「ほんとにさー、なんでさー、お前なんだよー」

 顔を真っ赤にした船井先輩が、小笠原先輩の肩に腕を回して絡みます。小笠原先輩もほんのりと頬は上気していますが、様子はいつもと変わりません。けろりとした顔で重たいことを言い放ちます。

「しょうがないじゃん。俺も死にたくないけど、俺なんだし」
「なんでだよー。お前より死んでいいやつ山ほどいるだろー」
「そうかな。俺、マジで社会に貢献してないよ?」
「んなこと、どうでもいいだろ! 自信持てええええ!」

 船井先輩が小笠原先輩を抱きしめて叫びました。船井先輩は声が大きいです。隣の人が怒鳴り込んで来たらどうしようと不安になります。

「船井、うるさい。他人の家だよ?」
「俺んちならいいのかよ」
「いいに決まってるでしょうが」

 船井先輩と長野先輩が、口論とじゃれあいの間みたいなやりとりを始めました。小笠原先輩はそんな二人を見て楽しそうに笑い、安木先輩は黙々とお酒を飲み続けています。パーティが始まってからおよそ一時間。食べものはほとんど無くなり、すっかりお酒を飲みながら話す会になっています。

 こういう空気になると、未成年でお酒を飲めないわたしはどうしても浮いてしまいます。いつもならそれはそれで楽しいのですが、今日はひどく寂しいです。みんなに置いて行かれているような、そんな気がしてしまいます。

「……外の風に当たって来ます」

 小声で呟き、一人でこっそりとリビングからベランダに出ます。マンスリーマンションがあるような住宅街は背の高い建物が多く、展望はあまり良くありません。それでも手すりに身を乗り出して夜の街を眺め、暗がりに浮かぶ灯りの中の生活を想像すると、人の営みの重さを感じて心が震えます。

 たくさんの灯。たくさんの命。たくさんの想い。

「何見てるの?」

 背中から、長野先輩の声が届きました。振り返るよりも早く、長野先輩がわたしの隣に並んでベランダの手すりに腕を乗せます。

「いつもごめんね。一人だけお酒飲めないのに、勝手に盛り上がって」
「いいですよ。酔ってるみんなを見るのも楽しいですから」
「じゃあ、どうして今は楽しそうじゃないの?」

 痛いところを突かれ、言葉に詰まりました。長野先輩が右のひとさし指を伸ばし、指先をリビングの方に向けます。

「サボテン……っていうか、ペット」

 何を言われるか察しました。予想通りの言葉が長野先輩の口から飛び出します。

「違うんでしょ?」
「……はい」

 誤魔化せる自信も、誤魔化す気力もありませんでした。長野先輩が「やっぱり」と得意げに呟いて夜空を仰ぎます。

「ペットを飼いたいけど死んだ後が不安だから飼えないって話なら、普通にそう言うよね。自分がいなくなった後のことを考えてるのは小笠原らしいけど、欲しいものはペットじゃない。そう思ったら、答えは一つしか出て来なかった」

 わたしは俯き、ベランダの手すりを掴んでいる指に力を込めました。自分の手の甲が張っているのを見つめ、声を絞り出します。

「寝つくのが、いつも異常に早いんです」

 どこかから車のクラクションの音が聞こえました。それが合図だったように、わたしの口から言葉が堰を切ってあふれ出します。

「わたしたち、だいたいわたしが先にベッドに入って後から小笠原先輩が来るんですけど、わたしが先に寝ついたことは一回もないんです。本当にいつもすぐに寝る。あれは絶対、ベッドの上でわたしと向き合うのを避けています」
「そんなに早いの?」
「測ってませんけど、たぶん一分以内です」
「……ないね」
「だから昨日の夜、寝たふりをしている小笠原先輩に、わたしは覚悟できてるって言ったんです。でも、届きませんでした。小笠原先輩は寝たふりを続けて、さっきもサボテンはわたしが育てない方がいいって……」

 語っているうちに、またしても涙がこぼれそうになりました。わたしは必死にそれを堪えます。長野先輩はきっと許してくれる。だけど甘えてはいけない。そうやって自分を鼓舞し、心の安定を図ります。

 ポン。

 長野先輩の手がわたしの肩に乗りました。――ああ、もうダメだ。わたしは無様に泣いてしまう未来を受け入れ、長野先輩の方に向き直りました。

 眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに顔を歪めた長野先輩が、冷たい口調で冷たい言葉を放ちました。

「届くわけないでしょ、そんなの」

 やるべきことをやっていない人間に対する厳しい評価。一瞬で涙を引っ込めたわたしに、長野先輩が追い打ちをかけてきます。

「痛いけど我慢するから大丈夫ですって言われて、じゃあ遠慮なく痛いことしようってなる? 覚悟できてるってそういうことだからね。そんなこと言っても無駄なのは当たり前じゃない」
「でも、じゃあどうすれば……」
「ガチで分からないの?」

 長野先輩がため息を吐きました。わたしは口をつぐんで縮こまります。長野先輩はそんなわたしをしばらく眺めた後、唇をゆるめて優しく笑いました。

「世界の中心は、小笠原じゃないんでしょ?」

 ――わたしの世界の中心は、わたしだよ。

 かつて自分の出した声が、他人の声のようにわたしの頭に響きました。長野先輩がベランダの手すりから離れてわたしの背中を軽く叩きます。

「しっかりしなよ。私も船井も安木も、二人のことは応援してるんだから」

 長野先輩がリビングに戻りました。わたしは戻らず、ガラス戸越しに室内に目をやります。船井先輩に絡まれて笑っている小笠原先輩を見つめながら、ここ最近のわたしが考えていたことを、秋風に吹かれながら脳内で反芻します。

 小笠原先輩に満足して欲しい。残された人生を全力で謳歌して欲しい。そのために出来るだけのことをしてあげたい。わたしの人生を、小笠原先輩のために使ってあげたい。

 ――嘘です。