着きました。わたしも何か本を買おうかなと考えながら、コミックス売り場に向かいます。映画になるほどの人気作の最新刊です。どうせ平積みされているに決まっている。そうタカをくくって、大した注意力も払わずに棚を見て行きます。
しかし、見つかりません。
コミックスのエリアを二周したところで、さすがにおかしいと思いました。既刊の並べてある棚で足を止めて、置いてある一番新しい巻を手に取ります。十七巻。初版は三か月前です。
――売り切れちゃったのかな。
わたしは十七巻を持ったまま、レジに向かいました。そして空いているレジにいた若い女性店員に話しかけます。
「あの、すいません」
「どうしました?」
「これの最新刊って、どこにありますか?」
十七巻を差し出します。店員さんが「ああ」と小さく頷きました。
「これなら発売日は来週ですよ」
「来週?」
「はい。来週の水曜日には入荷していると思います」
店員さんがにこりと微笑みました。わたしは「そうですか」と呟き、十七巻を持ってきた売り場に向かいます。本を元あった場所に戻してスマホを取り出し、ネットで十八巻の発売日を確認。店員さんの言う通り、発売日は来週です。
ずっと入院しているから、時間の感覚がおかしくなっているのかもしれません。わたしはLINEを開き、小笠原先輩に通話を飛ばしました。しばらく待っても出なかったので、とりあえずメッセージを残しておきます。
『発売日、まだでしたよ』
スマホをコートのポケットにしまい、本屋をぐるりと見て回ります。気になった本をぱらぱらとめくり、文庫本を一冊買って本屋を出る頃には、病院を出てから三十分以上が経っていました。しかし小笠原先輩からの連絡はなく、送ったメッセージに既読すらついていません。
――寝ちゃったのかな。
思い返すと、小笠原先輩はやたら背中をベッドにつけて億劫そうにしていました。疲れているのか、眠かったのか、何にせよあまり調子はよくなさそうです。早めに戻って引き上げた方がいいかもしれません。
歩幅を気持ち大きくして、病院への帰り道を歩きます。途中ちらちらとスマホを覗いてみましたが、病院に着くまで送ったメッセージに既読はつきませんでした。寝ていたら起こさないで帰った方がいいのかななどと考えながら、エレベーターで病室のある階まで上がります。
エレベーターを下りて、小笠原先輩の病室へと向かいます。薄暗い廊下を歩きながらスマホを取り出し、最後にもう一度だけメッセージに既読がついているか確認しようとしていたら、女性の看護師さんがわたしを早足で追い抜いていきました。何かあったのかなと、わたしは顔を上げて看護師さんが進む先を見やります。
わたしは、足を止めました。
小笠原先輩の病室のドアが、開きっぱなしになっています。さっきの看護師さんはその中に飛び込んでいきました。そしてすぐに部屋から出て来て、やはり早足でわたしの横を通り過ぎていきます。
看護師さんの動きに合わせて、薬の匂いがふわりとわたしの鼻に届きました。背中から聞こえる足音が遠くなっていきます。小さくなる足音とは反対にわたしの心臓の鼓動は、どくん、どくんと、際限なく高まっていきます。
わたしは走り出しました。そして小笠原先輩の病室に駆け込みます。ほんの数秒も走っていないのに、やけに呼吸が上がって頭が回らず、聞こえるものや見えるものを整理するのに時間がかかります。
心電図の音。ベッドを取り囲む白衣の人たち。口に呼吸器をつけ、裸の胸に何かの機械を当てられて目をつむっている、ベッドの上の小笠原先輩。
「あなた――」
「何してるんですか!」
わたしは、叫びました。
声をかけてきた看護師さんではなく、ベッドに横たわっている小笠原先輩に向かって叫びました。小笠原先輩は何の反応も返しません。こけた頬を青白くして、まぶたを下ろし続けています。
「そんなのって……そんなのってないじゃないですか! ズルいですよ! ズルい! ズルいです!」
ベッドに歩み寄り、感情の赴くまま言葉を走らせます。何がどうしてズルいのかは自分でも分かりません。ただこんなのはズルいという気持ちだけが、溢れて止まりませんでした。
「最後の言葉、謝謝ですよ!?」
看護師さんがわたしの肩を掴みました。そして何かを話しかけてきました。わたしには聞こえません。看護師さんの姿も、見えてはいません。
「もっと、あるじゃないですか! 言いたいこと、言わなきゃいけないこと、あるはずじゃないですか! わたしはありますよ! 山ほどあります! だから――」
ピー。
無機質な電子音が、頭に滾っていた熱を瞬時に冷やしました。小笠原先輩の胸に機械を当てているお医者さんの姿が見えるようになります。お医者さんと看護師さんが強い口調で交わしている受け答えが聞こえるようになります。何の意味もない、景色や雑音として。
ずっと蘇生行為を続けていたお医者さんが、汗だくの顔を大きく上げました。そしてわたしの方を見て、ゆるゆると首を横に振ります。
わたしは、思いました。
――嘘でしょ。