家に帰ると、室内用のゆったりしたワンピースを着たお母さんが、リビングの食卓でレモンティーを飲んでいました。

 ちょうど温かいものが欲しい気分だったので、わたしも自分のカップを持っていって同じものを飲むことにしました。キッチンでレモンティーを作り、お母さんの向かいの椅子に座ります。ティーパックの紅茶にレモンの輪切りを浮かべただけの簡単な飲み物に、冷え固まった身体を魔法のようにほぐされ、わたしはほうっと安堵の息をつきました。

「外は寒かった?」
「うん。そろそろコタツ出した方がいいかも」
「コタツねえ」

 お母さんが、わたしからほんの少し視線を逸らしました。

「今日はどうだったの?」

 曖昧な聞き方。話したいところだけ話していいという優しさに甘え、わたしは良かったことだけを話します。

「思ってたより元気そうだった」
「そう。なら良かった」

 お母さんが自分のレモンティーに口をつけました。良かったと言いながら、張りつめた表情は変わりません。小笠原先輩が倒れた時、同棲の日なのに帰って来たわたしから事情を聞いた時もそうでした。「大丈夫なの?」「分からない。そのうちまた連絡来ると思う」「そうじゃなくて、あんたのこと」「大丈夫だよ」「なら良かった」。今と同じ顔で、今と同じことを言っていました。

「ねえ」背中に力を入れます。「お父さんが余命宣告されたら、どうする?」

 お母さんがレモンティーを飲みながら、ちらりとわたしを見やりました。そしてカップをソーサーに置きます。陶器と陶器がぶつかる硬い音に、お母さんの声が重なりました。

「とりあえず、子どもたちのことは任せてって言うかな」
「とりあえずそれなの?」
「一番心配だと思うから」

 覚悟とは、いなくなる未来を想定して動くこと。安木先輩の言葉を思い出しながらわたしは続けます。

「じゃあ、余命宣告されたのがわたしだったらどうする?」

 お母さんが「そうねえ」と首をひねりました。そして自分でもあまり納得いってなさそうに答えます。

「泣く、かな」
「お父さんが余命宣告されても泣かないの?」
「それも泣くけど……お父さんの場合と違ってそこから先が思い浮かばないの。想像もしたくないのかも」

 想像もしたくない。ガンと、頭に強い衝撃が走りました。

「きっと、お父さんも同じだと思うよ。聞いてみたら?」
「……すごく前に聞いたことある」
「なんて言ってた?」
「そういう映画でも観たのかって言われた」
「ほら。まともに考えようとしてない」
「今の彼氏と付き合う前だから、意味が分からなかったんだと思うよ」
「意味が分からなくたって、宝くじで一億円当たったらどうするみたいな質問なら答えたんじゃない?」

 お母さんが背中を前に傾けました。目尻にしわを浮かべて笑う顔が近くなります。

「どんなに突拍子のない話だって、考えるぐらいはできる。お父さんはそれすらしたくなかった。だからお母さんと一緒なの」

 考えたくない。想像したくない。あなたがいない未来を受け入れられない。

 わたしに、そんな気持ちがあるでしょうか。

「……そうかもね」

 わたしは自分のカップに手を伸ばしました。そしてカップを唇につけて、クイと傾けます。さっきまで魔法のように温かったはずのレモンティーが、これまた魔法でもかけられたみたいに、喉を冷たく通り過ぎていきました。