夕方、近くのイタリアンのお店に行き、三人でパスタを一皿ずつとみんなで食べるサラミのピザを一枚頼みました。

 食事の後は俊樹くんを駅まで送りました。改札で小笠原先輩は俊樹くんに「いつでも遊びに来いよ」と言い、俊樹くんは「二人の家なんだから、そういうのは一人で決めない方がいいと思うよ」と返しました。本当によく出来たいい子です。どっちがお兄ちゃんなのか分からなくなります。

 俊樹くんと別れた後は、小笠原先輩とマンションに向かいます。外は薄暗くなっていて、住宅街の裏道に人の気配はあまりありません。街が眠りかけている。そんな雰囲気を感じます。

「あ、猫」

 電信柱の傍にうずくまるトラ模様の猫を見て、小笠原先輩が声を上げました。そして近づこうとしますが猫はそそくさと離れてしまいます。建物と建物の隙間にするりと逃げ込んだ猫を見て、小笠原先輩が残念そうに「あー」と声を上げました。

「猫、好きなんですか?」
「うん、鬼好き」

 ただの好きではなくて、鬼好き。でも小笠原先輩はきっと犬でも馬でもペンギンでもダイオウグソクムシでも、それが好きなら似たようなことを言う人です。小笠原先輩を知るためには、自分から踏み込まなければいけません。

「あの」一歩。「小笠原先輩の好きなケーキって、なんですか?」

 小笠原先輩が目を丸くしました。わたしは説明を付け足します。

「誕生日パーティにどういうケーキを用意しようか悩んでるんです。それでもう本人に聞いた方がいいなと思って」
「別になんでもいいよ。ケーキならだいたい好きだから」
「でも特に好きなものってあるじゃないですか。せっかくの誕生日なんだし、そういうものを用意しないと」
「それはそうかもね。次の誕生日はないと思うし」

 次はない。重たい発言が何の気なしに飛び出しました。わたしは声のボリュームを上げて動揺を隠します。

「俊樹くんから、子どもの頃は誕生日のケーキをブッシュ・ド・ノエルにしてもらってたって聞いたんですけど、好きなんですか?」
「うん。好きなのは味というより雰囲気だけどね。なんか特別感あるじゃん」
「じゃあ、ブッシュ・ド・ノエルでいいですか?」
「いいよ。すごく俺の誕生日って感じがする。そうして」

 歩きながら、小笠原先輩が夜の帳が下りかけている空を見上げました。街灯が横顔をぼんやりと照らします。

「俺の誕生日のことをちゃんと考えてくれるの、嬉しいね」
「そりゃ好きな人の誕生日なんだから、ちゃんと考えますよ」
「そうだけど、誕生日の話が出て俺が最初にやりたいって思ってことは同棲で、それはもう実現したからさ。今はボーナスステージにいる気分なんだよね。もう望むことはないから、逆に戸惑っちゃう」

 ――え?

 足が止まりそうになりました。どうにか堪えて、無理やり歩みを進めます。普段はオートで動いているものをマニュアルで動かしているから、動作がぎこちなくなっている気がします。

「……同棲できて、良かったですか?」
「うん。めっちゃ楽しいよ」
「これ以上は何も要らない?」
「そうだねー」

 また。わたしは「なら、良かったです」と言って会話を止めました。声が震えかけていたからです。幸い、小笠原先輩も特に話すことが無くなったのか何も言わず、気持ちを落ち着かせる時間を確保することができました。

 二回、ありました。

 もう望むことはないと言った時と、これ以上は何も要らないかと聞かれて肯定した時。一回だけなら偶然かもしれませんが、二回は偶然だとは思えません。唇の隙間から覗いていた舌先に、どうしても意味を見出してしまいます。

 すでに満足しているから、これ以上は何も要らない。

 ――嘘です。